古代史の風景(2) 卑 弥 呼 の 里
古代史の風景(2) 卑 弥 呼 の 里
魏志倭人伝に出てくる邪馬台国が、畿内大和にあったとする説が近年有力である。卑弥呼の墓かもしれないといわれている、箸墓古墳の周辺を歩いてみた。
桜井市にある箸墓古墳は、全長約280メートルの前方後円墳である。周囲には田畑が広がり、一周してみると、その大きさが実感できる。背後には整った円錐形の三輪山が聳え、古墳は緑の樹木に深く覆われ、森閑としている。日本書紀は箸墓に眠る女性に関して、こんな話を載せている。
考霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)は、武埴安彦(たけはにやすひこ)の反乱を予知するなど、霊力の優れた女性であった。百襲姫は三輪山の神の妻となっていたが、神は夜にのみ来て昼間は見えず、姿を見たことがなかったので、そう言うと、櫛笥(くしげ)に入っていよう、と神は答えた。櫛笥を開けてみると、小蛇がいたので、百襲姫は驚いて思わず叫んでしまった。神はそのことをなじって三輪山に去り、百襲姫は箸が体に刺さって亡くなった。大きな墓を作ったが、その墓は、昼は人が作り、夜は神が作ったという・・・・。
不気味なものが感じられる逸話である。その死に方も謎めいていて、隠された真相があることを暗示している。
この女性が生きたのは、崇神天皇の時代で、邪馬台国が三輪山麓にあったとする説では卑弥呼を百襲姫とみなし、死後築かれたという径百歩の塚を、箸墓に見立てる。また卑弥呼の館に、ただ一人出入りしたという男弟を、崇神天皇とし、卑弥呼の後継の少女台与(とよ)を、崇神天皇皇女、豊鍬入姫(とよすきいりひめ)とみる説もある。
狭井(さい)神社の横にある登山口から、三輪山に登ってみた。三輪の神は酒の神でもあるという。日本酒や生卵が道端や岩陰に供えてある。沢に沿っていくと滝があり、そこを過ぎて進むと、大小の磐座(いわくら)が現れた。更に松や杉の木立の中を抜けていくと頂上に出る。標高は467メートルで、ここまで上るのに小一時間かかった。
小さな池と祠があり、その先には、巨大な磐坐が、薄暗い樹木の間に広がっている。ここが古代祭祀の場だったらしい。岩は幾つも捩れるように重なり合っていて、その形状は、物や人に似ていなくもないが、重量感に圧倒される。古の人たちは、巨岩奇岩が織りなす光景の不思議さに、神を感じたのだろうか。
山を下り、山の辺の道を北へ向かって歩き始めた。檜原の辺りまで来ると、景色が大きく開け、遠く葛城や金剛、二上山の山並みが望まれた。畝傍、耳成、天香久山の大和三山も見渡せる。近くに目を向けると、神と人が作ったといわれる箸墓古墳の杜が、ひときわ濃いシルエットになって、夕暮れの三輪の里に浮かび上がっていた。
(2006.9.10)