寒川神社(相模一宮)
寒川神社(相模一宮)
いつの間にか季節が進み夏になっていた。東京からの帰途、相模一宮の寒川(さむかわ)神社に立ち寄った。八方除(よけ)で有名な神社という。茅ヶ崎で東海道線から相模線に乗り換えて寒川で降り、駅から歩いていった。神社の森を目指していると、日差しは頭上から容赦なく照りつけてくる。十分ほど歩いて小さな川を過ぎ、ようやく参道に入って木陰になったのでほっとした。
現在の公式祭神は寒川比古命(さむかわひめのみこと)、寒川比女命(さむかわひめのみこと)という古い土地神であるが、時代によって祭神の名は変遷しており八幡神、大己貴命(おおなむちのみこと)菊理姫命(くくりひめのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、稲田姫命など諸説ある。現在の祭神に定められたのは明治になってからだそうだ。
お社は現在海岸から約七キロ内陸にあるが、古代では地形は今とは異なっていて、海岸線はもっと神社の近くにあったたらしい。社名のさむかわとは清らかな泉、を意味する言葉だそうで、渡来人がこの土地を開拓し自分たちの神を祀っていたという伝承もあるという。古代からの祭祀場であったようで、社は今も相模川の大きな流れの近くに位置している。
このように祭神がたびたび入れ替わったのは、おそらくこの地の支配者が時代によって変遷したためであろう。祭神名を見ると、水を鎮める神であったり、天皇と関連していたり、また出雲系の神、あるいは禊にかかわる神であったり、と実に多彩である。
社殿は相模川の河口に位置することから、洪水によって被害を受けたことも想像される。長い年月の間には、社も住民も流されるなど何度か大きな被害があったのではないだろうか。神も民も流亡を繰り返しながら生きてきた・・・・そんな歴史がこの地にあったような気がするのである。洪水を避けるために神社がもっと安全な上流とか別の地に遷座しなかったのは、この地が古来太陽祭祀にかかわる聖地であり、たとえ祭神は替えても、ここに社を定めて神を斎かねばならない所以があったからだろうと推察される。
神門脇の一対の狛犬はあまりに巨大であった。権威づけのためにこの大きさになったのだと考えられるが、見上げていると何かしら圧倒された。いつも神社の入り口にいる狛犬さんには親しみを感じる方なので、ちょっと前足に触らせてもらったり、こんにちわ、よろしく、などと挨拶するのであるが、ここのは手も届かない高さだし、とても馴れ馴れしく近寄ってゆけない雰囲気であった。
流造りの社殿はまだ新しい。いかめしくて立派な建物という外観で、ぐるりと回廊に囲まれた四角い前庭には、玉砂利が敷き詰められ、広場になっている。たたずんでいると、理由のわからない威厳がこの場を支配していると感じられてくる。自分がこの土地に住む人間ではなく、よそ者の旅行者として気まぐれにふらっと立ち寄ったことが、後ろめたいような気分にさえなってくる。それはあまりにも整然とした建物の配置、構造のせいかもしれない。一宮を意識するあまり、権威や荘厳が強調された空間のように思われる。
目の前の玉砂利がまぶしく、見つめているとめまいがしてきそうであった。夏に弱いのにこんな暑い日に来てしまったことを少々後悔する。
ちょうど団体客の八方除のご祈祷がはじまったので、その様子をしばらく背後から見学させてもらった。皆さん白い衣を羽織っておられる。祝詞、玉串奉奠とおごそかに儀式が続いていく。神社の説明を読むと、方位学の考え方では、人には八方塞がりという何をやってもうまくいかない年が、九年に一度巡ってくるそうで、ここはその厄災から護ってくれるご利益のある神社なのだという。人は生まれた年が最初の八方塞がりの年で、あとは九を足した年が厄年になるという。一歳、十歳、十九歳という風に・・・・。これは数え年でいうそうだ。
水をたたえた池とか低い山とか、樹木の柔らかい緑とか、なにげない摂社や祠の静かなたたずまいに触れてみたいと思うが、近くに見つからない。暑いので探す気力も失せていく。境内摂社はあるはずと思うが、どうも見過ごしてしまったらしい。ただ目の前にあるのは灼熱の陽を受けた平たく白い敷石と砂利の広がりであった。照り返しが目に痛く、この真夏の日差しの下では、とても社殿の前に長くはいられなかった。別の季節に来れば、また違う印象を持ったかもしれない。