白山比咩神社(加賀一宮)
白山比咩神社(加賀一宮)
加賀一宮 白山比咩神社
白山比咩(しらやまひめ)神社へは、以前白山に登ったときに立ち寄った。金沢駅で石川線に乗り換えて鶴来(つるぎ)駅で下り、駅前からバスで一宮へと向かったのである。鶴来という地名は、耳で聞けば「剣」なので、古にここでどんな戦があったのだろう、などと想像してしまう。この地名は土地の古社、物部氏ゆかりの金剱宮(きんけんぐう、つるぎのみや)に由来するのだとか。地名として長く「剱」の字が使われていたようだが、江戸時代になって縁起のよい「鶴来」に改めたという。たしかに剣では不穏であるが、鶴来と書くとゆかしくてきれいな印象になる。
バスは夏の日差しがきらめく手取川に沿って進んでいった。ほどなく一宮に着いて降りるとすぐ、涼しげな木立の緑に包まれた勾配のある参道に導かれる。
白山比咩神社は、全国に三千社あるという白山社の総本宮、小高い位置にあって背後の森は深い。祭神は白山比咩大神(菊理媛尊、くくりひめのみこと)である。神体山は白山(標高二七〇二メートル)で、山頂に奥宮がある。
神社の創始は古く、崇神天皇の御代に、この近くの舟岡山に鎮座したと伝承されている。その後、応神天皇の御代に手取川の畔に遷り、そこでたびたび水害に遭うので安久濤の森へと遷座、さらに火災により社殿が焼失してしまい、十五世紀になって現在地に遷ったとされる。
祭神の菊理媛神は、古事記には登場せず、日本書紀(神代、一書)に一度だけその姿をあらわしている神である。火の神を生んで亡くなった妻神を慕い、黄泉の国に下りていった夫神は、妻神の「自分を見ないでほしい」という言葉にもかかわらず、一つ火を灯して妻の変わり果てた姿を見てしまい、驚愕して逃げ帰ろうとし、二神は境界の坂で言い争う。書紀の世界をみてみよう。
・・・・それで伊奘冉尊(いざなみのみこと)は恥じ恨んで、いわれるのに「あなたは私の本当の姿を見てしまわれました。私もあなたの本当の姿を見ましょう」。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は恥ずかしく思われ、黄泉の国を出てゆこうとされた。ただ黙っては帰らないで誓いの言葉をいわれた。「もう縁を切ろう」また「お前には負けない」。
・・・・その妻と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)がいわれるのに、「はじめあなたを悲しみ慕ったのは私が弱虫だった」と。このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊奘冉尊(いざなみのみこと)のお言葉がありまして『私はあなたともう国を生みました。どうして更にこの上生むことを求めましょうか。私はこの国にとどまって、ご一緒には参りません』と」。
このとき菊理媛神(くくりひめのかみ)が申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そしてそこから去ってゆかれた。ただし自ら黄泉の国を見られた。これが不祥であった。それでそのけがらわしいものをすすぎ洗おうと思って、出かけて阿波の水門(みと)と速吸名門(はやすいのなと)をご覧になった。(日本書紀 現代語訳より)
菊理媛神があらわれて何を言ったのかは書かれていない。書紀には「是のときに、菊理媛神、また白(まう)すことあり。伊奘諾尊聞(きこ)しめして善(ほ)めたまふ。すなはち散去(あら)けぬ。ただしみづから泉国(よもつくに)を見たり。これすでに不祥(さがな)し・・・・」とある。
折口信夫はこのことについて「いざなぎの禊(みそ)ぎに先立って、よもつひら坂に現れてもうす言あった菊理媛(くくりひめ)は、みぬま類の神ではないか。・・・・その言うことをよろしとして散去したとあるのは、みそぎを教へたものと見るべきであらう」としている。折口は、書紀には記載されなかったが、菊理媛の呪言となった詞章があったはずで、穢れをはらい清める禊のやり方を、菊理媛が伝えたとみているのである。
また菊理媛の名については「くくりは水を潜(くぐ)る事である。泳の字を宛てているところから見れば、神名の意義も知れる。くくり出た女神ゆゑの名であらう」と述べている。さらにくくり媛を、みづは、水沼(みぬま)の神と同類ともみており、一般に水沼の神は、水神と考えられているが、「実は神ではなく、神に近い女、神として生きている神女なる巫女であった」ともみている・・・・。(折口信夫「水の女」より)
ちなみに神社由緒、祭神についての説明を読むと、神社側の見解では「くくり」は「括る」にもつながるので、和合の神、縁結びの神として崇敬されている、とある。
折口説に従えば、菊理媛はおそらく黄泉の国の精霊だったのであろう。書紀のこの場面では生よりも死の世界に濃く染まりつつ、夫神と妻神が争う中にあらわれ、ふさわしい言葉を告げることによって、両者の仲裁に役立ったように記述されている。
菊理媛があらわれる場面について考えてみたい。書紀では、現世と黄泉の国の境は大きな岩で塞がれているとある。岩を挟んで伊弉諾神と伊弉冉神は、激しく言い争うことになったのであろう。泉守道人(よもつちもりびと、入口を守る神、おそらく男性であろう)があらわれて、妻神の言葉を間接的に夫神に伝えて、とりなそうとする。ということは、伊弉諾神はすでに黄泉の国を出ていたが(まだ境界上の平坂のぎりぎりの地点にいたかもしれないが)、黄泉の番人である仲介者も、その場に立ち会っていたことになる。けれども伊弉諾神は、守人が伝える妻神の言葉を聞いても、まだどこか腑に落ちないものがあった。その後に菊理媛があらわれて、何ごとかを告げたとき、伊弉諾神は納得するのである。
菊理媛は何を告げに、いったいどこからやって来たのであろう。やはり黄泉の国からだとみるのが自然であろう。(勝手な想像ではあるが)伊弉冉神自身はもう黄泉の国の住人であり境界からは出られないので、代わりに(おそばに仕えている)菊理媛が命を受けて、境界を「くぐり抜けて」伊弉冉神の言葉を再度夫神に伝えにいったのではないだろうか。
大岩によってこの世とあの世は塞がれていたとしても、そこを通行することは決して不可能ではない。たとえばその方法の一つとして、よく知られているものは、空を翔る鳥の道であろう。(魂を運ぶという)白い鳥はこの世と異界を自在に行き来できる存在として、よく神話に登場するのだが、でもこの場面に関しては鳥ではなく、おそらくは地を流れゆく水であったろう。白山に祀られる女神、菊理媛は、水と結びついて語られることが多く、水と非常にゆかりの深い神であるようなので、その通り道も水路が似つかわしいかと思われる。
たとえば清らかな小川が、大岩の隙間を縫うように流れていたとする。菊理媛は細い紐のような蛇に変身して水に浸り、流れに沿ってやすやすと境を越えたことであろう。あるいは水そのものに変化(へんげ)して移動したかもしれず、また岩の隙間や穴、窪みなどを伝うとか、蛇身であるのなら、そういう所を通り抜けることもたやすかったであろう。菊理媛の名は、水を「くぐる」禊ぎを伊弉諾神に教えたこと、そして(おそらく)水路を通って生と死の境界を「くぐり」抜けたこと、この両方を重ねて負った名とみるのが自然かと感じられる。
それでは菊理媛は何を言うために出向いたのであろうか。折口説を否定するものではないし、たしかに海潮によるみそぎの助言があったかとも思うのだが・・・・。(勝手な空想であるが)先に黄泉の守人(なんとなく老人のような印象)が、伊弉冉神の言葉をそのまま伝えたのだが、しわがれた男の太い声ではどうもあまり説得力がなかったようであった。そこで伊弉冉神は、やはり若い女性を遣わして、女性の声音でもって、もう一度自分の真意を伝えてみよう、と思ったのではないだろうか。
おそらくは菊理媛は、蛇体あるいは透き通って流れる水と化して、異界の境を超えてゆき、生きていた頃の麗しい伊弉冉神の姿に変身して、夫神の前に立ちあらわれたのであろう。そして、伊弉冉神そっくりの優しい声と懐かしいしぐさでもって、静かに現在の心境を夫神に向かって語りかけたのではないだろうか。伊弉諾神は、その様子に心を動かされ、納得がいったのだと思う。
「聞こしめしてほめたまふ」とあるのは、冥界にいる妻神と、このとき菊理媛という媒体を通して本当に心が通じ合ったと感じたので、菊理媛の、そういう真の和解を引き出した能力に対しての賛辞でもあったかと思われる・・・・。
勝手な空想にもとづくものであるが、このように解釈してみた。
晴れていたのに、この日神社の境内から白山の峰を仰ぎみることはできなかった。手取川の川面はきらきらと光りが躍り、いつまでも見飽きなかった。また参道の途中には琵琶滝という涼しげな滝があって、その前にたたずんでいると冷気が快く感じられた。
神社を出ると、その後はバスで白峰村へと向かい、民宿で一泊した。翌朝バスで別当出合登山口まで行き、その日は数時間かけて、実に長く感じられる笹の多い山道を上り、室堂(標高二四五〇メートル)の混み合う古い山小屋で泊った。
次の朝、山頂を目ざし遠回りになるが裏道から上っていった。黒百合があちこちに咲いていて、ほかに可憐な高山植物も多く咲き乱れている整備された歩きやすい道であった。山頂に近づくにつれ風が強くなり、突風のような風が吹き荒れるので驚いたが、風がふっと止むと、あたりは静寂に包まれ、霧が薄く流れてきてぼんやりと白くなり、透かし見るとそこには岩だらけの生命のない世界が広がっていた。
山頂奧宮は風を避けるように、石塀に囲まれた位置に建てられていた。付近には不思議な青い色の水をたたえた翠ケ池や、紺屋ケ池、油ケ池、千蛇ケ池(千匹の蛇を封じたのだとか)、血の池、など多くの池があり、噴火してそのまま冷え固まったかのような奇怪な形状の大岩が無造作に転がり、火山性の荒涼とした光景が見られた。
しばらくたつと霧が晴れてゆき、山頂からは四方に広がる雄大な山並みが見られた。けれどもそれも束の間で、再び視界は霧に包まれていく。短い晴れ間を縫うように歩いていくと、翠ケ池はこわいような青みをたたえていて、近寄って眺めていると心が吸い込まれていきそうであった。池から池へと異なる情景を求めて歩くうちに、地獄巡りをして異界をさまよっているような感覚に陥り、死後の世界とはこうものであろうかと感じた。
白山の奧宮がこうした死の様相に濃く染まって在るということを、改めて思った。生は常に死と隣り合っている。けれども死はまた生へと循環していくのだろう。霧に閉ざされ万年雪の残る窪地や薄暗い岩陰、山頂に点在する有毒色素のような色の池が、たまたま死の静寂の世界とみえたのも仮の姿であろう。たとえばもし雲ひとつない青空で、霧もなくすっきりと晴れわたった日であったとしたら、どうだったろう。同じこれら死の情景と映ったものが反転して、明るい生の輝きに満ちる世界が出現していたかもしれない。
白山の山頂への憧れは、来てみると恐怖とも映って、何かしら複雑な思いにとらわれた。遠くで眺める冠雪の白峰の美しさに比して、その山頂は自然のありのままの厳しさが剥き出しでなんとも荒々しい印象であった。山は平地から仰ぎ見るとき、とりわけ聖らかで美しいもの、古の人たちにとっては、山を仰ぐことは神を仰ぐことでもあったのだろう。