浅間神社 (駿河一宮)
浅間神社 (駿河一宮)
駿河一宮 浅間大社
東海道線富士駅から見延線に乗り換え、約二十分で富士宮駅に着いた。右手に富士山が見えるはずなのだが、雲に隠れて見えず、駅にコインロッカーがないので、観光案内所で荷物を預かっていただく。
駅前通を一・五キロ歩くと、鮮やかな朱色の大鳥居が見えてきた。このお宮は正式には、駿河一宮 富士山本宮浅間大社、全国に約一三〇〇社ある浅間神社の起源の社という。浅間の読みは、あさま、ではなく、せんげん、と読むそうだ。あさまのほうが古い読み方で、古代アイヌ語であさまは「火を噴く山」という意味であるとか。(伊勢朝熊山の頂上磐座の説明板では、あさまの意味はアイヌ語できらきら輝く神、とあった)
富士山は古から神霊が宿る山として崇められていたようだが、やがて山の神霊は「あさまの神」と呼ばれるようになる。(噴火の荒々しさから男性神とみる説、また山の神の多くは女神とされているので女性神とみる説がある。ほかに男女の性を超越する存在とみる説も)
富士山は度々噴火したので、神の怒りを鎮めるため山麓に社を建て、浅間大神(あさまおおかみ)の名で祭祀されるようになった。その読みは当初あさまであったが、時を経て変化、中世以降はせんげん、と音読するようになり、それが一般化したらしい。
参道を進んでゆく。ご神木は桜の木である。富士山の山容や祭神の姫神には似つかわしい花、境内には桜が多く植えられていて、開花の頃にはきっとみごとだと思う。
社殿にたどり着く。見上げれば赤くて気品のあるきれいなお社、横にまわると本殿は二層で楼閣のついた構造になっていて、その二階部分の流造りの屋根の曲線が優美で、しかも迫力がある。浅間(せんげん)造というそうで徳川家康の造営という。珍しい構造なので惹きつけられて眺める。祭神は美貌で知られる女神、その美にふさわしく華やかなかたちともみえる。
祭神は木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと、別名は浅間大神)。国津神の娘である。天孫瓊瓊杵命(ににぎのみこと)に見初められ、姉とともに姉妹で嫁ぐが、美人の妹、佐久夜姫だけが受け入れられ、姉の磐長姫(いわながひめ)は醜いという理由で送り返された。そのため父親(あるいは磐長姫自身が)が呪詛したので、天孫と人の命は短くなったのだそうである。
このお社には佐久夜姫と夫神の瓊々杵命、父親大山祇命(おおやまつみのみこと)が祀られている。(この姉妹の婚姻のいきさつ、および姉妹の社については、「磐長姫の社」の項でも述べている)
由緒によれば、創祀伝承は古く、霊峰である富士山をご神体とし、浅間大神の名で鎮められたことにはじまるという。孝霊天皇の御代に、富士山が大噴火して周辺の民が離散、それを憂えた垂仁天皇が神霊を山足(山麓の地)に祀ったのが起源とされる。倭建命が東征の途中、祭祀を行ったとも伝えられ、また坂上田村麻呂が勅命を受け、山宮から現在地に遷座したとも伝承されているそうだ。
富士山はたびたび噴火を起こし、この姫神の水徳を以って噴火が鎮まったとのことである。(姫神の持つ水の霊力をもって、火の神の怒りを鎮めたというのであれば、佐久夜姫と浅間大神は、現在では同一視されているようだが、本来は別々の神であったということになるが・・・・。神の世界においては、鎮めようとするほうは、しばしば荒ぶる神と同化していくのだとされているが)
文献をみていくことにしよう。平安時代、都良香(みやこのよしか)という文人が書いた「富士山記」に、貞観十七年秋のよく晴れた祭礼の日、山の峰を仰ぐと白衣の美女が二人、山の頂の上、一尺ほどのところで並んで舞った。居合わせた人々がみなそれを見た、とあるそうだ。
・・・・仰ぎて山の峰を観るに、白衣の美女二人有り、山の嶺(いただき)の上に双(なら)び舞ふ。嶺を去ること一尺(ひとさか)余り、土人(くにひと)共に見きと、古老伝へて云ふ。 (「富士山記」より)
富士山の上空に舞う二人の美女。富士信仰がもたらした神秘現象のようであるが、ごく普通に考えれば、青空に人のかたちの不思議な白い雲があらわれて、あたかも舞うような風情であったのだろうと思われる。この場面を想像してみると、幻想的でとてもきれいである。祭礼のさなかに、これを目の当たりにした人たちには神秘と映り、二人の美女の舞と感じ入ったのであろう。この二人とは、一人は佐久夜姫だろうが、もう一人は誰であろうか。佐久夜姫と並んでいるのなら姉の磐長姫かもしれないとも思うが、詮索はともかく姫神の霊威ということであろう。
別の史料からも富士山と関連する話をみてみよう。よく取り上げられる「竹取物語」の結びの場面である。かぐや姫が月に去り、悲しんだ天皇が、せっかくもらった不死の仙薬もかぐや姫がいないのではと、家来に命じて山の頂上で薬を焼かせるという結末になっている。注(岩波文庫版)を見ると、そのときつわもの(士)どもをたくさん山に上らせたので、士に富む、つまり富士山になったと、また不死の薬を燃やしたのでふじの山になった、という洒落であると説明されている。
またこんな文献もあるので紹介しよう。「本朝神社考」の冨士山の項には、竹取物語に似てはいるが、奇妙な物語が載っている。
・・・・老夫婦が竹の節から女の子を見つけて育てると、わずかの間に美しく成長した。天子が諸国に美女を求めたとき、立ち寄った使者が見出し、天子に仕えるよう説得するが女は応じない。女は老夫婦に、自分は山に上りここから去ると告げる(月に帰っていくのではない)。天子は使者からそれを聞くと、みずから駿河にやって来る。女はすでに山に去った後だったが、天子は追って山に入り、第五層で休んだとき玉冠をとってそこに置く。さらに進むと岩窟があり、女が現れて誘うので天子は中へ入り、そこが墓所になったというのである。
「女出で迎へて微笑していはく、願はくば天子ここにとどまり給へと。因りて共に崛中に入る。玉冠の在りし所に石を積みて以て陵と為す」
物語の設定は、桓武天皇の時代となっているそうで、天皇にまつわる話としてはありえないが、たとえばこの世のものでない美女の幻に招かれて洞窟に入り、消えてしまった男の物語、としてでも読めばいいのだろうか。富士山には洞窟、人穴が多く口を開けているが、そういうおそろしい想像を喚起させる力を、地下世界へとつながる洞窟は持っている。暗い岩屋の入口にたたずんで、男を冥界へといざなう美女の幻影。美の女神は冥府の女神と密接な関係にあるのだろうか。不吉なほどの美しさはどこかに恐怖を孕み、その美の裏には死がひそんでいるのかもしれない。
右手にまわって、湧玉池(わくたまいけ)という湧水の池へと足を運んでみる。そこには思いがけずすがすがしい空間が広がっていた。富士山の雪解け水が溶岩の間を通り抜けて、ここに湧き出ているのである。水屋神社というお社があり、柄杓で水を汲んで頂くこともでき、試してみると冷たくて心地よい水であった。昔富士山を登拝する人たちは、身を清める慣わしであったというが、ここはその禊の池であった。
樹木の緑に包まれた池のほとりをゆっくりと巡っていく。池には絶えず底から水が湧いていて澄みきっており、鴨が群れをなして泳ぎ、鯉も鴨も人影を見ると寄ってくる。透明なので水中に靡く緑の藻がゆらゆらと揺れているのも、底の石や苔、泳ぎまわる小魚の様子も観察できる。こんなに美しい池があるとは思わなかったので、見とれてしまいしばらく木陰で坐っていた。
池には一箇所流れ口があり、そこへ行って眺めてみると、ごうごうと音を立て、激しい勢いで水がなだれ落ちていた。小さな橋を境にして、上のほうは鏡のように静かな水面であるが、橋から下流のほうを覗くと、水は白く泡立ち岩を滑り落ちて渦を巻き、こわいような急流である。でもこの川はすぐ緩やかになってお社の横を通りぬけ、市内を流れてゆくのである。
池の近くでおばあさんが鯉の餌を売っていたので一袋求め、水辺に立つと、たくさんの鴨と鯉が寄ってきた。餌は食パンの耳を切ったもので、さらにそれを細かくちぎって鴨に投げていると、鳩も飛んできて集まりはじめた。そのうち背後で妙な鳴き声がするので振り返ると、境内に放し飼いされている鶏も来て、しきりに催促しているのであった。動物に餌を与えるのが面白く、楽しんで時を過ごした。やがて最後のパンのかけらを投げ、袋が空っぽになってしまうと、あんなに集まって騒いでいた生き物たちはたちまちみなどこかへ散ってゆき、辺りはまたもとの静けさに戻ってしまった。服についたパン屑を払いながらふっと一抹の寂しさも感じるのだった。
駅へ戻ると、雲が晴れて富士山の山容がぐっと迫って見えた。まだ雪はついてないので、全体に茶色くてどっしりとした夏の山である。電車が来るまでの間、そのくっきりした輪郭と重量感のある山肌をじっと見つめ、さらに動き出した車窓から姿が消えていくまで、山を眺め続けていた。