川端康成
「反橋」「しぐれ」「住吉」「隅田川」
(講談社文芸文庫)
川端康成
「反橋」「しぐれ」「住吉」「隅田川」
(講談社文芸文庫)
川端康成は明治三十二年大阪市生まれ。父は開業医であったが、康成が一歳のとき結核で死去、母も感染していたため、康成と四歳上の姉は母の実家(大阪市内)に預けられた。ところが母親も翌年に死去してしまい、康成は茨木市にある父方の祖父母に引きとられ、姉は母の妹の婚家先で養育されることになった。
康成が小学校に入学した年に祖母が死去した。預けられていた姉も十三歳で夭折し、さらに康成十五歳のとき祖父も病死、康成は家族を失って孤児となる。母方の伯父を頼り、寄宿舎に入って茨木で中学を終えるが、この頃から読書家で文学の道に進むことを志していたという。その後上京して親戚宅に下宿、一高から帝大に進み、文芸活動を通して菊池寛、芥川龍之介、横光利一らと知り合っていった。十九歳のとき、伊豆に旅して旅芸人と道づれになり、その体験は後に「伊豆の踊子」のもととなった。
二十二歳のとき、かつて東京のカフェで働いていた伊藤初代(十五歳)との結婚を望み、岐阜まで訪ねて約束をするが、突如相手からの手紙で婚約を破棄されてしまう。この失恋は大きな心の痛手となった。一連の出来事は後に「南方の火」「篝火」「非常」「叙情歌」「雨傘」などに描かれていった。
二十七歳のとき「伊豆の踊子」を発表、その後「浅草紅団」「禽獣」などを発表して評価を得る。編集長宅でお手伝いをしていた松林秀子との同居生活に入るが(入籍は昭和六年)実子には恵まれず、大阪の親戚から養女を迎えた。
三十六歳のとき、創設された芥川賞の銓衡委員となる。「雪国」を発表、文名が高まる。四十九歳のとき、日本ペン・クラブ会長就任。「千羽鶴」「山の音」を発表。六十二歳で文化勲章。「眠れる美女」「古都」を刊行。六十九歳でノーベル文学賞を受賞、記念講演は「美しい日本の私」であった。
川端の作風は独特の死生観を背景に、日本的な伝統美に根ざし、叙情的、神秘的ともいわれるが、西欧の前衛的な手法も取り入れて、さまざまな新しい表現も試みて「新感覚派」と呼ばれた。
新人発掘にも力を注ぎ、無名であった北条民雄を世に出し、中里恒子、三島由紀夫などを後援、作品発表の機会を与えた。幼少時から近親の死に遭い続ける人であったが、晩年にも友人知己の死が相次ぎ、特に三島の死には衝撃を受けたようである。三島の告別式の葬儀委員長は川端がつとめた。
ノーベル賞以後は多忙のためか目立った作品の発表はなく、「たんぽぽ」(未完)も話が佳境に入ったところで筆が止まり、再開されることはなかった。最後の作品は「反橋」三部作を回想したかのようにもとれる「隅田川」。逗子の仕事部屋でガス自殺をとげた。睡眠薬を常用していたとも。享年七十三。
「反橋」あらすじ
時を経て住吉を訪れた私は、宿で友人須山(故人)の書いた色紙を見つめる。「仏は常にいませども 現(うつつ)ならねど哀れなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ」(梁塵秘抄)。宿の人に色紙を頼まれた私は、後三条天皇の古歌を書く。「住吉の神はあはれと思うらむ 空しき舟をさして来たれば」空しき舟とは、私の心、私の生にほかならないように思えるのだった。
私は遠い日を回想する。五歳の私は母親に手を引かれ、うぶすなの住吉大社の反橋を上っていった。
「この橋を渡れたら、いいお話を聞かせてあげるわね」「どんなお話?」「大事な大事なお話」「可哀想なお話?」「ええ、可哀想な、悲しい悲しいお話」そんなやりとりの後で橋の頂上に立ったとき、私はおそろしい話を聞かされる。今までずっと母と思っていた人は、実は本当の母ではなかった。私は母の姉の子で、本当の母親はこの間死んだというのであった。私は母のあごに流れる涙を見つめる。そして私の生涯はこのときに狂ったのだった。
反橋は上るよりも降りるほうがこわいものである。ほんとうにそのとき五歳の私が橋を渡ったのかどうか、私の妄想が描き出した夢だったのか、記憶も怪しい。
もう一度だけ住吉の橋を見たいという心に追い立てられるようにして、私は長く訪れなかった地にやって来た。そこで不思議な偶然のように友人の色紙にめぐりあったのだった。翌日住吉の社に行ってみると、反橋は意外に大きく、足がかりとしてあいていた穴も五歳の子どもの足では届きそうもないようであった。反橋を降りきったところで、私は深いため息を吐く。「あなたはどこにおいでなのでしょうか」
「しぐれ」あらすじ
私は西行や宗祇、雪舟、利休、芭蕉のそれぞれの生き方を思うとき、その求道のかたちは異なっていても、同じ心に貫かれていると感じ、打たれるのであった。また私は夢で見た手の絵に触発されて、デューラーの使徒の手のデッサンを想起し、合掌する手に祈りの心を感じるのだが、同時にそれは須山の手に似ていると思うのだった。
私と須山は若い頃は堕落の日を過ごし、双子の娼婦を面白いと思い、買いなじんでいた。ある夜、双子のうちの一人を中にして手をつなぎ、須山と三人で歩いていると、雷鳴が鳴り、雷が近づいてきて頭上で炸裂した。須山は右手を額にかざして雷光を避け、落雷の後は「おい離せ。いそごう」と言って女の手を振り払い、支えようとした私の手も放した。このときが須山の手を見た最後であった。
須山の死を告げると双子の一人のほうだけが涙を流した。須山がいなくなってからは遊びもそれほど面白いものではなくなった。
「住吉」あらすじ
継母は幼い私に「住吉物語」をよく聞かせてくれたが、母が語ってくれた話のほうが耳に残り、大人になって読んだ「住吉物語」はつまらないと感じるのであった。住吉物語は継子いじめの話であった。主人公の姫は八歳で生母を亡くし、父の中納言は正妻と二人の娘のいる館に姫を引き取るが、継母は姫を気に入らず、姫に焦がれて通って来る少将に、自分の娘を姫と偽って娶わせる。姫は家を離れて住吉に隠れ住んでしまった。間違いに気づいた少将は長谷寺に籠もって観音のお告げを受け、住吉を訪ねて琴の音を頼りに姫を探し当てるという筋である。
私は自分の実母と継母と父の関係を思うことがある。継母は十七歳で父と結婚している。そして十八歳のときに、数え年二歳の私を引き取ってくれたのだった。
六、七歳のとき、私は継母が稽古する琴の師匠(盲目の老人)に嫉妬を覚えていた。稽古を邪魔するように二人の間に割り込み、母に頼んで琴の爪でかゆい背中を掻いてもらう。摩擦熱で琴爪は温かくなっていた。足も掻いてほしいとせがむが「何を言うの。このお琴の爪はお姉さんのかたみよ」とたしなめられた。
「隅田川」あらすじ
「隅田川」も幼い頃、母が聞かせてくれた悲しい話である。梅若丸という子が都から人買いにかどわかされて、やがて病気になり隅田川の岸に捨てられ死んでしまう。死ぬときに、都の人の姿が懐かしいのでここに自分を埋め、しるしに柳を植えてほしい、と言い残したのだと、渡し守が舟を漕ぎつつ物語った。すると舟から立ち上がれない女がいた。梅若丸の母親で狂女であった。悲しさに母はただ泣いて取り乱す。渡し守は鉦鼓を渡して弔いの念仏を母にうながすと、塚の中から念仏に応える子どもの声が聞こえてきて、幻のうちに母子はまみえるのである。
継母の思い出として、私には住吉物語と隅田川の二つの物語が想起される。現実の隅田川では双子の娼婦のことが思い出されるし、住吉物語では住吉神社の反橋の上の出来事が脳裏によみがえる。
東京駅の駅頭でマイクを向けられ尋ねられた。「秋が来てなにを思いますか。季節の感じを、ひとことふたことで言って下さい」「若い子と心中したいです」老人の私はそう答えるのだった。
若い日に交わった双子の娼婦は区別がつかなかった。二人で一人、一人で二人のようであった。幼い日の琴の爪を思い出し、双子の一人に頼んで爪で足の指を掻いてもらったこともあった。幼い私の目にも、継母は美しい人であった。実母の姿も知りたいと思い、ひそかに家中を探したが写真は見つからなかった。継母に聞くと姉の写真はないという。「どうして?」「嫉妬。お母さんがお姉さんにやきもちをやいたからでしょう」姉妹は少しも似ていない、と母は言ったが、私は嘘だと感じた。二人の母親はそっくりで、二人は一人であったと私は思っている。・・・・
「反橋」「しぐれ」「住吉」は、三部作と呼ばれている。掲載開始は昭和二十三年、連作のかたちで発表された。「隅田川」はそれから二十二年後に書かれた川端最後の作品で、登場人物と主題が共通していることから、これらを四部作とする見方もある。
どれも短い作品であり、日記、随筆という感じで書き起こされてゆく。作者の随想ともとれる文章は、読むうちにいつしか本題に流れ込んでいって、遠い物語の中をさまよっているような感覚におちいる。きれぎれの夢を集めてみたような感じも受ける。
谷崎の「葦苅」「吉野葛」が紀行文のように書き出され、読み手をたくみに物語へといざなってゆくのとどこか似通った雰囲気も感じられる。三部作は緩やかにつながっており、「反橋」から導かれて引き出された内容が「しぐれ」「住吉」になるのだろう。「隅田川」が、それまでの三部作の世界を、改めてなぞってゆくような印象になっており、読み較べてみると最後の作品には、やはりいちばん死が濃くにじみでているようにも思われる。
「あなたはどこにおいでなのでしょうか」という呼びかけが、三部作には冒頭と末尾に必ずあるのに、「隅田川」の末尾だけにはそれがない。作者が書き忘れたわけではないであろう。
理由として考えられるのは、おそらく三部作のほうでは、主人公の「私」の立ち位置がまだ現世の側にあるが、四作目の「隅田川」のときには、すでに心境としてあちら側の世界に行ってしまっているからではないだろうか。四作目の「私」の肉体は、まだこの世にとどまってはいるが、魂のほうはもう現世を捨て、向こう側の世界に移ってしまっているような気配が漂っているように思われる。
「私」の心は、それまでにもよく幽冥境に遊び、自在に両方の世界を行き来していたのであろう。けれどもしだいに冥界の色に親しく馴染むようになってゆき、死を希求する思いが、強まるようになっていったのではないか。「私」は二つの世界を往来するうちに、異界めいた世界に惹かれ、少しずつ取り込まれていったかのようである。最後の作品となった「隅田川」は、「私」の魂がこの世を離れ、すでに向こう側にその位置を定め、彼岸からある懐かしさとともに、寂しげに現世を眺めて回想しているような作品なのではないかという気がする。
主人公の「私」は「隅田川」の中で、秋の虫の鳴く声に耳を傾けながら、宿の人にこのように言う。「鈴虫松虫、そのほかの虫もそろっているようだが、鉦叩(かねたた)きはいないようですね。私は鉦叩きがいちばん好きでね」・・・・
なぜ鉦叩きが好きなのか。この少し前には謡曲の「隅田川」が引用されているので、流れからこの話を受けてそう言っているのだとわかる。謡曲の「隅田川」では、渡し守の勧めにより、狂女である母親が鉦鼓(しょうこ)を鳴らして念仏を唱えると、塚の下から子どもの声があって母親の念仏に唱応してゆく。母親が打ち鳴らした鉦(かね)の音が、あの世の子どものもとへ届いていったのだ。空気を震わせて母が激しく連打する鋭い鉦の音色の響きが、ふだんは回路が閉じられているこの世とあの世の結界を一時的に押し開き、異界へと通じる空間を開いていった。母と子の魂は時を超え、柳の植えられた川岸で交流したのである。
舞台地のほうを少し見てみることにしよう。以前「摂津一宮 住吉大社」の項でも書いたことがあるが、住吉大社の反橋は丹塗りで、虹をかたどった半円のかたち、高さもあって美しい橋である。昔はお社がもっと海辺に近く、橋も入り江に架かっていたそうである。年月が流れるうちに地形が変わって海は遠のいてしまい、今は境内の神池の上に橋が架けられている。地元では「太鼓橋」と呼ばれて親しまれているが、それではあまり俗に過ぎ、小説の題にふさわしくないことから「反橋」(そりはし)としたのだと思われる。
この反橋は、もとは神様用の橋であったが、今は参詣人も渡ることのできる「みそぎの橋」である。橋を渡ると、水をくぐったのと同じく身が清められるとされる。俗世と神域を分ける結界の橋で、いわばこの世とあの世をつなぐ橋ともいえるであろう。頂はちょうどその境界にあたり、作中では生と死の境を象徴するものとして描かれているようである。実際にこの反橋に上って頂に立ってみると、現世と来世のあわいにたたずむような、ふと危うい感覚と気配を味わえる場でもある。
主人公の五歳の少年は、母親に連れられてこの橋を上り、橋の頂で思いがけない話を聞かされる。ずっと母親と信じていた人は母の妹で、実母はすでに亡くなっていたのだった。この重い事実を五歳の子に告げる場が、まさにここなのである。子どもは橋の頂きまでたどり着いたとき、予想もしない話を、何の心の準備もなく、突然聞かされるのである。まるで住吉の神のおそろしい託宣のように・・・・。安心しきった幸福な日々が反転し、目に映る風景も一変するような衝撃であったろう。
・・・・反橋は上るよりもおりるほうがこはいものです。私は母に抱かれておりました。(反橋より)
池のほとりには川端康成の文学碑が建っていて、この文章が刻まれてあった。作品はむろん虚構のものであり、実際の康成の生い立ち、父母の死、養育については前述の通りである。康成が自分の出自や家族関係の詳細を知ったのは、中学入学時の手続きで戸籍謄本を取り寄せたときのことであったらしい。系譜によると康成の母は、はじめ川端家の長男と結婚していたが子はなく、長男が三十代で死去した後は、その異母弟(康成の父)と再婚し、康成の姉と康成をもうけたという。そういういきさつを、周囲が隠していたわけではないだろうが、事実関係を役所の書類の記述からではなく、肉親の口からじかに聞いて知りたかったという思いが作者の感情の背景にあって、執筆するに当たり作品の構想の核となった可能性はあるかもしれない。また作品中で琴を弾く美しい継母として描かれる女性のイメージは、康成の従姉に当たる人で、女学生の頃、康成を可愛がってくれたが、若くして婚家先で亡くなったといい、その人の面影を映しているそうだ。
一歳七ヶ月で母親を失った川端は、まるで母から捐(す)てられたかのように感じていたかもしれないと思う。幼い自分を置きざりにして、なぜそんなに早く死んでしまったのだろう・・・・。作品の中には、母を恋う人の孤独な思いが絶えることなく流れ続けている。康成は幼少の頃には霊感が強く予知能力などもあったといい、長じた後も心霊的な世界に関心があったらしい。そういう視点で見るなら「あなたはどこにおいでなのでしょうか」という呼びかけも、霊界の住人となった母への切ない訴え、慕情とみるのが自然であろうが、その思いを延長してゆけば、次第にそれは異界への呼びかけとなり、自分を異世界へといざなってくれるであろうと期待する「超越した存在」への呼びかけにもなっていくのであろうとは想像できる。けれども求めに応じる彼方からのたしかな返事は・・・・たぶんないのであろう。ただこだまとなって返ってくるのは、自分の発した空しい声だけである。
この世から早く去っていった母への恋情は、「住吉」の作中では背中に感じる琴の爪の摩擦の温み、といった生々しい感覚で表現されてゆく。このあたりは独特の感じが漂い、妙に官能的な描写となっている。子どもが盲目の琴の師匠に憎しみを抱くというのも、母への独占欲からであろうし、屈折した孤独な少年の内面がうかがわれる。本当は父親を憎んでいるのであろう。母への憧れや愛は、生母と継母の姿が重なってときに見分けがつかなくなるようだし、母を自分から奪う父、いわゆる父性的なものに対する、幼い嫉妬の感情の表れとなってゆく。
実際の康成の母親は、兄そして弟と婚姻していったようだが、作中では、美人の姉妹が父と結ばれていたという設定になっている。このことは主人公が、「二人で一人、一人で二人のような同じ名を持つめずらしい娼婦」のもとへ、須山と通ったりする伏線ともなっており興味深い。
古典の「住吉物語」は型としては継子いじめの話である。中納言は二人の妻を持ち、それぞれに娘があったが、姫の母親の方が早く亡くなったので、姫を邸に引き取った。このかたちは、一人の男に対して女二人という組み合わせなので「反橋」「住吉」の話の筋と重なっている。また姫のほうの立場でみると、正妻の娘と、少将の愛を巡って展開してゆく話なので、これも男一人に対し、姉妹で競合するかたちとなっており、愛の三角関係が主題となっていることがわかる。「住吉」三部作、あるいは四部作は、古典に依っているが、三人の愛の物語を、現代に置き換えてみようとした試みの作品ともとれる。
四作を通して読んでみるが、省略や象徴の手法、抽象化された表現があるために、話の筋が読み手には掴みにくくなっているように思う。幼少時に母を失った主人公の、生涯における幻の「母恋い」が主題であろうが、堕落と浄化の間を行き来してさまようしかない「私」の姿が、反復して描き出されるばかりである。主人公は心のどこかで超自然的なものに絶えず救いを求めてはいるが、真に魂が救済されることはないまま、年を重ねてゆくのである。
「しぐれ」では西行や芭蕉、宗祇、雪舟、利休といった人たちのことが、敬意をもって語られ、いっとき主人公は、先人たちのなした芸術の世界に浸って啓示や安息を得るかのようであるが、考えてみれば、彼らは皆それぞれ何かに対して強く狂おしい心を持つ人たちなのであった。西行や芭蕉、宗祇のした旅も、決して安易な現実逃避の旅などではなかったはずで、厳しく自己と向き合いつつ培ったものから生み出されたものが、あるかたちをなしたのだと思われる。そして自分の道に生きた利休の最期は、壮絶なものであった。
「反橋」で継母が五歳の主人公へ告知するのに、住吉の反橋の上が選ばれているのは、そこが特別な聖なる場であったことにほかならない。住吉の神は、航海の神として知られているが、また託宣の神でもあり、和歌で神示する神としても名高い。母は住吉の神の持つ霊的な力を心に恃(たの)んで、そのような重い真実を、わずか五歳の子に、できるだけ早い時期に告げておこうと決意したのであろうか。まるで住吉の神の託宣を告げる巫女であるかのように・・・・。幼い子にそのような告知をするのは残酷なことで、普通なら考えにくい。継母としては、できるだけ早く告げたほうが、心は楽になるわけであるが・・・・。作中で継母が告知を行う、そのための「場」として用意されたのは、くつがえる、という意味の反の字を持つその名も「反橋」の上であった。
幼時に実の母を失ったという悲哀は、主人公の「私」の心の底にまで深く染み込んでいて、結局はその呪縛から離れることはできなかったようである。けれども本当の母親の姿は朦朧としていて、作品中では一度もしっかりした像を結んではこない。継母、実母、父親との関係も、読み手が勝手に推測するしかなく、間違っているかもしれないので、つながり方を確信してこうと言いきることもできず、友人の須山にしても、まるで「私」の分身か淡い影のような存在として描かれている。川端のある種の作品群が、神秘色に染められ難解ともいわれる所以であろう。
なんでも作者はこの連作をもう一作か二作、続けようと模索していたようでもあるらしい。もしそうだとしたら、次作にはどんな内容が盛られ、どう展開される予定であったのだろう。作者の死により、もうその先を知ることはできなくなってしまい、残されたこれら四篇の作品の中でしか、主人公と継母とのかかわり、生母と継母である姉妹の間の葛藤、また作中には一度も姿を見せない父親と姉妹との真の関係、それらを読み解く手だてはないのだが、よく確かめようとして改めて読み進んでいると、ふっと話の行き先がとだえて無となってしまい、もう作品世界は閉じられているのであった。
「反橋・しぐれ・たまゆら」(講談社文芸文庫)