一四国の一宮一 田村神社(讃岐一宮)
一四国の一宮一 田村神社(讃岐一宮)
高松市に着いたのはもう夜であった。予約していたシティホテルがわかりにくかったので、ちょうど自転車に乗って前方からやってきた若い人に聞くと、方向を教えてくれた。お礼を言いそのまましばらく歩いていると、その人が引き返してきて、ホテルまで案内するという。
「でも、今から家に帰られるところだったのでしょう」
恐縮していると、その人は自転車を押しながら歩き出した。
「実は明日、母親が手術するんです」
手術の前夜、困っている旅行者に会ったのに、自分は親切が足りなかった。今ここで人のためになることをすれば、もしかして明日の手術が成功するかもしれない、そのことに気がついて戻ってきたのだと、男性はぽつりぽつりと語った。
善行を積めば良い結果が返ってくるのではないかと、わらにでもすがりたいような思いがあったのだろうか。考えてみれば、香川県は弘法大師の生誕地であった。ここはたぶんお大師さん信仰の厚い地だろうと思われるし、男性が明日の手術を心配し、何かふっと人間を超えるものの存在に頼りたくなった気持ちも理解できた。
ほどなくホテルが見えてきた。
「手術がきっとうまくいきますように、お祈りしています」
男性は曲がり角でもう一度こちらに向かって頭を下げると、自転車で元の道へと去っていった。
翌朝、讃岐一宮の田村神社を訪れた。
ホテルに貸し自転車があったので、それを借りることにした。地図を見ながら走り始めたが、途中までは長く緩い上がり坂になっているらしく、少々息が切れた。
やがて鳥居が見えてくる。町の中にある神社であった。主祭神は孝霊天皇皇女、倭迹迹日百襲媛命(やまとととびももそひめのみこと)、その弟の吉備津彦命(五十狭芹彦、いさせりひこのみこと)である。この皇女を主祭神とする神社は珍しいと思う。
五十狭芹彦は、崇神天皇の時代、各地に派遣された四道将軍の一人である。倭から軍を率いて吉備地方を平定し、吉備津彦を名乗った。桃太郎のおとぎ話は、このときの五十狭芹彦と地元の鬼の温羅(うら)との戦をもとにしているといわれている。
当時は皇族将軍の姉妹らも、霊力ある巫女としてこうした遠征に同行し、呪術や託宣や祭祀の役を担ったとされるようなので、倭迹迹日百襲媛も吉備に来て、戦の前には占いや、敵を呪詛するなどその霊力を発揮したかもしれない。
吉備の統治が安定し、勢いを得た倭側はさらなる勢力の伸張をはかり、四国にあった地方勢力も抑えておくことを考慮したであろう。命により吉備津彦は姉と共に讃岐に渡ってきて戦を展開、吉備についで讃岐も平定した後、しばらくの間姉弟で統治していたとも考えられる。古い時代の出来事なので推測に過ぎないが、そういういきさつの痕跡をかすかに伝えるのが、この神社なのではないだろうかとも思う。今回は立ち寄らないが、讃岐の女木島には吉備同様、鬼退治の伝説も残っているそうだ。
鳥居をくぐって境内に入る。本殿を中心にして七福神、天神社、稲荷社など多くのお社が寄り集まっているような感じであった。街中なので社の背後に深い森があるとは言いにくい。樹木はあるものの、そのすぐ近くを県道や国道が走り、ここはいわば道路に囲まれた神社なのであった。
社殿に立ち、手を合わせる。この奧殿の下には池があり、龍が棲むと言い伝えられている。かつては豊富な湧水があったといい、水の足りなかった讃岐では貴重な水源の一つとして尊重され、水神が祀られたのであろう。水面を覗くことは許されず、見たものは命を落とすという。底なしの深さを持ち、その蓋は今も固く閉じられたたままで、一度も開けられたことがない神秘の池であるらしい。
本殿近くには姫の宮がある。倭迹迹日百襲媛が生きたのは崇神天皇の頃である。霊能を持つ高貴な女性が神の声を聞いて祭祀を担い、大王が実際の政治や軍事を行ういわゆるヒメヒコ制の時代でもあった。
倭迹迹日百襲媛は、山背(やましろ)の武埴安彦(たけはにやすひこ)とその妻の反乱を事前に予知して大王を補佐し、また飢饉や疫病が続いて民の流亡が続いたとき、神祭りに関する適切な託宣を行って事態を救うなど、その霊能の力が大いに発揮されたことが日本書紀に見える。けれどもこの女性は、三輪山の神にまつわる伝承でも知られている。
倭迹迹日百襲媛(やまとととびももそひめ)は三輪山の神の妻となっていたのだが、夫神はいつも夜来て朝には帰ってしまうので、あるとき姿を見たいと思い、夫神にそういうと、朝に櫛函の中に入っていよう、そのかたちに驚かないように、と答えた。媛が函を開けてみると、うるわしい小さな蛇がいたので、驚いて思わず叫んでしまい、夫神は私に恥をかかせた、といって大空を踏み、三輪山に帰っていった。その後、媛はほとに箸が刺さって、亡くなった。その墓は箸墓といい、昼は人が作り、夜は神が作ったという。(日本書紀 崇神記)
倭迹迹日百襲媛は三輪の箸墓古墳に眠るとされ、この女性が卑弥呼であるという説が近年高まっている。百襲媛と吉備津彦は姉弟であるので、すなわち卑弥呼と桃太郎が姉弟であるという説が生まれることになる。もしそうであれば、この神社の祭神は卑弥呼と桃太郎ということになる。これは考えられる最強の組み合わせでもあったろう。
赤く塗られた小さな鳥居の姫の宮を見つめる。境内にはほかに百襲媛が手を洗ったという花泉(はなのゐ)や、ごや(烏芋)という黒クワイを食べて熱を出したとき、侍女が袂で水を汲み介抱したという袂井(たもとゐ)があるそうなのだが、どれがそうなのかよくわからないまま、通り過ぎてしまった。
帰りは下り坂であるので楽であった。栗林公園に立ち寄って広い庭園を見学し、その後は讃岐うどんの店を探しておうどんを食べ、夕刻、高松港からフェリーに乗って神戸までの帰途についた。
甲板に立って少しずつ暮れていく島影を眺めていた。ふと昨夜出会った母親思いの青年のことを思い出した。手術は無事に終わっただろうか・・・・。
この日瀬戸内海の海は静かで、うねりもなく船は進んでいく。小豆島が近づきやがて遠ざかっていく。船上から島にともる灯の色をいつまでも見つめていた。