金蔵寺の紅葉
金蔵寺の紅葉
白洲正子さんの「かくれ里」の中に「西岩倉の金蔵寺」という文章がある。それによると、白洲さんは車で西山の善峰寺へ紅葉を見に行くつもりだったのだが、不慣れな運転手さんが山へ上がる道を間違えてしまい、着いたところは金蔵寺だった。でも金蔵寺は、実は以前から白洲さんが行きたいと願っていたお寺で、行きにくい場所にあったために、あきらめていたらしい。白洲さんはこの偶然を喜び、境内を歩いてみて「善峰よりもはるかに静かで紅葉も美しい」と賞賛しておられる。寺の近くの「産の滝」をみてそれについての詳しい記述もみえる。
私は金蔵寺の名は、知ってはいたが、一度も行ったことはなかった。乙訓の地に住んで、二十年以上になるのにもかかわらず、金蔵寺の名は、大原野へ行く途中、分岐でその表示板をちらっとみるぐらいであった。地元でも知名度はそう高くない。人里離れた山中の寺というイメージである。
改めて西山の地図を開いて確認してみると、金蔵寺は善峰寺と勝持寺の間、どちらかというと大原野寄りにあった。善峰寺は西国三十三箇所の札所のお寺だし、勝持寺は西行が庵を結んだと伝えられ、西行桜で知られる花の寺である。近くには大原野神社の名も見える。有名寺社の間で、金蔵寺は目立たない。
十一月の終わり近い晴天のある日、文庫本の「かくれ里」と地図をリュックに入れ、自転車で金蔵寺まで出かけてみることにした。
今日は立ち寄らないけれども、西山粟生の光明寺の前の道に差しかかると、人と車の列で、山門のあたりは混雑していた。光明寺は紅葉の名所なので、遠くから観光客が訪れる。確かにここの紅葉はきれいで、またみごとなものなのだが、普段のひっそりとした境内の雰囲気を知っており、ついその情景を思い浮かべてしまうので、急に増えた人と車の数に圧倒され、かいくぐるように自転車を押して、狭い道路を抜けて行った。
ようやく人波が切れ、竹藪の道を小塩山のほうに向かって息を切らしながらペダルを踏んでいく。藪が終わると、のどかな田園風景が広がっている。十輪寺(業平寺)の坂の手前では、善峰寺に行く車に向かって声をからして呼びかけ、交通規制をしていた。今日は善峰寺方面も混んでいるらしい。
低く連なっている西山は、錦繍の山々という言葉がふさわしい秋の色であった。心が落ち着くような穏やかな色調が山を彩っている。黄と朱と緑に染まった山麓を左手に眺めながら、大原野に向かって少し進み、村の鎮守の社という雰囲気の大歳神社の境内で休憩する。大歳神社には、農耕の神と土地の石作神がまつられている。石作は光明寺裏の山地の地名で、きっとこの辺りは古くからよい石を多く産する地だったのだろう。
第十一代垂仁天皇のとき、后の日葉酢(ひばす)媛のための石棺を、この地から献上したという言い伝えがあるのだそうだ。日葉酢媛は丹波の王の娘で、妹たちとともに大和の大王に嫁いだとされる。
この辺りは、大原野を経て沓掛、大枝、老ノ坂、亀岡へと続く、いわゆる丹波街道と呼ばれる古代の道筋に当たっている。長岡京市内には今も丹波街道の表示があり、今日私が自転車でやって来た道も、その古代の道に沿っている。
日葉酢媛たちの婚儀の列は、もしかしたらここを通って川沿いに下り、大和へ行ったのかもしれないと思う。
その日葉酢媛の墳墓は大和西大寺の北側、佐紀の地にあるのだが、后の故郷である丹波国境とも近いこの西山の地から、わざわざ石棺を運んだという。いまも西岩倉と呼ばれるくらいだから、ここは磐座の地であり、聖なる地とみなされていたのだろう。ここの石を棺に用いるということの意味には、鎮魂の意味もこもっていたとも考えられる。
大歳神社は無人の小さな社であるが、古くは栢(かや)の森といわれていた。昔は栢の木が多かったのだと思われる。きっと深い森が広がっていたのだろう。でも今は鳥居前を道路が通り、住宅も立ち並んでいて、境内には栢の森はみられない。
住宅地と田園の中の道を抜けて、少しずつ山へと上がっていく。勾配がだんだんきつくなっていくのがわかる。電動自転車ではないので、限界が来る前にと、道路脇に自転車を止めて、あと二キロ近く、里山の田園風景の中を徒歩でゆくことにする。
道は一本道で迷うこともない。車道ばかりを歩くのも、と思い、旧参道らしい小道に入ってみると、そこは落ち葉が厚く積もる静かな道だった。木漏れ日を浴びながら歩いていくと、色鮮やかなもみじやイチョウがはらはら降ってくる。黄金のような時間であった。ところどころに椎の実も落ちている。竹林も見え隠れする。落ち葉を踏みしめながらその感触を楽しみつつ、雑木林を抜けていった。
金蔵寺の開祖をまつる墓や不動堂があって、その傍らを過ぎていくと、いつの間にか集落の中へ入りこんで、道が狭くなってきた。生活道路を歩いていると、軒先に丹精された菊の鉢が目の前に並んでいて、実のなった柿の木があって、山茶花の陰から猫がふっと現れて横切ったり、冬期の漬物用なのだろう、白菜や大根がたくさん庭先に干してあり、それをぼんやり見ていると突如犬が吠えかかってきたりする。山里の生活の様子がしのばれた。
岩倉川という川に沿って上がっていくと、せせらぎの音が耳に快く響いてくる。大きな川ではないが清流である。だんだん山は深くなり、見上げると遠くの山の黄葉も陽を受けて輝いている。
遠く近く滝の水音が聞こえてきた。その水の音に惹かれるように近づいてみると、落差約十二メートルの「産の滝」があった。本来は三の滝といったらしい。白く砕ける滝水の近くには、そこだけ空気が違うような、しんとした冷気が漂っている。昔の人はこれを霊気と感じたのだろう。ここで向日神が生まれたという伝承があり、そのためこの滝は産の滝と呼ばれているそうだ。神が生まれたという言い伝えは、この山中の清澄な風景のただ中に、古代の人の目に神が出現したと感じられたからなのだろう。
この川をさらに溯っていくと、これよりは落差の小さい一の滝、二の滝が山中にあるというが、今日は探してみる余裕はない。山はここからさらに深そうである。三つの滝の中では、今見ているこの滝が一番大きいという。
水辺に下りて、滝水に手を浸してみる。周囲の樹木は滝を覆うように茂っていて、その緑は濃い。濡れて黒ずんだ大きな一枚岩が、目の前にぐっと広がってみえる。この岩がいわゆる磐座なのだろう。白洲さんも確かそのような意味のことを書いておられた。
白洲さんの考えによると、この産の滝こそが古代の磐座であり、ここを遥拝するために、金蔵寺があるのではないかとみておられる。そうなるととても重要な場所かとも思われるのだが、みていると、やってくる人たちは、あっさりと素通りしていく。境内の紅葉に気がせくのだろう。ときどきタクシーが止まって、お客さんは少しの間、車中から滝を見ていることもあるようだが、すぐに発車して行ってしまう。人々の関心は滝にはないのかもしれない。
古代人はここを神の降臨の場と崇め、神聖な場所と思って、滝の水に身を浸し、水辺に額ずいて礼拝を繰り返したのだろうか。そんなことを思いつつ、流れ落ちる滝水を見ていた。岩を打つ水音だけが周囲に響くほか、物音はしない。ふっと時間が消え、古代が顔を覗かせてくるようだった。しばらく水の響きに耳を傾けていた。
滝を出て、右手の道を登ると山門が見えてきた。金蔵寺は女帝元正天皇の勅願で創建されたといい、聖武天皇ともゆかりのある寺という。時代が下って、平城京から遷都した桓武天皇も、ここを西の鎮めの寺とし、境内に一切経を埋めた塚を立てたと伝えられる。因みに北の鎮めの山は愛宕山で、東は比叡山、南のほうは、どこかわからないそうだ。
ここ西山の地は、もともとは古代の自然信仰の聖地であったため、鎮めの地に選ばれたのかもしれない。多くの大きな自然石、磐座が山中にあったので、古くから信仰の対象であったことが推測される。さっきの川は岩倉川だったし、ここへ来る途中立ち寄った大歳神社の近くの地名は石作であった。石、岩に因む地名が多いのである。そういえば上ってきた車道の脇にも、大きな石がごろごろとあった。
門の入り口に寺の人は詰めておらず、訪れた人は志納金二百円を自発的に賽銭箱に入れるようになっている。
山門をくぐると、燃えるような赤い色がまず目に飛び込んできた。石段の両脇に紅葉が炎のように広がっていて、思わず立ち止まって見とれる。石段を上がりきると、境内にはカメラを構える人や、水彩画を描く人など、それぞれの趣味の時間を楽しんでいる人たちがいた。
紅葉は確かに美しい。ここは来るのに不便なところなので、この紅葉の鮮やかさ、みごとさの割には、訪れる人は少なく、寺の中にはゆっくりした時間が流れているように感じられた。手水舎にも干し柿が等間隔に吊るしてあって、風に揺れている様子が面白い。木々の紅葉の微妙な色の移り具合を眺めつつ、境内をゆっくり散策する。
右手には泉が見える。寄ってみると、普通はこうした水面は木の葉やごみくずが浮いていたり、黒くよどんでいたりするものだが、枯葉ひとつなく、水は澄んでいた。水口の周囲もきれいに掃き清められて整えられている。よほど気を使って清浄に保つ努力をしているのだろうと思い、感心した。
この泉と、向日市にある向日神社の増井の井戸は、地下でつながっているという古くからの伝承があるのだそうで、そのため上の泉は、濁らないように絶えずよく管理されているらしい。
以前向日市の長岡京大極殿跡を訪れたとき、近くの向日神社にも立ち寄って古墳を見学したが、その井戸のことはちょっと気がつかなかった。そういえば境内に黒っぽい古い井戸があったような気もするのだが。
金蔵寺は、思っていた通り山の中の静かなお寺であった。紅葉の時期でなかったら、ほとんど人が訪れることもないような気がする。境内の経塚は古く苔むしていて、見晴台からは少しかすんでいたが、乙訓地方の風景が眼下に眺められた。
こんなに高いところまでよく上ってきたものだと、改めて景色を眺めていた。境内を歩いていくと、どこも散りかかる紅葉であった。書院の中が開放されていたので、入って畳の上に座り、庭を拝見していると、風に揺すられて一枚また一枚ともみじが舞い落ちてくる。庭先は秋の色が敷き詰められたような彩りであった。