石 仏 の 里
石 仏 の 里
昨年の秋、当尾(とうの)の石仏群を訪ねて、岩船寺から浄瑠璃寺の辺りを散策した。
JR加茂駅からバスで岩船寺に向かう。山門脇に苔むした石槽が置いてあり、僧がこの石風呂で身を清めたとあった。寺の創立は古く聖武天皇の時代であるという。
境内の池には鮮やかな朱色の三重塔が映っていた。本尊は行基作の阿弥陀如来、他に象に乗る普賢菩薩などで、見ていくと暖かい木の温もりが伝わってくる。
お寺を出て、石仏巡りのコースに入る。石仏の多くは鎌倉時代の作という。まず「弥勒の辻」へ。
細い線彫の弥勒仏が一体、明るい秋の陽を浴びて立っていた。野草が茂る山里ののどかな風景の中を歩いて「笑い仏」の前で立ち止まる。阿弥陀仏の優しい微笑を見つめていると、こういう野の仏に会いたくて、ここへ来たのだと、心に感じられるものがあった。
更に山道を上っていくと、藪の中に「一願不動」を見つけた。地図を頼りに点在する石仏を探すのは、ウオークラリーに似た楽しさがある。無人の販売所で干し柿、みかんなどを買い求め、食べながら歩いていく。
次は「からすの壷」の地蔵仏、更に畑の中の「一鋤地蔵」「愛宕灯篭」を経て進むうちに、浄瑠璃寺に着いた。
ここは燃えるような紅葉で、樹木の間を潜り抜け、中央の大池を回っていくと、その景観の見事さに息を呑んだ。伽藍配置が極楽浄土の再現という説明も頷けた。本堂にある静かな瞳の九体阿弥陀仏などを拝観した後、再び石仏の道に戻っていく。
山里の道は秋の色が濃く、枯れたススキの穂や萩の葉が風に揺れていた。おびただしい無縁仏を集めた寂しい場所を通り過ぎ「大門仏谷の大阿弥陀」を見に苦労して道を降りていくと、そこには高さ六メートルの大岩に、力強い輪郭で仏が刻まれていた。
昔あったはずの寺院は跡形もなく、荒れ果てた枯れ草の中に仏だけがぽつんと在る。しばらくそこに座っていた。今日は朝から多くの仏に出会った。忘れられた野の仏たちは、畦に投げ出され、藪の中に斜めにかしいだままの姿で、あるいは半ば土に埋もれ、伸びた草に覆われながらも、訪れる人に微笑みかけているのだった。
かつてこの地に栄えた奈良仏教は相次ぐ戦乱の中で力を失い、伽藍も焼失し、石仏だけがこうした形で路傍に残ったのだろう。
名残惜しい気持ちで、暮れかかる秋の山を眺めながら、加茂の野の道を歩き始めた。
(2005.11.16)