一北海道の旅一 (一)
知床五湖 知床岬クルーズ
一北海道の旅一 (一)
知床五湖 知床岬クルーズ
女満別空港からウトロまで、約一〇〇キロメートルの距離をバスで移動した。菜の花が風に揺れる網走市内を離れると、窓の外には広大な畑が続いていく。北海道の作物といえばまず思いつくのは、とうもろこし、じゃがいも、てんさい、小麦、大豆・・・・何が育ちつつあるのだろうかと、規則的に並んだ畝の葉を見つめる。道路は定規で引いたような直線道路、民家は少なく、対向車も、歩行者も見かけない・・・・それが初日の印象であった。
左手に青いオホーツク海が見えてくると、爽やかに視界が開け、水平線に大きな広がりが感じられた。バスはやがてオシンコシンの滝に近づくが、観光バスではないので、速度を緩めずにそのまま通過、目を凝らすものの、扇のように広がった白い滝水が、走り過ぎる車窓からちらっと見えたのみであった。海上に目を向けると、不思議なかたちの雲がたくさん出ていて、空想動物が空中で雄大に絡み合うような面白い構図、見とれているうちに、バスは夕暮れ近いウトロの町に着いた。
知床五湖・フレペの滝
ウトロで一泊、翌日、十五キロほど離れた知床五湖を訪ねた。バスで山中に入り、五湖の入口まで行く。そこからは、ガイド引率(有料・かなり高額)で複数の湖沿いに散策するコースと、無料で一湖まで歩く高架木道コース、に分かれるのである。無料のほうを選び、木道を歩き始めると、風はひんやりと冷たく心地よい。
高架木道には両側に電気柵が設置してあり、これはヒグマ対策とのことであった。知床半島はヒグマの生息地として知られ、五湖付近でもこの時期はよく出没して、コースに目撃情報があると、散策ツアーはそのつど中止になるという。
そういう話を聞くと、思わずヒグマを目で探してしまうが、動物園ではないのでいつでも会えるとは限らない。好奇心と恐怖心が入り混じり複雑である。木道を進んでいくと展望所があり、そこでベンチに坐ると、目の前には青い鏡面のような湖が広がり、その背後には冠雪の知床連山がそびえている。うっとりするような景観である。
五湖に流れ込む川はなく、湖水は知床連山に降った雨や雪が地下水となり、窪地に湧き出て溜まったものという。空気は澄み渡り、近くの林からはひとしきり波のように鳴いては止み、またものうく鳴き始めるエゾハルゼミの合唱が聞こえてくる。ヒグラシほど高い声ではなく、哀調も帯びてはいない。カジカガエルが間のびした声で鳴いているとも聞こえ、じっと耳を澄ませていると、読経を聞いているような感じに陥り、頭のどこかが軽く痺れてきて次第に蝉界に引き込まれていく。自らの命のはかなさを歌っているようなエゾハルゼミであった。
知床連山のうち、最高峰は羅臼岳(標高一六六〇メートル)。雲がかかっているが、風で雲が切れると、その稜線が姿を表してくる。王者の風格が感じられ、ところどころに雪が残る堂々とした山容であった。
湖の周辺を見回すと、なだらかな丘陵地が続き、草原には笹やしだが生い茂り、黄色い花が見え隠れする草の間にエゾシカの姿もみられた。団体客は次々バスから降りてきて、にぎやかに通路を進み、記念撮影に余念がない。なかにはパンプスを履いている人もいた。たしかに整備された散策路ではあるが。
考えてみれば、人が歩くことを許されているのは、地面から数メートル上に設けられた高架通路のみであった。人は高みに設けられた安全地帯から、限定された景観を眺めて楽しみ、湖近くに降りることすらできないのであった。自然保護という観点に加え、数年前に観光客が行方不明になった事件があり、安全面も考慮してのことらしい。もっとも有料コースのほうは、引率されて実際に湖の岸辺を歩けるそうであるが・・・・。
周囲を見回すと、通路設営時に邪魔になる木は整備のため伐られたようで、完全に自然のままというわけでもないらしく、観光用の工夫や演出も透けてみえる自然散策路であった。
高架通路を引き返していると、林の中で動く黒い動物の親子の姿があり、手すりから観光客がその様子を見つめていた。ヒグマであった。じっと目を凝らすと、遠望ではあるが、たしかに野生の熊らしいものが、茂みを歩く姿がとらえられた。
北海道の野生動物といえば、キタキツネ、エゾシカ、オジロワシ、タンチョウ、クマなどが知られている。旅を始めるにあたり、そのうちのどれかひとつにでも出会えたらいいなと、ひそかに願ってはいたが、二日目にしてかなったのだった。
羅臼岳が望まれる岩尾別でバスを降り、川沿いに少し歩いてみた。さすがに川の流れは清冽で水量も多く、手を浸すと驚くほど冷たい。せせらぎの音を聞きながら岸辺に坐っていると、対岸の斜面にエゾシカが一頭現れた。観察していると、人間を気にする様子もなくゆうゆうと草を食み、急勾配の傾斜地をゆっくりと進み、やがて崖を上りきると姿を消した。
知床自然センターでバスを降り、フレペの滝まで片道一キロを散策した。道はなだらかである。薄暗い森を抜け、開けた草原の中を歩いていくと、エゾシカが三頭、すぐ近くを歩いてゆく。のんびりした表情のまま、人を警戒しているようにも見えず、黙々と草を食べ続けていた。遠くには知床連山がそびえている。まだらに雪の残る景観に見とれつつ海の方向へと進んでいく。
草原の道が尽きると海に面してあずまやがあった。そこは断崖絶壁になっていて、岩の間から水が幾筋も湧き出ていて、海に流れ落ちていく。落差約一〇〇メートル、フレペの滝であった。フレペとはアイヌ語で赤い水(夕陽に染まって赤く見えるのだとか)という意味だそうである。滝は岩から涙を流しているような印象を与えることから、別名乙女の涙といわれているという。
滝の上には川はなく、知床五湖と同様、地下水が岩盤の間を縫って流れているそうである。この辺りは古に羅臼岳の火山活動が活発だった頃、溶岩が流れ出て形成された地形で、その名残が、このように岩から水が染み出て海に落ちるという珍しい滝を生み出しているという。水を通しやすい層と水を通さない硬い岩盤、地下水という組み合わせによる現象であるらしい。
切り立った断崖は近づくのもおそろしい。滝の全景は海からでないと見えないが、やや斜め上方から滝を眺めることができ、ぎりぎりの地点にたたずんで、崖と流れ落ちる水を見つめた。先ほどの知床五湖よりも、遥かに強く迫ってくる大自然の力を感じ、目の前に広がる光景に畏怖の念を持った。
ウミウ、オオセグロカモメなどの海鳥が鋭い声で鳴きながら、たえまなく海上を旋回していく。群生地のようである。わずかな岩の隙間や窪みを見つけては巣をつくりヒナを育て、海と巣を往復しているのだろう。
海鳥の動きを目で追っていると、崖の上の斜面に、可愛い小鹿たちを連れたエゾシカの家族が現れた。草を食んで移動していくその様子をしばらく観察する。母親と子どもたちなのかも知れないが、一家はゆっくりと柵を越えて道を横切り、丈の高い草が揺れる野原に入り、やがて姿が見えなくなった。
知床岬クルーズ・オロンコ岩
知床とは、シリエトク(地の果て)というアイヌ語からきているという。ウトロ港から観光船に乗って、知床半島を海から眺めることにした。知床岬まで行って引き返す三時間半のコースである。大型船なので揺れも少なく、六月半ばではあるが、寒さ対策にセーターとアノラックを着て風の強い外甲板に立ち、景色を見つめた。半島の成り立ち、岩や滝の説明がテープで流れるなか、突如、左舷にイルカ、という放送が入り、海上に目を向けて探すと、たしかに波を切って進む黒い背びれがあった。イルカはこのあと何組も現れ、まるで船と伴走するようにひとしきりついてくるのであった。
知床半島は切り立った崖が連続している。大型船なので海岸には近寄れないが、昨日訪ねたフレペの滝も海上から眺めることができて納得した。幾筋もの涙が海に注いでおり、静かで優しい滝に見えた。
知床連山は、はじめのうちはよく見えていたが、霧がかかりはじめ、船が進むにつれて霧は深くなり、山容は隠れて見えなくなった。しばらく白い海霧に包まれる。何も見えない時間が続くと、白い魔にとらわれたようで不吉、不安な感じもする。ぼんやりとして遠近感がなくなり、この世でない夢の中にいるようである。それでも目を凝らしていると、濃い霧が前方に現れたのがわかる。霧の中にさらに白い霧があり、白い帯となってたなびき、それは海面近くを水平に移動してゆく。筋雲のように空中を漂いつつ、尾はどこまでも長く延びて、最後は風と混じりあう。美しいとも思えるし、魂を持つ生物のようにもみえて、どこか不穏でもある。霧の境界が溶けて幻のような雰囲気が醸しだされ、異界を見ているようであった。
気がつくと細かい水滴でアノラックが濡れ、身体が冷たくなっていた。重なり合う霧の出現に、心が奪われていたのだった。海霧は、冷たい海水に、暖かく湿った風が吹き込んだとき、発生する。そして海面から風が吹き上り、また山から吹き降ろす風がぶつかったとき、おそらくこういう現象を起こすのだろうと、頭ではわかってはいるが、それを神秘ととらえそうになる自分がいた。
進んでいくうちに霧が少しずつ薄くなり、白い世界は後ろに遠ざかっていった。まるで夢からゆっくり覚めていく感じである。立ち込めていた霧から抜けると、情景に色彩が戻ってくる。浜には小さな番屋が点在していた。漁師が夏の間に泊まり込んで、漁の作業をするための小屋である。岩の多い海岸線の様子もはっきりし、背後の山の輪郭も鮮明に姿をあらわしてくる。
昔よく聞いた知床旅情の歌が繰り返し流されるなか、船は知床岬に至った。その先へはもう行かない。岬が折り返し点で、灯台の立つ風景を眺めたあと、船は方向転換し、またもとの港へと引き返していくのである。
若い頃に、北海道を旅したとき、ウトロ港から知床岬を回って羅臼まで船に乗ったことを思い出した。聞いてみると、その航路は廃止になり、今は知床岬まで、ということであった。時の流れを思いつつ、岸に寄せていく波を見つめる。
若い日にもやはり船上で同じ歌を聞きつつ、青く深い海と岬に見入ったのだった。夏の日差しが照りつけ抜けるような青空であった。よみがえる二十代の日々。頼りない未来への夢を抱えた若い日の自分がそこにいるようであった・・・・。
帰りは同じコースなので、風景も二度目、おさらいになる。退屈するかもしれない客への配慮であろう、乗務員は野生動物の出現を気にかけていて「前方海岸にエゾシカ」「岩の上にクマがいます」などと珍しいものが目に入ると、すぐに放送で教えてくれるのだった。それを聞くと、甲板に集まった人たちは目を凝らすのである。遠いので黒い点くらいであるがヒグマを確認、昨日に続いて二度も見ることができた。
船を下りてから、港の近くにある海を見下ろすオロンコ岩に登ってみた。高さ約六十メートルという、どっしりした大きな岩である。ただ岩は完全なかたちでなく、トンネルが通してあり、そのため岩は筒状に一部をえぐられている。岩は観光船が発着する港への道を塞ぐような位置にあった。見上げると、岩襞に営巣しているたくさんのウミネコが辺りを飛び交い、絶え間なく鳴きたてて騒々しいほどである。
オロンコ岩の名の由来は、先住民のオロッコ族がこの地に住んでいたからという説と、アイヌ語の「そこに坐っている岩」を意味する語からと二説あるそうだ。オロッコ族はウイルタ族のことで、ツングース系の人々であるとか。オロンコ岩にまつわる伝承では、アイヌの人々とあまり仲がよくなかったようである。伝承をみてみよう。
・・・・昔、オロンコ岩は島であった。アイヌの船がここを通ると、オロッコ族は石や丸太を投げつけ、船を壊し、物を奪うなどのなどの悪さをした。アイヌ側は何度攻めても、断崖絶壁の上から岩を落とされて、負けてしまう。それであるとき、アイヌの人々は考え、夜のうちに海草を集めて、鯨のかたちに似せた大きな人形を作り、そこへ川から取ってきた魚をくくりつけて海に浮かべた。朝になって、海鳥が騒いで魚をつついているのを見たオロッコ族は、それを流れ寄ってきた弱った鯨と思い込み、皆喜んで岩から降り海辺へと走った。岩陰に隠れていたアイヌは、オロッコ族を取り囲み、全滅させたそうである・・・・。
巨大な動物がうずくまったような重量感のある岩である。入り口は一箇所で、海を眼下に見ながら崖に刻まれた階段を上っていく。勾配はかなり急である。息を切らしながら頂上に着くと、上部は平坦になっていて、回遊できる遊歩道が設けてあり、お花畑になっていた。エゾカンゾウの黄色い花が満開で、開いたばかりの朱色のエゾスカシユリも鮮やかである。ハマナスは季節には早いらしく、つぼみは多いものの開花はまだであった。センダイハギ、エゾタンポポに混じり、優しい薄紅色のエゾカワラナデシコが、岩の窪みでひっそりと風に揺れているのがなんとも可憐であった。
頂上から曇りがちの空と海を眺める。水平線は遠く霞み、海の色は青鈍色である。また霧が出はじめて、それはみるみるうちに広がって、辺りは白い世界になってゆく。オオセグロカモメがすぐそばをかすめて鋭く鳴きながら飛んでゆき、海からは霧まじりの強い風が吹きつけて、足元の板の通路は濡れていった。視界は閉ざされていく。こんな風にしょっちゅう深い霧が立ち込めるのであれば、この地域に住む人たちは、海霧を重く息苦しいものに感じているのかもしれないとも思う。
古にここでオロッコの人々とアイヌの人々は、命をかけて戦ったのであろう。そのあとも色んな時代に、人々の争いが繰り返されたのかもしれない。かつて島だったという岩は、時を経て、川から運ばれてきた土砂が堆積し、陸地の岩となった。今はオロンコ岩と名づけられて市内名所のひとつ、威容を誇った大岩も、観光のために削られて穴を開けられ、変貌した姿のまま、船着場を見降ろしているのであった。
(二へ続く)