立山の蝶
立山の蝶
標高2000メートルの弥陀ヶ原でバスを降りると、柔らかい緑の湿原が目の前に広がっている。地図を広げ、今からどういうコースで歩こうかと、夫と相談しながら周囲を眺めると、大きな建物が目に入った。バス停の近くには二箇所の宿泊施設がある。
「あそこだったなあ」
夫がその一つを指差したので私も頷く。夫も建物を見て、ふっと思い出したのだ。
随分前のことになるが、夏休みの家族旅行でここに来た折、その宿に二泊した。朝、着替えなど衣類を詰めた白いスーパーの袋を二つ、部屋のリュックの横に置いたまま、家族で湿原歩きに出かけた。夕方帰ると、スーパー袋がなくなっている。慌てて探し回ると、お掃除の人がごみと勘違いして持っていき、捨ててしまったということだった。袋は既に焼却炉の中であった。
何が起きるか分からないものだと思った。スーパー袋をリュックにしっかり結びつけておかなかったことが悔やまれた。旅先のことで手持ちの衣類が少なく、お風呂の後、大急ぎで洗濯をし、その夜のうちに乾かさねばならなくなった。せっかく旅行に来てのんびりするつもりだったのに、家と同様、洗濯やら干し物に追われたのである。
そのとき失った衣類は、金額を概算して言うと、後で宿側が弁償してくれたのだが、気に入っていた服も入っていたので、残念であった。
以後、宿に荷物を置くとか、預けるようなときは、この教訓を生かして念入りに結びつける習慣になり、同じようなことは起きていないが、ここへ来るとつい、そのときのことを思い出してしまった。
木道を歩いて湿原に入ってみる。池塘といわれる小さな池や沼が点在し、その周辺にはチングルマが群生していた。白い五弁の可愛い花なのだが、既に花の時期は終わり、散った後の花柱が糸のように集まって長く伸びて、その形はちょうど薄茶色の風車のような感じになっている。朝露に濡れて、足元で吹く風にくるくる回っているかのようにみえる。ちょうど髪の毛で作ったかざぐるまである。
チングルマという変わった命名も、実はこの形に由来し、稚児車(ちごぐるま)という玩具を連想させるからであるとか。白い花も清楚な感じでいいが、花の後の、この風変わりな形状は面白い。
木道はあちこちで左右に分かれていくが、一の谷へ向かう右手コースを取ってみる。川を渡り、多少のアップダウンを繰り返すと、所々に雪の残る緑の大日岳が正面に広がっている。実に大きな山である。雲がゆっくりと流れていく。その広がりを眺めながら歩を進める。遠く近く野鳥の声が聞こえ、遠くの山岳道路を室堂行きのバスがゆっくりと上がっていくのが見える。
この道は一旦谷に落ち、上がってそのまま天狗平に続いているので、天狗のほうから降りてくる人たちと時折行きかうことになる。登って行く人はあまり見かけない。
三時間ほど湿原を散策した後、バス停へと戻り、室堂へとバスで上がっていった。以前乗ったときは、バスガイドさんがついて、地名や高山植物の名に始まり、樹木や滝の由来、車窓から見える山々の説明を逐一聞いたと記憶するが、今回はワンマンバスになり、説明はすべてテープで行われていた。滑らかなテープの声は音楽のようで快い響きだが、肉声で聞いたほうが記憶には残る。機械で一方的に流し続けられる声は、一瞬バスの中に広がっては片端から消えていく。
室堂には次々到着するバスから観光客が吐き出され、バスターミナルはごった返していた。一歩建物の外へ出ると、道の表示板には各国語が表記されている。耳慣れない早口の言葉が飛び交い、街を歩くのと同じ軽装の人が、寒さに驚いて剥き出しの肩をすくめている。
今や室堂は国際観光ランドなのだ。万年雪や雪渓が珍しくて人気なのだという。人の列に混じってそこを通り抜け、今夜泊まる予定の室堂山荘へと続く道を歩いていると、道端にチングルマの白い花が沢山咲いているのを見つけた。
弥陀ヶ原では既に花は終わっていたが、ここはまだ満開なのだった。高度差のおかげで、一日のうちに花と風車状の両方の姿を楽しむことができた。室堂は標高2400メートル。もう八月なのでさすがにバス道の高い雪の壁(ポスター写真で有名)は溶けて消えていたが、山の斜面には白いハンカチを置いたように雪渓が残り、緑と白のコントラストが美しい。
時間があったので、山荘近くにある、立山の開祖を祀ってあるという「玉殿の岩屋」を見に行った。急な崖を下りていくと山蔭に洞窟があり、そのそばには音を立てて滝が流れ落ちている。その昔、信仰心に支えられ、山を開いていった人たちは、ここで滝に打たれて修行したのだろうか。谷を隔てて目の前には浄土山、雄山、大汝山、富士ノ折立、真砂岳と山の峰が屏風のように連なって聳えている。しばらくの間そこに佇んでいた。時折冷たい風が吹き抜けていく。
翌朝、山荘を出発して雄山を目指す。立山という山は地図の上には存在せず、修験者や山麓の人たちはこの辺りの山々、一帯を立山と呼んだというが、今は普通には立山といえば、雄山を指す。山頂に神社があって、神主さんもおられるそうだ。
浄土山を右手に見ながらまず一ノ越へ向かう。よく整備された幅のある道で歩きやすい。途中何箇所か雪渓を越えるところがある。雷鳥沢の色とりどりのテント群が左手下にかたまって見える。山々は緑、白、茶色の絵の具でまるで塗り分けたように色がついていて、目を楽しませてくれる。ここで雷鳥が現れてくれたら、もういうことはないだろうと思いつつ歩く。程なく一ノ越に着いた。ここは十字路になっていて、浄土山や東一ノ谷へ向かう道筋が遠くまで見える。
休憩の後、雄山に向かうことにする。急坂で滑りやすく、しかも岩だらけである。浮石が多い。足を痛めたらしいおじいさんが、歯を食いしばり、歩くというよりは、ほとんどずり落ちるような形で下ってこられたので、慌てて道を譲る。捻挫だろうか。気をつけなければと思い、人の倍も休みながら、ゆっくりと登っていくことにする。
実は私は数年前に病気をして以来、体力に自信がなくなり、本当をいうとこういう急坂はちょっと不安なのだ。後から来た人が、どんどん追い抜いて登っていくが、私の進み方はさらにのろくなる。登るというよりは、むしろ這い上がっているのに近い。
富山県では、男の子は立山に登らないと一人前ではないというそうで、学校登山も盛んである。そのせいかどうか、周囲には頑張っている子どもたちの姿が目立つ。小さな手で懸命に岩を掴み、登っていく小学生を見ていると、こちらも励まされる。
ふと遠くに視線を投げると、日本海が見えていた。目を凝らすと水平線が非常に高い位置にある。まさかと思い、もう一度しっかりと見る。入り組んだ手前の海岸線もうっすらと見えてくるが、信じられないほど水平線が上がって見えるのが、何とも奇妙な感じで、感覚的に受け入れられないのだった。考えてみるとここは標高3000メートルあるのだから、地上にいるときと水平線の位置が違って見えるのは当然なのだけれど。
ニノ越、三ノ越を過ぎると、山頂の小屋が近づいてきた。雄山神社の鳥居も見える。山頂には小さなお社があって、そこが3003メートルのピークなのだった。登拝料五百円を納めてお参りすると、神主さんのお祓いがあり、お神酒を振舞ってくれるのだという。上がってみることにする。
山頂の狭い空間に、十人ほどの登山者が詰めあって膝を折って座り、神妙に頭を垂れていると、神主さんの祝詞が始まった。
「遠きところ、近きところより今日ここに登り来たる・・・・老いも若きも男も女(おみな)も・・・・この峰の白雲の如く、心清らかにして・・・・」
ろうそく形の岩山の上に集まって座っているわけだから、下を見ると怖い。でも四方の景色は抜群で、遠くを見れば日本海、北アルプス、南アルプス、後立山連峰、よく晴れた日には富士山、白山まで一望できるのだという。
ふと亡くなった私の母のことを思い出した。母は五十代になった夏に、何か思うところがあったようで、富士山に登った。それは母にとっては大層感動的な旅であったらしく、富士山頂で拾った石を記念に持ち帰り、私に見せながら、出会って親切にしてもらった人のことや、山小屋での出来事を楽しそうに話してくれた。今ここに座っていると何となく母のことが思い出された。
富士山、白山、立山は日本三大霊場というそうだ。ちゃんと聞いてみたことはなかったのだが、母はもしかしたら、三霊山のことを予め知っていて、残る二つの白山と立山にも、できれば生きているうちに登りたいと思っていたのかもしれない。
何年か前の夏、私は山好きの夫に誘われ、白山へ登った。夫は私の母の富士登山のことなど知らないから、白山行きはその夏、夫が偶然思いついた結果であった。無論今回の立山も、夫の発案であった。でも今この雄山の頂きに上れたことで、私は母に代わって、三霊山登拝の母の思いを果たしてあげることができたような気持ちになった。
とりとめもなく、そんなことばかりが頭の中に浮かんでくる。その間にも、祝詞は進んでいき、青空に神主さんの朗々とした声が吸い込まれていく。
足がすくむようなこんな切り立った岩の上の空間に、よくまあお社が建てられたものだと思い、改めて周囲を見回す。
そのとき、一羽の蝶がひらひらと下から上がってきた。こんな高いところにまで飛んで来るのだ。羽にちらりとブルーが光り、上のほうにオレンジ色の斑紋がある、全体に茶色っぽい蝶だった。ベニヒカゲ?名前は分からないが、きれいな高山蝶だった。不思議で、そして愛しい思いにかられ、軽やかな羽の動きに見とれていた。ふだん庭先で見かける紋白蝶は、羽をせわしなく動かして飛ぶように見えるが、この蝶はひらりひらりと空間を舞うような優雅な動きを見せてくれる。すっかり蝶に心を奪われてしまった。
この蝶はひょっとしたら冥界から来たのかもしれない。古代では蝶は霊の世界と人の世を行き来すると考えられていたというではないか。あれは確か「蝶の民俗誌」だったか。私のさっきからの強い思いが母の魂を一瞬冥界から連れ出し、この場に呼び寄せたのかもしれない。母は蝶に姿を託して、束の間その身を現世に顕し、今この空間を行ったり来たりしているのだ。今私は母の霊にまみえている・・・・。
愚かしい幻想とわかってはいても、優雅な舞を見せてくれる蝶の動きからどうしても目が離せなかった。見ているうちに次第にお社も岩山もぼやけ、私自身青い透明な空間の中に浮かび上がり、この蝶とともに空中を漂っているような気持ちになった・・・・。
気がつくと、祝詞は終わっていた。人々が立ち上がり、神主さんから順にお神酒を盃に注いでもらって飲み干している。促されて列の後ろに並びながら、私はなおも空を仰いで、蝶の姿を追うのだった。蝶は社の屋根の近くに上がり、そこにしばらくとどまっているかにみえたが、やがて更に飛翔し、空の彼方に飛び去り、そして視界から消えていった。