野 守 の 鏡
野 守 の 鏡
雑草が風に揺れる野原に小さな沼、遠くに林があって、その向こうに山が霞んで見える、そのような風景が好きである。
先日久しぶりに奈良へ行く機会があった。近鉄の奈良駅からまずは猿沢池を目指して歩く。
私は子供のころ、大和路線の沿線に住んでいたので、休日にはよく家族で奈良公園へ出かけた。
ベンチや芝生で、家族でお弁当を広げていると、鹿が集まって来るので怖かった。鹿は飢えているらしく、真剣に食べ物を狙って突進してくる。茶店のおばさんも、ほうきで鹿のお尻を叩いて追い払っていた。当時は鹿も生きるのに必死だったのだろう。
猿沢池は噴水が上がるモダンな人工池に変貌し、岸の柳の木も周囲が固められていた。変わらないのは池から見える興福寺の五重塔だが、石段を上がって近づいてみると、鍵が掛かっていた。
以前は塔の内部を見学できた。安置してある仏像を見上げたり、古びた塔のきしむ階段を恐る恐る這い登っては、奈良の町並みを眺めた記憶がある。
春日大社の一の鳥居をくぐり、右手の林の中に入ると、小川が流れている。水路沿いに木が生い茂り、枝が重なり合って緑は深い。
湿った草を踏んで進んで行くと視界が開け、遠くに緩やかな山並が連なる草地と小池が見えた。
浅茅ケ原にある「野守の鏡」の池である。思いがけず古代の世界に紛れ込んだ気がして、感慨深く池の面を見つめた。
広辞苑で野守の項を引くと、次のような話が載っている。
雄略天皇が鷹狩に行った時、鷹が逃げていなくなった。人々が探していると、野の番人が俯いたまま遠くにいる鷹の居場所を教えた。
「お前は下を向いたままでどうしてそれが見えるのか」と聞かれた野守は、芝の上に溜まった水を指差し「これを鏡として、鷹の位置を知りました」と答えた。
それ以来、野の水溜りを野守の鏡というそうである。
そこには人の目に見えないものを映し出す、不思議な力が宿っており、行方不明のものだけでなく、時には人の心の中の秘密までも映すと考えられた。
能の「野守」では、天地の実相を映す鬼の持つ鏡とされ、新古今集にも、相手の心が映る野守の鏡がほしい、という歌がある。でもやはり有名なのは、万葉集の額田王のこの歌だろう。
あかねさす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る
額田王は大海人皇子に「番人に見られますよ」と警告しているが、そこには「あの野守の持つという不思議な鏡に映ってしまったら困りますよ」という懸念も含まれていたかも知れない。
(2004・3・3)