松尾山散策 磐座
松尾山散策 磐座
新聞に松尾大社の裏山にある古代の磐座(いわくら)を紹介する記事が載っていた。
松尾山には、神が降臨したと伝えられる幅二十メートル、高さ五メートルにも及ぶ大きな磐座があり、古来信仰の対象となっていたという。これまでは神職だけが参拝していたが、この夏から一般にも開放することになり、歩きやすいように道を整備したという写真入りの記事だった。
大きな磐座のようだ。幸い松尾まではそう遠い距離ではない。興味を感じたので、早速登ってみることにした。京都はここの所連日三十五度の猛暑が続いていて、日中の登山は体力的に厳しそうなので、冷たい麦茶を用意し、朝早く出かけることにした。
松尾大社は阪急嵐山線「松尾」駅を降りると直ぐである。大きな鳥居が見えていて、拝殿の後ろには緑の山が迫っている。磐座があるという松尾山である。
祭神は、古事記にも出てくる大山咋命(おおやまくいのみこと)。ここはもともと古代の豪族、秦氏の祀る神社であったという。少し時代が下るころから、いつしかお酒の神様としても信仰を集めるようになった。
境内にはそのことに因んでか、昔の酒造りの道具、樽なども展示されていて、お参りを済ませた人が立ち寄って眺めている。
社務所で磐座のことを尋ねる。ここから上は単なる散歩やハイキングではないので、参拝あるいは登拝ということになるそうだ。
登拝初穂料を納めると、小忌衣(白いたすき)を渡された。この作法は大和桜井市の三輪山の登拝のときと同じである。杖も借りられる。
受付の左手に滝の音が聞こえるので、寄ってみる。小さくてきれいな滝があった。流れに手を浸してみると冷たくて気持ちがいい。滝の近くは空気も冷えていて心地よい。
向かって右手に道があり、白い御幣が置いてある。各自それで三度体を祓ってから行くようにと書いてある。穢れを清めるという意味なのだろう。
山道に入り、ずっと谷川に沿って登っていると、上流の林の中から鹿が現れた。子鹿だった。人の気配に驚いたのか、飛び跳ねて逃げていく。そんなに急いで逃げなくてもいいのに、と思いながら、遠ざかっていく可愛い後ろ姿を見送る。
歩きながら足元の山道を注意してみていくと、所々に鹿の糞、ウサギか狸などの小動物の糞らしいものが点々と・・・・。
ここ松尾山は標高二二三メートル。そう高い山ではない。ただ今までは全く人が来なかったので、動物たちはきっと安心して生活していたのだろうに。そう思うとちょっと気の毒である。
谷川を離れ、木立の中の山道を上ること約二十分。雑木の間を歩くので、比較的涼しいとは思うものの、立ち止まるとたちまち羽虫が寄ってくる。やがて大杉谷の頂上近くの斜面に、目指す磐座が見えてきた。
なるほど大きい岩である。岩の上にもたくさんの木や植物、緑の苔がついている。ただそれは想像していたような一枚岩ではなく、細かい岩がたくさん集まってできたような感じの岩である。
古代の人は山の中にあるこういう大岩を見て、そこに神聖なものを感じ、神の座にふさわしいと畏怖の念を持ったのだろうか。
大和の三輪山もそうだが、古代祭祀が行われたという磐座をいくつか訪れてみると、そこには共通する地形的な要素があるのに気づく。
山の中にある大きくてどこか不思議な形をしている岩。近くには清らかな谷川か滝、または泉か池。磐座の周囲には杉、檜、楠などの背の高い木立・・・・。人の手の加わらない自然が今も残されていて、神降臨など何らかの伝承もあり、静謐で荘厳な雰囲気が漂っている・・・・。
磐座は神が降臨される場で、神の座、またご神体ともされ、古より信仰の対象となっている。目印としてしめ縄が巻かれたり、幣で飾ってあることも。神が降りられる依り代としての意味を持つという。巨石信仰にもとづく古代の祭祀の場なのであろう。岩陰から勾玉や高杯などの土器、鏡などが出土することもあるらしい。磐座を古代の王の墓所ではないかと考える説もあるという。
古代祭祀、巨石信仰といってもその範囲は広く、一体どの位の時を遡って想像すればいいのだろう。磐座祭祀は古墳時代からという説もあり、その一方で弥生、縄文・・・・それはまだ文字らしいものもなかったような神話的な世界、あるいはそれよりもっと遠い時代の原初的な信仰に由来するという説も・・・・。
山を降りることにする。下りは早くて直ぐにもとの谷川に帰り着く。このまま下ってしまうのは惜しいので、少し細い流れに沿って上がってみることにする。
やがて「水元」と表示のある場所に出た。ここがいわゆる水源地らしい。昔は澄んだ湧き水も聖なるものと考えられたのだろう。杉と檜が立ち並ぶ静かな林の中に、垣でちょうどその地点を四角く囲ってあった。
昔は水がここからこんこんと湧き出ていたと思われるが、今表面の土は乾いている。でも人の目には見えないだけで、地中ではおそらく水はほとばしっているのに違いない。耳を澄ませていると、周囲の林の中を何種類もの野鳥が鳴きながら飛び交っていく。木漏れ日の中、鳥の囀りを聞きつつゆっくり帰途についた。
午前中であったため、暑さはまだしも楽であったと思うが、この日も京都は三十五度を超えて、特有の蒸し暑さは耐え難いものだった。帰りの嵐山線に乗り込んだ途端、すうっとクーラーの冷気がきて本当に蘇る思いがした。