安部公房
「砂の女」(新潮文庫)
安部公房
「砂の女」(新潮文庫)
安部公房は一九二四年、東京生まれの小説家、劇作家、演出家。父親は医師で、母親は若い頃に一篇だけ小説を書き出版している。安部には三歳下の弟がいた。父親の赴任地である満州奉天市で育ち、帰国して東京帝大医学部に学んだ。敗戦色が濃くなると、兵役を回避するため東京を離れ、奉天に戻った。終戦後に父親が病没したため、安部はサイダーの製造、販売で母子家庭の生活を支えた。一家は翌年に引揚げ船で帰国。安部は画学生の山田真知子と学生結婚、東大医学部を卒業はしたものの、文学を志して医師への道へは進まなかった。
満州を舞台にした「終わりし道の標べに」(「粘土塀」を改題)が文壇に認められた最初の作品で、五十一年には、名を喪失した男を描く「壁」で芥川賞。前衛的な作品のため選者の評価は分かれたが、川端康成らの推薦により受賞した。昆虫採集の男が失踪する「砂の女」(六十二年)で読売文学賞。同作品は海外でも広く紹介され高い評価を得、映画化されて話題になった。見知らぬ一家に乗っ取られてしまう「友達」(戯曲)で谷崎賞。ほかには「燃えつきた地図」「他人の顔」「箱男」「人間そっくり」など。
短編「棒」は高校の教科書に採用された。初期にはSF風の作品もあるが、主として不条理を描き、独特のシュールな作風で奇妙な味わいを持つ。ポーやカフカ、G・マルケスの影響を受けたとも。晩年にはノーベル文学賞候補に名が挙がっていたとされるが、六十八歳で急逝した。「飛ぶ男」は未完、遺作は「カンガルー・ノート」。
「砂の女」あらすじ
ニワハンミョウの新種を求めて昆虫採集に出掛けた教師の男は、砂丘の村落に迷い込み、出会った老人に案内されて未亡人の家に泊る。縄梯子を伝って降りた家は砂に埋もれかけ、食事も天井から降る砂のため、女が差し掛ける傘の下で、という状態。そのため砂掻きが欠かせず、夜間労働が穴底の村民に課せられており、見かねて男は女を手伝う。翌朝縄梯子が外されており、閉じ込められたのを知った男は驚愕し怒りに震える。
何度も脱出を試みるが、ことごとく失敗し、犬に追われ湿地に沈みかけて連れ戻される。村落は老人たちが支配する共産主義的な社会で、水も物品も(もしかすれば配偶者も)配給制であった。男は女と関係を持つようになったが、穴の底の生活に適応できず外の世界を夢見る。せめて散歩する自由が欲しいと思い、男は老人と交渉する。女との行為を皆の前でして見せたなら、と言われて、男はその気になったが女は激しく拒絶、力を振り絞って男の顔を殴ったので、男は血を流して倒れてしまい、浅ましい場面は回避された。
やがて男は外界との連絡方法として、烏を捕まえる仕掛けを試すうち、溜水の方法を発見、その装置の研究にのめり込んでゆく。女はラジオが欲しくて内職のビーズ細工に精を出し、男も家事に協力するようになる。やがて女は妊娠、ある日出血して激痛で苦しみ、子宮外妊娠の疑いで町の病院に運ばれていった。女が搬出された後、縄梯子は外されずそのままになっていたが、男はもう脱出しようとはせず、壊れた溜水装置の修理を気にして一人穴の底に戻っていくのだった。・・・・
「パパンデラ・ヤポナ」という短編を、編集者に勧められて長編に膨らませたのが「砂の女」であるという。パパンデラ・ヤポナとは耳慣れない言葉だが、ニワハンミョウの学名で、ハンミョウ(斑猫)は玉虫に似た美しい昆虫。泉鏡花の「龍潭譚」にも斑猫が登場し、鏡花はこの虫を作中で効果的に使っている。
ハンミョウは、誘いかけるように人の前を跳ぶので、別名を道おしえ、道しるべといい、「龍潭譚」の主人公の少年は、何気なくこの虫を殺したため帰り道を見失ってしまう。触れた虫の毒にやられて容貌も変わり、山中の異界へと迷い込み、生死の境をさまよった末に不思議な女に助けられ、女の好意で少年は家に戻されるが、女の棲む村は洪水で消失してしまう、というような話である。(「泉鏡花」の項にも書いている)
「砂の女」もニワハンミョウがきっかけとなって男が異空間に迷い込み、女と出会う話なので、話の枠としては似ている。道しるべ、という象徴性を持つハンミョウが導入部に使われているので、安部はもしかすれば鏡花作品を参考にしたかもしれない。ハンミョウは美麗な虫だが、ニワハンミョウは地味でくすんだ茶色、毒性は持たず、主として砂地に棲むそうである。
鏡花の作品では、親孝行ゆえに少年が山中で迷い、美女に救われる「薬草取」とか、若い僧が山中の異界で妖艶な女に誘惑される「高野聖」など、少年と美女、男と美女の幻想的な組み合わせ、甘美な絡みが見せ場となるが、「砂の女」では男も女もそういう浪漫的な展開にはほど遠い。なにしろ砂まみれの家、汗と砂の中での生身のぶつかり合いなので、どこを読んでも砂から逃れられず息苦しい。
「砂の女」では二木順平という男が、砂丘の村に着くところから物語が始まる。目に映る勾配や傾斜がどこか変で、風景には違和感があり、すでに異界に踏み込みつつあるようなのだが、男にはそうと認識できない。異界はどこかわからない深い海の底や空の彼方にあるのではなく、現実の世界に隣り合い、あるいは日常と地続きで重なり合っていて、人は知らぬ間にふっと境界を超えてしまうのであろう。
特に綺麗な虫ではないが、ニワハンミョウに取り憑かれた男は、虫取り網を手に未知の土地をさまよう。そして老人の勧める言葉に従って崖から縄梯子で穴底の家に降り、そこで名も過去も失って異界の捕らわれ人となってしまう。縄梯子はこの場合、二つの世界をつなぐ重要な意味を持っている。
前述の「高野聖」で僧は土橋を渡って魔物の家に入り、「龍潭譚」の少年は、舟で沼を渡って異界の村から返される。また「甲賀三郎伝説」(諏訪地方)では三郎は藤蔓の梯子を降りて地底遍歴をするし、「不思議の国のアリス」では少女が深い穴に落ちて異界に入ってゆく。物語世界では橋、川、沼、井戸、穴、洞窟、分かれ道、四つ辻、扉の奥などが境界で、異界への入り口となっていることが多いようである。
「砂の女」の縄梯子も、同様の使われ方をしているとみていいだろう。上下の世界に接している境界として存在し機能し、同時に男が渇望する自由の表象ともなっている。
縄梯子を伝って自ら砂の異界に降りてしまった男は、虫取り網を砂掻きスコップに持ち替えることを強制され、村の奇妙な生活上の掟に従うしかない。昆虫を捕獲しに来たはずの男が、逆に狩られてしまい、砂の牢獄に閉じ込められて、脱出の道を求めて這い上がろうと、虫のようにもがく悪夢の日々を過ごすことになる。実はもうそこは「昆虫界」なのだともとれる設定になっている。
村は一種の共産主義的な雰囲気を持ち、老人が権力を握って崖の上で支配者のように振る舞っている。女は台風の砂崩れで夫と子を失った未亡人で、砂掻き労働を受け入れるのと同じように、荷物のように配達されてきた未知の男の存在も受け入れる。謎めいているが、女もまた名を持たず、過去も明らかではない。
「ここに来るまで・・・・子供をかかえて、ながいこと・・・・もう、ほとほと、歩きくたびれてしまいました」(12より)
女はそう言うのみでいきさつを男に詳しくは語らない。何かしら哀しいものが感じられるが、事情は伏せられており表面には出てこない。女は黙々と男に食事を作り身の回りの世話をし、夜間の砂掻きに精を出す。男に対して「お客さん」と呼びかけていたのが、距離が縮まるにつれさすがにそう言わなくなったものの、あまり感情は見せず、この時点ではともに暮らす男への愛情や絆があるようにもみえない。
女の行動が目を引くのは、男女の行為を皆の前でして見せよ、と崖の上から老人が男に言ったときである。支配者である老人が、唐突に卑猥な要求をしてくるというのも嫌だけれど、こんな場面を作者が入れようとするのは、権力者に対する一種の皮肉なのだろうかとも思う。女の気持ちはまったく考えず、自分の自由を少しでも手に入れたいと望む男は、要求に応じようとして女を襲うが、女はきっぱりと拒絶する。
「あんた、気が変になったんじゃないの・・・・そんなこと、容赦しやしないからね・・・・・・色気違いじゃあるまいし」・・・・・なにか、布が裂けるような音がしたと同時に、全身の怒りと重みをかけた肩の先で、思うさま、男の下腹が突き上げられている。男はあっけなく膝を抱えて、二つ折れになってしまう。のしかかって、その顔のなかに、かためた拳を、交互にめりこませる。・・・・男の鼻から、血が吹きだした。血に、砂がこびりついて、男の顔は土くれになった。(30より)
殴られて倒れ伏したのは男の方であった。この予想外の成り行きに、集まっていた崖の上の見物人たちも気勢をそがれ、散ってゆく。「砂の女」はまた「強い女」でもあったのだ。女の強さを予感させる逸話は、すでに別の章に出ており、いわばこの場面の伏線ともなっている。それは男が閉じ込められてまだ日が浅い頃、脱走の方法を思案し、突如スコップで家を破壊し始めて、板材で梯子を拵えようとした際、気づいた女が飛びついて全身で阻止する場面である。
・・・・・・・わめきながら、女がむしゃぶりついてきた。・・・・ところがどう計算ちがいしたのか、ふりまわされたのは、逆に男のほうだったのだ。しかし、スコップと女は、鎖で結び合わされてしまったみたいに、もうびくともしないのだ。わけが分からない。・・・・二度、三度と、土間の上をもみあったあげく、なんとか組みふせることが出来たと思ったのも束の間、スコップの柄を楯に、あっさり逆転させられてしまった。(19より)
女は自分の巣である家を壊されまいとして、男を腕力で制した。長年の労働で鍛えられた力だけでなく、気迫のようなものも加わっていたのだろう。けれども男を圧倒することで自分が優位に立ちたかったわけでもないらしく、男の感情を察して女は折れ、この後で二人は初めて関係を持つことになる。
鏡花の作品世界「龍潭譚」や「薬草取」の構造では、男(少年)は女に愛され救済されるいうのが定番で、一種の型にもなっている。女は単に女ではなくて優しい慈母のような、あるいは山の姫神の化身のような存在で、危機に陥った折に現れて男を救うのである。
では「砂の女」の場合はどうであろうか。老人の悪趣味な要求を、女が拒絶することによって男が堕落するのを防いだと、鏡花的にそう読めなくもないが、どうだろう。女は自分が性の晒しものになるのが嫌だったので、行為を強いる男への怒りから、鉄拳を振るったまでで、結果としてそれが男の魂を救った、と無理にいえば言えなくはないだろうけれど・・・・。
おそらく女は自分の尊厳を守るため、嫌なことは断るという決意だったので、強く出ただけなのであろう。強くなくては生きてゆけない劣悪な環境、崖の上から絶えまなく注がれる監視の視線、厳しい上からの圧力が、女に強靭な意志や体力を育ませたといえるのではないだろうか。
男が女に殴られ鼻血を出して地面に倒れたとき、男の頭に去来したものは言いようのない屈辱、拭いようのない惨めさであったろう。力で女を押さえつけるはずであったのが、思いがけず反撃されてしまい、打ち負かされたのは、男のほうであった。しかも皆の見ている前での出来事。男としてはどんなにか情けないことであったろう・・・・。しかしこの後に、少々読み取りにくい文章が続く。
砂にまみれ、うちのめされて、しかし男は、やはりすべてが筋書きどおりに搬んだのだと、動悸だけが痛いように冴えかえる。・・・・すべてを委せきった、女の腕のなかで、自分はすべすべした平たい河原の小石になるのだと思った。残った部分は、液化して、女の体に融け込んでしまいそうだった。(30より)
血を流し、打ちのめされて心身ともに傷ついた男は、意外にも女がしっかりと深く自分を抱きしめてくれたのを感じる。心地よさの中で伝わるものがあって、男は感覚で理解する。本当は女に拒絶されたのではなかったのだと。男の心に、もし男の魂にとって真の救済が訪れたのだとしたら、それはこの瞬間であったろうし、この場面をおいてほかにはないだろうと思われる。
「砂の女」はたいそう読後感が重く、その内容もしんどいものであった。砂の世界が舞台と聞くだけで、読むのをためらうものがある。そして虫にかかわる言葉も頻出する。
「まるでハンミョウ属の手口だと思う」(6より)
「まんまと策略にかかったのだ うかうかとハンミョウ属のさそいに乗って、逃げ場のない砂漠の中につれこまれた、飢えた小鼠同然に」(7より)
「捕えようとすると、急に速度をあげて、逃げてしまう・・・・まるで、ニワハンミョウが、砂に残していった、影のようだ」(27より)
虫の呪縛から逃れられないかのように、喩えも虫関連が多く、虫が苦手な読者は困惑してしまうだろう。SF風に現実が反転し、関係が逆転する、心理が覆る、人物の立場が入れ替わる、価値観が反転する、など何度も現実をひっくり返して見せるその手つきは鮮やかだが、緊張感が持続するため、ページを繰るうちに読み手は疲労を覚え、降り注ぐように描写されるしつこい砂の質感にも悩まされる。
砂丘が出てくるので、何となく鳥取砂丘を思い浮かべて読んでいたが、実は作者は旅先での東北の砂丘から着想を得たという。でも特に地名などは必要なく、どこでもない架空の場所という設定であろう。現実にはありそうもない不思議の村、砂の異界へ紛れ込んでしまった男の物語とみればよいのであろう。登場する砂の女も名前を持たず、ただ原初的な男女の営みの中に、日々生きているようである。男は砂の空間に閉じ込められ、否応なく留まることを強いられるうちに、過去を喪失してゆく。男には妻がいたが、もともと妻とはうまくいっておらず、その関係や思い出も良いものではなかったためか、少しずつ過去の記憶も希薄になってゆく。
穴の底の生活に抵抗し、命がけで脱出しようとしていたはずの男は、女が病院へと運び去られた後、そのままになっている縄梯子をみても、もう特に感情を動かされない。あれほど外の世界、自由を焦がれていたのにもかかわらず、男は不自由な穴底の住処に戻り、暮らしてゆこうとする。そこで女の帰りを待つつもりなのだろうか。作者はそれ以上何も提示せず、物語はここで終わる。
入院した女はどうなるのだろう。果たして戻って来るのかどうか。病状が悪化して死ぬのかもしれないし、回復した後は気が変り、外の世界へ出て新たに生きる道を選ぶのかもしれない。そうなると女と運命が入れ替わってしまった男が、今度は「砂の男」として新たな女の配給を待つのであろうか。読者の心に委ねられるこの結末は、不気味な連鎖を暗示しているようで興味深い。
鏡花作品の場合でもいえることだが、異界をさまようということは、また自己の内面世界を旅するということにほかならないであろう。作者自身が内面を深く覗き、深層へと降りてゆくとき、そこには封印されていた欲望や、本能的な恐怖、愛、憎悪、密かな願望、目を覆いたくなるような邪悪、暴力、隠された残忍性、遠い祖先から受け継がれ染み込んできた生死の記憶、忘れてしまっていた夢の断片、極彩色に彩られた歓喜に満ちた世界、人の意識下にある混沌としたものが、脈絡のない夢魔のような状態で見いだされるであろう。それが脳内にある内なる異界であり、豊かな物語世界の領域にほかならない。人が異界にかかわる物語に関心を持つかぎり、これからも多くの作家により、さまざまな趣向、手法で異空間への旅が構想され描かれてゆくと思われる。