貴 船 川 散 策
貴 船 川 散 策
貴船の社は水を司る「高おかみの神」を祀っている。鴨川の水源にあり、日照りや長雨のときに祈 る神として知られている。ここは絵馬発祥の地だそうだ。
雨乞いのときは黒馬を、長雨のときは白馬を献じて祈ったのだが、時代とともに方法が変わり、木の板に描いた馬を捧げるようになったのだという。
水占いをしてみる。引いたおみくじを拝殿前にある池の霊泉に浮かべると、運勢を書いた字が浮かび上がってくる。末吉であった。
上流の奥宮へと歩いていく。貴船川は流れが澄んでいて、実に清らかな川である。森は緑が濃く、古木の佇まいを眺めながら参道を進んでいくと、磐長(いわなが)姫を祀る社があった。縁結びの神という。縁結びの神とは、また縁切りの神であるだろう。新しく結びつけることは、古い絆を断ち切ることであるのだから。森の中に立つ静かな社であった。
さらに行くと、思ひ川という小川に出た。ロマンチックな命名であるが、元々はお物忌み川であったとか。ここで流れに身を浸し、禊をするしきたりがあったそうだ。
平安中期の歌人である和泉式部も、夫藤原保昌の心が遠のいたときに、ここに詣でたと伝えられている。
和泉式部の歌
もの思へば沢のほたるもわが身より あくがれ出ずるたまかとぞ見る
貴船明神の返歌
奥山にたぎりておつる滝つ瀬の たまちる許(ばかり)ものな思ひそ
夫の裏切りで魂も抜け出てしまうほどに空ろになっている和泉式部の心をみて、神は哀れまれたのだろう。もう何も考えるな、と慰めの言葉をかけている。
観光客の多い鞍馬に比べると、この辺りは人影も少なく、聞こえてくるのは、せせらぎと野鳥の声だけである。
奥宮に着いた。伝承によると、反正天皇のとき、黄色い船に乗った姫神が難波に現れて、この船が留まるところの土地神を祀るように、と告げた。船は、難波から淀川、鴨川、さらに貴船川を遡ってここに上陸し、祀ったのがこの社であるという。
姫神の乗ってきた黄船を、人目に触れないように小石で覆い隠したという船形石が、今も拝殿横にある。石が積み上げられ、細長い形をしており、何となく柩のような感じもした。その中には、託宣のままに、船旅を続けたという古代の姫神が、今も眠り続けているのかもしれない。
(2006.4.5)