吉備津神社(備中一宮)と「吉備津の釜」
吉備津神社(備中一宮)と「吉備津の釜」
吉備津彦神社から吉備津神社へとのどかな道を歩いていく。車もあまり通らない。前回は桜が咲き揃いモンシロチョウの舞う春の情景であったが、今回は紅葉にはまだ早い季節で、道端にひっそりと咲く野菊など秋の草花を眺めながらいく。
ほどなく備中一宮、吉備津神社が見えてきた。再訪である。備前一宮と同じく孝霊天皇皇子、大吉備津彦を主祭神とするが、それはあくまで表向きのことで、真の祭神は別にあるといわれている。謎めいた神社である。
階段を上がっていく。本殿、拝殿の威容が目の前に立ち現れた。思わず見とれるような壮大な社殿であった。比翼入母屋造というそうで、全国でここしかない様式なので、吉備津造りと呼んでいる。巨船が二艘とたとえればいいのだろうか、このような形の二つ屋根がつながった形の社を見たことがない。それが実に美しいのである。
近寄って眺め、遠のいてまた眺めていた。真新しい社が人を引き寄せるのか、参拝人は後を絶たない。拍手を打つ音と賽銭を投げる音が混ざり合う。感嘆の声とともにそれぞれ携帯やデジタルカメラを手にした人たちが社殿を見上げては撮影し、境内をそぞろ歩いていく。
社殿は白と渋い朱色に塗り分けられていて屋根は檜皮葺きで千鳥破風、双子のように並んでいて、とても落ち着いた感じがする。けばけばしくないのが良い。背後の山と釣り合った色の調和が好もしく感じられる。きっと内陣も見事な装飾なのだろう。外陣、朱の壇、中陣、内陣、内々陣と内側に行くほど高くなっていて、手の込んだ迷路のように見える。外側から回って次第に中心に近づいていくという、仏教の影響を受けた形式らしいが、残念ながら入れないので、手元の見取り図で様子を想像するのみである。
上から見れば、棟が工の字になっているのがこの社殿の特徴である。むしろ工の字にこだわってわざわざそうしたとみるべきなのだろう。何かの訳がなくてこんな特殊な形にするはずがない。古代から工の形は特別な意味を持つと聞いたことがある。神と関連のある聖なる形なのだそうである。聖杖などにもこの形が使われるそうだ。これは呪的な意味を持つと見ていいのだろうか。
先ほどの吉備津彦神社は太陽と方位がきちんと合わせてあったが、この社殿はなんと艮(うしとら)、つまり東北のほうを向いているという。美しく整った大社殿、広い境内は参拝客で賑わいをみせているが、社は鬼門を向いているという、何かそれを聞いただけでふっと背筋が冷えるような思いがする神社なのである。
一品聖霊(いっぽんしょうりょう)吉備津宮 新宮 本宮 内の宮 隼人崎 北や南の神客人 艮みさきは恐ろしや
とあの梁塵秘抄の今様の一節にも歌われていることと思い合わせると、祭神の謎は深まるばかりである。ちなみに艮みさきの神とは、社殿の東北隅に祭られている神、つまり温羅(うら)を指しているともいわれている。みさきというのは従属神という意味で、古い神社縁起には、正殿の「御神はすなわち鬼神なり」という伝承もあるという。
長い回廊を歩いて御釜殿のほうへと向かうと、黒っぽい建物が見えてきた。そっと覗くと巫女さんはおらずお参りの人影も見えない。靴を脱いで中へ入ってみた。
黒く煤けた大しゃもじが壁にかけられて、竈が据えてある。その下に赤い熾火が見えた。大釜が置かれ、せいろが乗っていてそこから静かに湯気が上がっていた。
この竈の下には、吉備津彦に滅ぼされた温羅(うら)の首が埋められているという。吉備津彦というのは吉備の王という意味である。孝霊天皇皇子、五十狭芹彦(いさせりびこ)がここで温羅を滅ぼした後、支配者となってその名を名乗った。皇子の軍が侵攻してきた理由は、温羅の暴虐から民を解放するためということになっているが、真相はあまりにも古代のことであるのでよくわからない。温羅は実は暴虐の王ではなかったという説があり、石舟古墳で桜の季節に花を供えて舞を奉納し、温羅の霊を慰める祭りが近年復活したと聞く。
ほかにも侵攻には吉備の製鉄がからんでいたという説、また皇軍が狙ったのは鉄ではなく、中山の地が古代には重要であった水銀朱の産地であったから、という説もある。
その時代は弥生時代で、崇神天皇の頃であるが、当時の王権は地方平定のため、四道将軍をそれぞれ各地に派遣したと記紀の記述にみえる。大彦は北陸に、武渟川別(たけぬなかわわけ)は東海に、丹波道主(たんばちぬし)は丹波に、そして五十狭芹彦が大和から吉備に送り込まれたのである。
吉備の王であった温羅は激戦の末に滅ぼされたという。鬼ノ城、血吸川、矢喰宮などの地名にその伝承の名残をとどめている。ただし鬼ノ城の石組みに残る様式は、六世紀の朝鮮式のものだとされており、温羅は朝鮮半島から渡来した王子という説もあるが、温羅がもし崇神天皇や吉備津彦のいた時代に生きた人であるのなら、それは弥生時代のことなので、数百年の差があり、年代的には合致しない。
昔話の桃太郎では、鬼は財宝を桃太郎に差し出して降参したということになっているが、温羅は首をはねられ、その首は竈の下に埋められたが、十三年間にわたって吼え続けてやまず、やがて皇子の夢枕に立って、吉凶を告げる占いの神に祀られることでようやく鎮まったという。以後、温羅の妻であった阿曽の里の女性が巫女を務めるしきたりになった。この巫女さんを今でも阿曽女(あそめ)さんと呼んでいるそうだ。
温羅の首は埋められたが、その胴体部は中山山麓の石舟古墳に葬られたという。両者の力関係を示すかのように吉備津彦は山の頂に、温羅は山裾に埋葬されたのである。福田海、吉備津というこの近辺の地名からみてもわかるように、当時は地形が今とは異なり、海が近くまで迫っていたそうである。そのせいか山中であるにもかかわらず、湧水のために石舟古墳は今も水に浸っているそうで、古墳内部はとうに損なわれて副葬品も何も残っていないが、その蓋部分が駅のホームに展示されているというわけである。
ひっそりした御釜殿にしばらく座っていた。竈の正面にと思い、少し横へずれて座り直すと、空気がゆるく動いているのが感じられた。かすかな空気が流れていくその先には黒い竈がある。赤い熾火をぼんやり見つめていた。
前回ここへ来て、初めて占いをしてもらったことやそのとき思ったこと、また中山山中の磐坐を訪ねて歩き回ったことが心に残ったので、何らかの形で記録しておきたいと思い、ウエブサイト上で発表した。けれどもきちんとした活字作品としては未発表であることが、どこか気がかりとなっていた。何か申し訳ないような、というのも妙だけれど、それに近いような気持ちがあって、今もそのすまなさを引きずって今日ここに座っているのであった。今回は特に占いは申し込んでおらず、ただお参りのために、少しの時間だけと思い、ここに上がったのである。
釜の辺りから静かに低い音が響いてきたような気がした。私は耳が悪いので、最初は聞き違えか空耳であると思った。でもじっと集中しているうちに、音は次第に伸びてきて、どうしても釜がうなり始めているとしか思えないような音がする。
占いを頼んでいないのに、釜が自然に鳴り始めている。そうわかったとたん戦慄し少し怖くなった。
釜の鳴る音を聞きつけたらしく、正面の戸を開けて巫女さんが出てきた。前回とは違う巫女さんのようである。近くへ来て座り何かを確かめるように釜の様子を眺める。
「鳴ってますねえ」
「どうしたんでしょうか。ここに座っていたら、何もしていないのに自然に鳴り出したんですけど・・・・」
その間にも釜は低く歌うように鳴り続ける。
今日何かに引き寄せられるようにしてここへ来たけれど、その引力になったのは、前回の占いの不思議な釜の発する音であったと思う。その記憶が頭を去らなかったのだ。今回は、特に願い事を思わなかったので、占いを頼まなかったが、でも心の内では、今一度釜の音を聞いてみたいというひそかな思いはあった。その願望が通じたのか、こんな形で思いがけなく願いが叶っているのだった。このことは想外であった。これをどう考えればよいのだろうか。しばらく考え込む。前回は鳴り響く釜の音に古代の謎と神秘を感じたが、今回のこともまた新たな謎となった。
しょっちゅう自然に鳴るのだろうかと思い、尋ねてみた。
「こういうことって、よくあるんでしょうか」
「いいえ、普通はいろいろしないと鳴らないんですよ。いろいろやっても全然鳴らない時もありますし・・・・」
そうだろうと思う。始終釜が鳴るのなら占いにはなりにくい。前回のとき、神主さんが厳かに祝詞を読んだ後、巫女さんが立ち上がって釜の上のせいろに玄米を入れて大きく振り動かしていた。一つ一つの所作は丁寧であり真剣そのもので、それが尽くされたようにみえたとき、何かのきっかけを得たかのように、ぶうんと釜が響いて鳴り始めたのだった。
「こんなこともあるんですねえ」
巫女さんが細い枝を一本とってそっと竈にくべると、火に勢いがついたのか赤い炎が揺れ、釜の音色が糸を引くようにさらに長く伸びていった。低い釜の歌は続く。前回聞いた記憶の音よりも、静かな音が途切れずに室内に流れ、古代に心が引き寄せられていった。
「こういう鳴り方もいいものですねえ」
巫女さんはうなずいている。日々幾度となく占いで色んな音を聞く機会があるからだろう。私は二度だけであるので、音色の響きの差についてはよくわからない。
「釜が大きくよく鳴っているのに、ずっとその音を、外の飛行機か何かの音だと思っていた人もあるんですよ」
続けて占いの折のそんな話もされた。たぶんその人は初めてここに座って、聞く音の予想がつかなかったのだろう。そうかと思えば、今か今かと期待して待っているのに、最後まで無音のままでがっかり、という人もあるという。
「こちらとしては、どうしようもありませんしねえ・・・・」
鳴るのも答え、鳴らないのも答えということなのだろう。
ひとしきり歌うようだった釜の音が、次第に低くなっていった。音は弱まって細くなり途切れつつやがて消えていくようだった。音とともにいっとき古代の空間をさまよっていたが、ふっと現代に帰り着いたような気分になった。
背後で人の話し声がして、先生に引率された高校生のグループが入ってきた。課外活動の一環での見学らしい。案内を乞う先生の声が聞こえ、生徒たちは珍しそうに室内を見回している。私はあわてて竈の前をしりぞいた。生徒たちはこれから巫女さんからいろいろ参考になる話を聞くのだろう。
お礼を言って帰り支度をしつつ、竈のほうに耳をすませてみた。大釜はすっかり静まっていてもう何の気配もなく、黒い釜から湯気が天井に向かって一筋上がっているだけであった。