一東海道の古社一
真清田神社 (尾張一宮)
一東海道の古社一
真清田神社 (尾張一宮)
JR尾張一宮で降りた。一宮が市の名になっているのは、全国でもここだけということである。真清田神社を中心とした、この地域の繁栄ぶりがうかがえるような命名である。尾張で知名度の高い神社といえば、まず熱田神宮が思い浮かぶが、実は熱田神宮は尾張三宮、尾張一宮というのは、真清田神社なのであった。熱田神宮が有名なので、一宮のほうは目立たない地味な雰囲気になっているが、当地が政治の中心地であった時代が存在したのである。
駅前から商店街の中を十分ほど歩いてゆくと、真清田(ますみだ)神社の立派な楼門が見えてきた。小さな可愛らしい反橋があって渡ってみたくなるが、ふだんは通行止めのようである。楼門をくぐって境内へと入ってゆく。元の社殿は空襲を受けて焼失してしまったので、現社殿は昭和三十年代に再建されたもの、古色はないけれども堅固で質実な印象を受けるのは、三河一宮の砥鹿神社の場合と同様である。
祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと、天照大神の孫)。天孫瓊々杵命(ににぎのみこと)の兄に当たる(御子という説もある)。当社の祭神はかつては大己貴命(おおなむちのみこと)であったともいわれ、さらに古い祭神として、国常立命(くにのとこたちのみこと)の名も挙げられるそうである。時代を経るうちに、土地の守護霊としての祭神の名が、入れ替わっていったのであろう。
国常立命は国土創成の折に立ちあらわれる原初の古い神、大己貴命は国土開拓神。大己貴命は通常は出雲の神とされるが、必ずしも出雲の神とはかぎらないようで、全国各地の神社に祀られており、高天原系の天津神に対する国津神、土地神、地霊の名としても用いられることが多いそうである。
現在祭神と定まっている天火明命は、尾張の開拓神。尾張氏の祖神とされており、時代ははっきりしないが、古に大和葛城(御所市)の高尾張邑から、天火明命を奉斎する人々が当地に移ってきてお社を建て、祀ったという創建伝承があるそうだ。その子孫としては、日本武尊の妃となった宮簀媛(みやずひめ)、その父の乎止與命(おとよのみこと)、日本武尊の東征に加わるが、帰途に亡くなった建稲種命(たていなだねのみこと、宮簀姫の兄)などが知られている。
真清田神社の社号は「木曽川の灌漑用水による水田地帯として、清く澄んだ水によって水田を形成していたため、真清田と名づけられた」(神社ホームページより)そうである。
境内には「神水舎」という湧水があり、龍神が祀られている。柄杓で水を受け、頂いてみると冷たくて心地よい。横には姿見の井戸があり、覗き込んで顔を映し祈願すると良いと説明にあった。特に強く心に願うこともなかったのだけれど、そっと身を乗り出してみた。黒い水面に自分の姿がゆらゆらと影のように映り込んで揺れており、しばらくそれを見つめていた。井戸の傍らには願い事の成就を、持ち上げてみて占う「おもかる石」も置いてあった。
本殿の右手には、服織(はとり)神社があった。これは機織の守護神という。服織神社の創建は昭和三十年代で、当地の織物産業の神として崇敬されているそうだ。この地域は古来織物が盛んに行われた地で、明治以降も多くの女工さんたちが働き、繊維の街として繁栄したそうである。
服織神社の祭神は、天火明命の母神、萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)とあった。七夕の織姫様と同一視されており、例年七夕行事も盛大に行われるそうである。ちなみに天火明命の父神は、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)である。
水辺の情景に惹かれて神池のほうへと行ってみた。池には八龍神社や厳島社が祀られている。池の近辺には放し飼いの鶏がおり、地面をつつきながら自由に境内を歩き回っていた。神社では放し飼いの鶏を見かけることがある。神鶏なのであろうか。伊勢神宮や天理の石上神宮、駿河の浅間大社の境内にも鶏がいたように思う。
楼門近くには、日常着を商う昔風の構えの店舗が門の脇に並んでいる、と何かに書いてあって、確かにそれらしいお店を門前で見かけたが、休日なのか閉鎖したのか、その多くは閉まっていた。ここへ来る途中の商店街も、買い物客も少なく、賑わっているようではなかった。それでもアーケードの道筋には衣料品店や、服関連のお店がほかよりは多いように見受けられ、かつての紡績、繊維の街の名残を感じつつ、帰途についたのであった。