朱 雀 門 跡
朱 雀 門 跡
JR二条駅を出ると、南北に千本通が走っている。通りを渡って歩道を北方向に少し進むと、小さな石碑が目に入った。「平安京大内裏朱雀門跡」とある。 道路脇の住宅の植え込みの中にそれはひっそりと立っていて、普通に歩いていれば、ほとんど気づかないほどである。
朱雀大路は、平安京の南北を貫くいわゆるメインストリートであった。大路の名にふさわしく、道路幅は八十四メートルもあったというから驚く。両側に側溝があり、そこには柳が植えられていたと伝えられている。柳並木が風にそよぐ大路が、長く延びていたのだろう。そしてその南端は羅城門であった。
朱雀門は大内裏の十二門の一つで、平安宮の正門に当たる。瓦葺きで正面は七間、奥行五間、二重閣であった。緑色の屋根瓦が使われ、両端には鴟尾(しび)が乗った立派な門だったと思われる。
朱雀門をくぐると、その正面には、天皇や八省百官が政務を執ったという朝堂院、その正殿である大極殿、その西側には豊楽殿など当時の内裏の建物群が麗々しく立ち並んでいたことだろう。
今昔物語には「僧登照、朱雀門の倒るるを相せること」という話が載っている。
平安中期の頃、登照という僧が朱雀門の前を通りかかると、たくさんの人が門の下で休んでいた。見ると、その人たちには皆死相が現れている。仮に悪人がやってきて、人を殺すとしても、それは少人数のことであろう。
僧は直感が閃いたので、大声で言った。
「気をつけろ。門が倒れるから、皆早く出なさい」
その声を聞いて、人々は慌てて逃げ出した。すると風もなく、地震でもなく、門が歪んでいたわけでもないのに、朱雀門が傾き始め、倒壊してしまった。急いで逃げた人は助かったが、僧の言葉を信じないで中にいた人、出るのが遅れた人たちは死んでしまった。登照のすぐれた観相術に、皆感じ入ったという・・・・。
石碑を見ていると、平安京を行き交った牛車や馬の列、物売りや通行人、子どもたちなど、賑やかな町の様子が目に浮かんでくる。
朱雀門には石段や屋根があったことから、その下はきっと当時の人々の休憩に適した場所になっていたのに違いない。
通りに目を向けてみる。かつての朱雀大路は、今は車の往来が激しい千本通に姿を変えている。でも見上げると、そびえ立つ華麗な朱塗りの幻の朱雀門が、想像の中で仰ぎ見られるのだった。 (2006.7.26)