業 平 忌
業 平 忌
毎年五月二十八日に、京都市小塩の十輪寺で、在原業平を偲ぶ「業平忌」が営まれている。この三絃法要に参列したのは、昨年のことであった。
六歌仙の一人である業平は、五十六歳で没するまで、晩年を小塩で過ごした。菅原道真とも交流があり、ともに詩歌管絃の遊びを楽しんだこともあったという。
業平の父は平城天皇の皇子、阿保親王で、母は桓武天皇の皇女。業平は天皇の孫なのだが、父が薬子の変に係わったため、臣籍に下って在原姓となった。
かきつばたを折句にした歌などで知られる業平は、また派手な女性遍歴を重ね、伊勢物語のモデルであるともいわれている。
境内の楓の若葉が陽光に透け、裏山からウグイスの声が聞こえる中で、住職が三絃を弾きつつ般若心経を唱え、法要が始まった。
三味線とお経の取り合わせにちょっと驚くが、耳を傾けているうちに、違和感はすぐ消えて、独特の音楽空間が堂内に広がっていくのを感じた。遅くも速くもない、程よいリズムで節をつけられたお経は、艶やかな歌のようにも響き、自然に聞き手の耳に馴染んでくる。
三絃は、供養法などの折の、経文を唱える際の法具だったそうで、最初は琵琶が使われたという。
業平を偲ぶ歌の朗詠、日本舞踊、地唄、小唄、一絃琴の演奏、生け花などが順に奉納されていった。
業平は晩年小塩山に竈を拵え、難波から潮水を運ばせ、塩焼きをして風流を楽しんだと伝えられる。
海水を溜めたという汐汲池跡は、寺の下の道路脇にある。また境内の裏に回ると、ひっそりした木立の間に業平の宝篋(きょう)印塔があり、小高い竹薮の道を進んで行くと、すり鉢状に土を掘り窪めた塩竃の跡も見ることができる。
当時の塩作りの方法は、まず藻などに潮水を何度もかけて乾燥させ、それを焼いて灰を水に溶かし、上澄み液を煮詰めた。掻き回すうちに水分が蒸発して、ある瞬間底に真っ白な塩ができる。
塩は強い浄化力を持っていて、罪や穢れを清めるものと考えられている。古来伝わる方法で作った塩を手にして、感慨深いものがあったろう。塩を作る作業を通して、塩の持つ清らかな力に触れ、何かを感じていたのかもしれない。
業平は生涯に多くの女性と係わりを持った。彼女たちもそのことのために運命が分かれ、幸不幸さまざまな生を生きたに違いない。
人里離れた山中で竈に薪をくべ、緩く立ちのぼっていく煙を見つめながら、業平は過ぎ去った遠い日を思い、彼女たちの面影を偲んだのではないだろうか。
(2005.5.25)