水 無 瀬 滝
水 無 瀬 滝
水無瀬に、古来歌にもよく詠まれた滝があると聞き、六月のある日、散策してみることにした。
水無瀬神宮から歩き始める。境内には二メートルほどの茅の輪が立ててあった。夏越の祓いといって、六月の三十日にこの輪をくぐると、半年間の罪や厄を落とすことができるのだという。ぴょんと飛び越すのではなく、左から8の字を描くように回ると説明板にあったので、その通りにしてみた。
「離宮の水」と呼ばれる名水が境内に湧き出ていて、近所の人がポリタンク持参で次々訪れては汲んでいた。名水100選にも選ばれているそうで、飲んでみると冷たくておいしい水であった。
ここは後鳥羽上皇の離宮があった跡と伝えられている。今は住宅街となっているが、往時は美しい池や沼が広がる景勝地だったのではないだろうか。
少し歩くと水無瀬川に出た。その名の通り地上の流れは細くて、勢いのあるようにはみえないが、地下には豊かな水脈が通っているのだ。そのまま川沿いに歩き、JRのガードをくぐり、道しるべの通りに進むと、山が近づいてきた。
高速道の下を抜けると、目指す水無瀬滝である。落差二十メートルの、二段になっている涼しげな滝だった。すぐ下に天王山トンネルの入り口があるので、東進する車が絶え間なく吸い込まれていく。
滝に近づくと、車の騒音を掻き消すかのように、岩から流れ落ちる自然の水音が、耳に心地よく響いてくる。見上げると樹木の梢の緑が目に染みた。滝の近くだけはほの暗く、市街地とは異なった山の冷気が、昔のままに漂っているように感じられた。
後鳥羽上皇は、一二二一年に承久の乱を起こすが、鎌倉幕府に敗れ、隠岐に流されてそこで没した。
離宮のあったこの水無瀬の地には、深い愛着を持っていたらしい。
藤原定家、家隆などが加わった歌合せが離宮で開かれ、上皇は刀剣鍛作や、狩猟を楽しんだといわれている。この滝を訪れたことも当時の記録に残っているそうだ。
水無瀬の所領地を気にかけていた上皇は、死の直前にその強い思いを記し、朱で手形を押した遺書めいたものも残している。滝のそばには、慰霊碑のようにもみえる歌碑があった。
水無瀬山せきいれし滝の秋の月 おもひ出づるも涙なりけり 藤原家隆
滝を出て、登山道をゆっくりと登っていく。竹林が続き、道に竹の葉がはらはらと降ってくる。ほどなく十方山である。滝からは遠ざかり、そこは樹木が深く生い茂っていて、周囲の景色はほとんど何も見えなかった。
(2005.7.20)