古代史の風景(4) 大 和 三 山
古代史の風景(4) 大 和 三 山
「香具山は畝傍を惜しと耳成と・・・・」という天智天皇の歌で有名な大和三山は、登山道が整備され、一日で登ることができるという。大和三山を巡ってみた。
まず橿原神宮の中の登山道から畝傍山へと上った。森の緑は爽やかで野鳥のさえずりのほかは何の音もしない。自然林の中を抜けていくと、30分くらいで山頂に着いた。
標高は199メートルで、三山の中では一番高くて大きい。山頂からは遠く葛城金剛連山が見渡せる。すぐに降りてしまうのが惜しく、眼下の大和盆地の広がりを飽きずに眺めていた。
下りは、分岐から畝火山口神社に回ってみた。大阪の住吉大社から年2回、祭事の土器の土を貰い受けに来る埴取(はにとり)神事が、古代から続いているという。畝傍山頂の土には、霊的な力が籠もっているという信仰があったらしい。
たとえば現代でも、高校球児は、彼らの聖地である甲子園の土を試合後、袋に詰めて大切に持ち帰る。それを特別な土と感じるためだろう。
耳成山へと向かう途中、藤原宮跡に寄ってみた。大和三山は三角形になっていて、その真中に、持統、文武、元明、3代に亘る藤原京が置かれていた。持統天皇がそこに都を造ったのは、最も山の霊威がある位置とみたからだろう。宮跡は草地になっていて、大極殿跡のちょうど正面に耳成山がある。古代では、山を仰ぐことは、神を仰ぐことだったのかもしれない。
耳成山は円錐状の秀麗な形をしており、参道を上っていくと、ほどなく古い社に着いた。更に進むと、深い木立と静寂に包まれた空間に出る。そこが標高139メートルの山頂であった。周囲を見回すが、樹木が重なり合い、梢や枝に覆われていて、残念ながら景色は何も見えない。
香具山に向かった。北側の山麓には、「月の誕生石」「蛇つなぎ石」などの磐座(いわくら)が点在している。古代人は巨石に神秘や謎を感じ、畏怖の念で信仰の対象としたのだろう。磐座を見た後、標高152メートルの山頂に上った。ここの土も呪力があるとされていて、神武紀には、戦いの前に、香具山の頂の土を密かに取ってきて、平瓦(ひらか)を作り、祭祀を行った、という記述がみえる。
大和国原を見晴らせる山頂は、ひっそりしていて、簡素な祠と井戸があり、国土と水を司る地霊が祀られていた。古の神の原型を見る思いがする。
香具山は 畝傍を惜しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき
(天智天皇三山の歌 万葉集より)
天智天皇と大海人皇子の間には、額田王を巡って、軋轢があったといわれており、また古事記や日本書紀には、狭穂(さほ)姫を巡って狭穂彦と戦った垂仁天皇や、歌垣で鮪(しび)臣と影姫を争った皇太子(武烈天皇)の逸話などがみえる。
この三山の歌が詠まれたとき、遠い父祖の時代の大王たちの妻争いの逸話が、詠み手の記憶の中にふと蘇り、心象として投影されたのかもしれない。
(2006・9・24)