一古の神々の里へ一
椿大神社(伊勢一宮)
一古の神々の里へ一
椿大神社(伊勢一宮)
関西本線で次の目的地、椿大神社(つばきおおかみのやしろ、つばきだいじんじゃ)へと向かう。乗り換えの亀山駅で少し時間があったので、外へ出てお弁当を買おうとしたのだが、駅前にはパン屋さんが一軒開いているのみ、選んでいる時間がなく、目についた卵サンドを購入してすぐに駅に引き返した。やって来た列車は二両連結の可愛い車両であった。二つ目の加佐登駅で降り、コミニュティバスに乗った。加佐登は倭建命(やまとたけるのみこと)の終焉地で、命が最後まで着けていた笠と杖を祀る神社がある。その加佐登神社のバス停を通過したとき、思わず窓の外を見たが、降りしきる雨でお社はよく見えなかった。
バスは各集落を回り、椿大神社前まで行ってくれるので(料金はどこまで乗っても百円)、その間を利用して車中で昼食にする。時間は二時半を過ぎ、今日は朝早かったので朝食をとっておらず、歩き回ったので疲労を覚えた。窓の外を見るとさっきより雨足は強くなっている。
伊勢一宮は伊勢神宮かと思いがちだが、伊勢神宮は別格、伊勢一宮はここ椿大神社である。バスを降りると、空は黒雲に覆われ、お社の森も暗く、嵐が近づいているようである。鳥居があるのにもかかわらず、入口を見失って進路がわからなくなり動揺する。左手の道をふらふらと上りかけ、参道に点る灯籠の明かりに気づき引き返した。
なんという暗い参道なのだろう。午後の三時半というのに、ほとんど夜の七時半という感じである。黒々とした樹木が重く左右から被さってくるようで、すれ違う人の顔もよく見えない。両側の灯籠の列にもし灯が点っていなかったら、闇の中である。参道脇に古墳が見えてくるが、あとで寄ることにして先へと進む。
森を抜けたところに開けた空間があり、そこに社殿があった。近づいて参拝しようとして、まだ手を清めていなかったことに気づく。入口に手水舎があったはずだが、雨の中だったので見落としてしまったのだった。いつしか雨は土砂降りになっていて、社殿の屋根から滝のように水が落ちている。思いついて、その雨水を手に受けて清めた。
祭神は猿田彦大神。(この神については「日向 神話の旅」くしふる神社、荒立宮などの項でも書いている)天孫降臨の際、道案内を務めた国津神で、天狗のような容貌で表現される。ここは全国にある猿田彦命を祀る社の大本宮であるという。
社伝によれば、神社の起源は古く、背後にある鈴鹿山系の高山入道(たかやまにゅうどう)ケ嶽、短山(ひきやま)椿ケ嶽を天然のやしろとし、太古から神霊が宿る山として信仰されていたという。大きな磐座、滝などもあるらしい。
垂仁天皇二七年秋、倭姫命に神託が下り、猿田彦命の神霊を祀る社殿を、境内にある土公神稜の前方、御船磐座(みふねいわくら)付近に道別(ちわき)大神の社として造営、それがこの神社の創祀という。
境内の雨の森を眺める。各種の椿の木が多いようだが、季節には早いので花はまだほんの少し、大半は開いていない。咲き揃う頃はみごとなのだろう。見上げると、高い杉の木の梢のあたりを、這うように霧が静かに流れていく。幽玄である。椿ケ嶽は雨で何も見えない。
社殿を出て右手にある別宮、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀る椿岸神社に向かう。朱塗りの可愛いお社で、猿田彦命の妻神にあたる。かなえの滝という小滝が社殿横にあるが、ごうごうと音を立てて流れ落ちていた。ふだんはもっと優しい滝なのであろうが、今は勢いがありその激しい水音に圧倒されてしまう。しばらく滝の前にたたずんでいると、何かが洗い流されていくような感覚があった。
参道を戻っていく。さっきよりもさらに暗くなっていて、参道の明かりがちょうど闇の中に椿の花が点々と咲いているようできれいである。こんな夜のような参道もそれはそれで独特の雰囲気があると思いつつ、猿田彦命が埋葬された御陵の前まで来ると、古墳が木立の間に黒く盛り上がり、眼前に現れたその暗黒のかたちに思わずぞっと身震いした。御陵の石碑には、土公神陵とある。(土公の読みはどこう、あるいはつちぎみ、のどちらだろう)猿田彦という呼称は、天孫側がこの神に名づけたものと思われるが、本来は国津神らしい別の名があったのかもしれない。
猿田彦命は天孫を出迎え、葦原中国の道案内を務めた国津神であるが、その決断には葛藤があったかもしれないと思う。猿田彦命は服属の意を示し、天孫らを高千穂へ導いた後、妻になった天鈿女命に送られ、ともに伊勢に戻って来るが、阿射加(あざか、現在の松阪市)の海で漁をしているとき、比良夫(ひらぶ)貝に手を挟まれ溺死したとされる・・・・その死に方は不可解であり謎めいている。
改めて猿田彦命の墳墓を見つめるが、恐ろしい。こんな嵐のときには一時的に境界が曖昧になるのだろうか。不気味な剥き出しの異界に触れたようで、あたりには異様な気配が漂っていた。目を伏せて一礼の後、息をひそめて退きそっと通り過ぎる。大和の古墳を訪れることはよくあるが、こんな荒れた暗い日に墳墓のそば近く寄ったことはなかった。
御船磐座に来た。御陵の前方に位置している。天孫瓊瓊杵(ににぎ)命の一行がここに着いたと伝承される場所という。倭姫が神託により造営したという道別の社跡もこのあたりと伝わるので、二つの聖なる地が重なっているようだ。注連縄が張られた四角い地面からわずかに磐座が見えている。先ほどの墳墓とはそう離れていないのに、ここには打って変わって穏やかな空気が漂い、その雰囲気は対照的であった。この聖空間にはどこからか光が差し込んでおり、柔らかい光に包まれた聖所の奧には、いいがたい闇を孕んだ土公の墓所がある。陰と陽がおのずと対比されるような構造で、切り離せずひと続きになっていることに、伊勢という土地が古代から背負い続けるものの重さを感じた。光に闇はつきもの・・・・と思いつつもしばらくたたずみ、雨に濡れて白く黄色っぽく浮かび上がる静かな石の空間の広がりを眺めていた。
豪雨に見舞われた参拝であった。こんな天候なのに、参拝の人がとぎれずに訪れている。もっとも大半の方は車で来られているのであろう。こちらはもう敢国神社の辺りから足元も靴も情けないほどのぐしょ濡れになっていて、寒いことこの上ない。こんな荒天でなかったら、椿大神社の印象もまた違ったものになっただろうと思う。猿田彦神の領域ではあたりに漂う暗い迫力に圧倒されたが、今日一日の旅を振り返ってみると、厳しい自然の持つ威力を通し、古い土地が保ち続けている根源的なものの一端に触れられたようにも思った。一宮を訪ねる旅が、地霊への表敬であるのなら、その存在を充分意識させられた一日であった。