エドガー・アラン・ポー
「メエルストルムの渦」「アルンハイムの地所」
(春秋社)
エドガー・アラン・ポー
「メエルストルムの渦」「アルンハイムの地所」
(春秋社)
高校のとき、英語の授業の副教材として、先生がエドガー・アラン・ポーの「黒猫」を挙げた。夏休みの課題学習としてであった。
翻訳も出回っているが、できるだけ自分の力で訳してみるように、とのことだった。
最初は丁寧に辞書を引いていた。でも半分ほど読み進むと、もう根気が続かなくなった。何しろ挫折するのだけは人より早い方なのである。
夏休みの終盤、文庫本を手に入れて読んでみた。怖い話であるが面白いところもあった。ついでに他の作品も、とあれこれ読んでいるうちに、心惹かれる作品を見つけた。「メエルストルムの渦」である。
そのとき読んだ本では「メエルシュトレエムの底へ」であったかと思う。どちらにしても舌を噛みそうな、覚えにくくて間違いやすいタイトルである。いつものようにあらすじをみてみよう。
「メエルストルムの渦」
あらすじ
ノルウェイの海峡に大きな渦が生じるという。直径半マイルを超える渦というから、かなり大きい渦である。
漁のために船を出した兄弟三人が、その日は大漁であったために、帰りが遅くなり、この渦に巻き込まれてしまう。
兄の一人は折れたマストとともに海に落ち、行方がわからなくなった。船はちょうどすり鉢の縁をぐるぐる回転するような回り方で、落下していく。一時間もかけて、渦の底の方へと連れて行かれるのである。弟は船の周囲の漂流物を見ていて、大きいものより小さいものの方が、渦に呑み込まれる速度が遅いことに気づく。大きさだけでなく、形によっても差があることを知ったのである。
弟は苦心して樽に自分の体をくくりつけ、思い切って海に飛び込んだ。弟の勧めを断って船にとどまったもう一人の兄は、船とともに渦の底に沈んでいった。
弟は海岸に漂着して助けられたが、死の恐怖にさらされ、極限の苦痛を味わったために、たった一日で髪の毛は真っ白になり、まるで老人のような風貌に変わってしまっていた・・・・。
子供のころ、親に連れられて鳴門の渦潮を見に行ったことがある。町内会の旅行か何かの行事で「観潮ツアー」に参加したのだったと思う。
渦といえば洗濯機の中の渦ぐらいしか思い浮かばなかった私にとって、青い海原のそこかしこに展開する大小幾つもの鳴門の渦潮は、不思議な、そして恐ろしい見ものであった。
大きいものは直径二、三十メートルもあっただろうか。その日はたまたま大潮に当たっていて、渦が大きかったらしい。大人たちも身を乗り出して白く泡立つ渦を指差し、色々言っていた。
見ていると次第に体がふらふらと揺れてきた。目が回ったのである。今にも船ごと渦に呑まれるのではないかという不安や緊張、怖いにもかかわらず覗き込んでみたいという気持、更に船酔いやら大自然への畏怖、などが入り混じり、私は傍らに立つ母の手をしっかりと握り締めていたのだった。
「メエルストルムの渦」を読んでいると、そのときのことが鮮やかに蘇ってくる。
波の白い飛沫、ごうごうと鳴る潮の音、漏斗状に窪んだ渦の中心が、目の前に浮かんでくるように描かれていて、自然描写の凄さに、まず圧倒されてしまうのである。
今回久しぶりに読み返してみて、フィクションだとわかっているのにもかかわらず、一瞬くらっとなった。人の難解な文章を読んで、頭痛が起きることはあるが、このような短編で、一気に作品世界に引き込まれ、目まい感まで、というのは珍しい。
「アルンハイムの地所」
「アルンハイムの領土」と言い直せば、ああ、あの絵のこと、とおっしゃる方もおられるだろう。マグリットの幻想的な絵「アルンハイムの領土」はポオのこの短編に由来するのだという。まずどんな絵なのか、そっちの方からみてみよう。
崖の上に、一羽の猛禽(鷹、鳶かもしれない)が羽根を広げていると見える。でもよくみると、鳥の体はそのまま山の稜線に繋がっており、更に崖の斜面と続いていて、切り立った崖は谷に落ちている。
手前に建物のテラスの塀らしいものがあって、その上に鳥の巣があり、卵が三個見えている。鳥は谷全体を見降ろしていて、卵の入った巣を見ているようでもある。空には細く白い月がかかっている・・・・。
大体こういう絵である。沈んだ色のトーンが美しく、リアルなタッチの絵であるが、鳥はとても現実に生きているようには見えず、時空が静止したような、何とも不思議な雰囲気が漂っている。現実と非現実の境界が崩れるあたりの、微妙な感覚が描かれていて、人の心を揺さぶってくる。
私は美術には門外漢なので、これ以上言っているとぼろが出るのでもうやめるが、マグリットの作品では、鳥の形に刳り抜いた空の絵「大家族」とこの「アルンハイムの地所」が代表作として、よく高校の美術の教科書に載っているそうである。
そしてポオの「アルンハイムの地所」のあらすじは次のようである。
百年前の祖先の老人の遺言によって、思いがけず莫大な財産を手にした青年エリソンは、その使い道として、完璧な人工の自然を作り出そうと考える。何年もかけて候補地を探したエリソンは、そこに人の手による大自然を出現させた。
客はそこへは船で行くことになる。川を遡っていくのだが、岸の崖は繊細な花で覆われている。凝った小舟に乗り換え、水門をくぐると、客の前に大岩壁が現れる。それは一枚岩を垂直に断ち割って作られたもので、薔薇に彩られている。
岸には異国風の建物があり、周囲は忍冬(すいかずら)や雛罌粟(ひなげし)、百合などで美しく飾られているのだった。・・・・
二つの作品の接点を考えてみよう。ポオの作品には、船の進んでゆく両岸の景色として岩壁、崖という表現は何度か出てくるが、鷲や鷹、鳥の巣に関する記述は全くない。
補足して言うと「アルンハイムの地所」には「ランダアの家」という姉妹編、続編にあたるものがある。何か参考になることがあるかと思って、一応そちらのほうも読んではみたのだが、鷲も鷹も登場しなかった。
「ランダアの家」は、アルンハイムの最後の場面に出てくる屋敷の詳細な描写であり、室内の装飾やその調度品の趣向についての、丁寧で細かい説明が延々と続くのである。
そうなると謎の猛禽である。小説に出てこないものが、絵の主題となっているのだから・・・・。 おそらくマグリットはこの小説を読み、現実と幻想が入り混じる作品世界に強く惹きつけられたのだろう。彼はこの小説の挿絵を描きたかった訳ではなく、小説の中に展開される「人工の自然」という表現に着想を得て、人の手によって作り出された自然物の、極致的世界としての一情景を、幻景として創造したのだろうと思われる。
画家が小説家から貰ったのはこの題とこのテーマなのだろう。その意味でたとえタイトルは同じであっても、これは違う形で創作された「人工の幻想的自然」なのだと思われる。
二人の作品には表現手段は異なっていても、感覚的に錯綜する情景や場面を描き出す不気味さという点で、どこか通底するものがある。つまり心の深いところでシンクロしているのだろう。
マグリットがポオのこの小説を読んで共感し、刺激や影響を受けたことが感じ取れるし、更なるインスピレーションを与えられることを願って、画家はポオの他の作品群もきっと熟読したのに違いないと思われる。
仮にもし、ポオの方がマグリットの絵を見て、創作意欲を掻き立てられていたとしたら、そこからどんな面白い物語を紡ぎ出したことだろう。できることならそれをこそ読んでみたかったと思う。
でもポオは十九世紀前半に生きたアメリカの詩人、小説家であり、マグリットは、二十世紀前半に活躍したベルギーの画家である。
二人の間に約百年の時の隔たりがあるのが残念である。
「ポオ小説全集3・4」(春秋社)