幻というペンネーム
幻というペンネーム
インドの言葉を一つだけ知っていた。マヤという言葉である。十代のころ、神戸の摩耶山に何度か登ったのだが、そのときに摩耶が釈迦の生母の名前であると聞いた。そしてマヤとは、元はインドの古い言語であるサンスクリットから来ており、幻を意味すると何かで読んだ記憶があったのだ。
以前インドを旅したとき、町で知り合ったインド人と話をしていて、この言葉を思い出したので、訊いてみた。
「ところでマヤという言葉は、幻影という意味なんでしょうか。蜃気楼みたいな」
「そう、よく知っていますね。マヤというのは、確かに幻という意味ですが、あなたが思うのとは少し違っています。それはこういうことです。
例えば映画館で、映画を見ていたとしましょう。あなたは夢中になって画面の中の物語に心を奪われます。見ていること、起きていることが全部現実にあることのように思われて。そのとき不意にフィルムが切れるか何かして、画面が急に白くなり、全く何も写らなくなります。館内では人々が不満の声を上げるし、同時に天井の電気も点って明るくなります。
するとその瞬間、あなたははっと気づくのです。たった今自分が我を忘れるほど熱中して見入っていたものが、すべて虚像であったのだと・・・・。
それと同じように、現世で起きる出来事、私たちに見えるもの、感じられるもの、聞こえるもの、およそこの世における一切の現象は、いわばスクリーンに映る虚像です。そのことをサンスクリットでは幻、つまりマヤというのですよ」
私はじっと聞き入っていた。マヤという言葉が、そんな深遠な意味を持っていたとは全く知らなかった。
この国の人たちは、何という奥深い言語世界を持っているのだろう。そして感心しつつ改めてこの人の職業を尋ねてみた。
「以前、小さな宿屋で支配人をしていたんですよ」
男が教師や僧侶などの特別な人ではなく、ごく普通に生きてきた市井の人であると聞いて、そのさりげない話し方にも心打たれ、人にすぐさま職業を尋ねて、その人となりを判断しようと思った自分を恥じた。
その後何年か経って文章を書き始め、小説を志すようになった。本名で書くよりも、と思案しているうち、ふとペンネームとして思い浮かんだのが、このときの思い出であった。
小説とは、紙の上で言葉によって人の真実を描き出そうとする、一種の幻であろうかと思う。
それで両親がつけてくれた本名の眞理子から一字とり、学生時代に登った思い出のある摩耶山に因んで、ペンネームを眞耶としたのである。
(2004.5.5)