森鷗外
「舞姫」「じいさんばあさん」(筑摩書房)
「普請中」「半日」(集英社)
森鷗外
「舞姫」「じいさんばあさん」(筑摩書房)
「普請中」「半日」(集英社)
森鴎外は文久二年(1862年)、津和野(島根県)の生まれ、本名は林太郎。小説家、翻訳家、評論家、軍医、官吏と多彩な顔を持っている。生家は津和野藩の典医であったが、曽祖父の代で血筋が絶え、養子養女で家を継ぎ、鴎外は待望の嫡男であった。十歳のとき父と上京、家族も後に合流し、父は医院を営んだ。鴎外は親戚の西周(あまね)宅に下宿して私塾に通い、ドイツ語を学び、年齢を二歳多く申請し、十四歳(実年齢十二歳)で医学校(現東大医学部)予科に入学した。
卒業後、陸軍軍医となり、二十二歳でドイツ留学(衛生学)を命じられ渡欧した。四年後に帰国するが、直後にドイツ女性(「舞姫」のモデルとされる)が来日した。鴎外の家族は驚き困惑し、弟や親戚、友人らが説得して女性は帰国したが、鴎外はその女性とずっと文通を続けたという。鴎外は医学校、大学校教官となり、赤松登志子と結婚。雑誌「しがらみ草紙」を弟らと発刊した。続いて「舞姫」を「国民之友」に発表。長男於菟の誕生直後に妻とは離縁し、子どもは鴎外側が引き取った。「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」のドイツ三部作はこの頃の作品で、評論、翻訳には携わるものの、創作からは遠ざかった。
日清戦争に出征し、その後陸軍軍医監となり小倉に赴任、四十歳のとき二十一歳の荒木志げと再婚した。帰京し長女茉莉が誕生。日露戦争に出征、各地を転戦した。その後次女杏奴をもうけた。創作を再開し「スバル」に「半日」「ヰタ・セクスアリス」(発禁)「青年」などを発表。五十歳頃より歴史に材をとり「阿部一族」「山椒大夫」「高瀬舟」「渋江抽斎」などを発表した。退職後は帝室博物館総長、帝国美術院長などを務めた。長男於菟、長女茉莉の渡欧を東京駅で見送り、その後病が進み腎萎縮、肺結核により六十歳で死去。
「舞姫」 あらすじ
太田豊太郎は帰国の船上でドイツ留学の日々を回想する。官吏である豊太郎は夕暮れの教会前で美少女エリスと出会い惹かれる。彼女はビクトリア座の踊り子であった。父の葬儀代にも事欠く一家の困窮を見て、豊太郎は腕時計を差し出した。これを機にエリスとつき合うようになるが、仲間の讒言によって豊太郎は免職となる。エリスと同棲を始めた豊太郎は、友人相沢の紹介で新聞社通信員の職を得、貧しいながらも幸福な日々を過ごし、やがてエリスは妊娠する。あるとき相沢の口利きにより、豊太郎は大臣のロシア訪問に随行、通訳を務めたことから大臣に信頼され、復職の可能性も出てくる。相沢の忠告もあり、豊太郎は日本への帰国意志を問われたとき、つい承諾してしまう。しかし豊太郎との別離を危惧しているエリスに、それを告げることができない。
豊太郎はひとり悩むうちに病気になって倒れ、高熱のため数週間意識を失ってしまう。エリスは看病に努めるが、その間に相沢から豊太郎帰国のことを聞かされ、自分が捨てられたのを知って発狂状態になり、治癒の見込みがない「パラノイア」と医師に診断された。やがて病から回復した豊太郎は、変わり果てたエリスの姿を見て悲しみにくれる。せめてもの償いにと、手元のお金をエリスの母に渡して今後を頼み、心を残しながらも大臣に従って帰国の途についた。そして復職や帰国に尽力してくれた相沢に対し、感謝しつつも、彼を憎む気持ちも残っている、と心の中で呟くのだった。・・・・
この作品は鴎外二十八歳のとき「国民之友」に発表した小説処女作。教科書にもよく載っている作品で、自身のドイツ体験をもとにしたとされる。日本人が主人公なので、発表時は興味深く読まれたことであろう。雅文体でつづられ、ブランデンブルグ門、ウンテル・デン・リンデン(大通りの名)、ドロシュケ(辻馬車)、マンサルド(屋根裏部屋)など、異国情緒が感じられる目新しい言葉が随所にあるので、当時は新鮮だったかもしれない。ちなみに豊太郎がエリスと出会う場面はこのように描写される。
・・・・ある日の夕暮なりしが、余は獣苑を漫歩して、ウンテル、デル、リンデンを過ぎ、我がモンビシユウ街の僑居に帰らむと、クロステル巷の古寺の前に来ぬ。
・・・・余は彼の燈火の海を渡り来て、この狭く薄暗き巷に入り、楼上の木欄に干したる敷布、襦袢などまだ取り入れぬ人家、頬髯長き猶太(ユダヤ)教徒の翁が戸前に佇みたる居酒屋、一つの梯はただちに楼に達し、他の梯は窟(あなぐら)住まいの鍛冶が家に通じたる貸家などに向ひて・・・・。
・・・・今この処を過ぎんとするとき、鎖したる寺門の扉に倚りて、声を呑みつつ泣くひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし。被りし巾(きれ)を洩れたる髪の色は薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりともみえず・・・・。この青く清らにて物問ひたげに愁を含める目の、半ば露宿せる長き睫毛におおはれたるは・・・・(「舞姫」より)
「舞姫」は留学生の恋愛を扱っているので、西欧への憧憬もあり、当時世間の関心を引いたという。けれどもその結末は、主人公が恋人と出世を天秤にかけ、妊娠し発狂している少女を捨てて帰国してしまう、という悲惨なものなので、明治の読者もさすがに納得できなかったのではないか。もしこういう内容のものを発表すれば、当然鴎外自身と重ねて見られてしまうことはわかっていたはずである。自分がこのように冷酷に振る舞う人間であること、そして異国で女性と関係を結んでいても、自分の置かれた立場を優先し、そういう女性との縁は完全に断ち切ってしまったのだ、とあえて小説を通じて世間に公表しているかのようにも思える。
鴎外帰国の四日後に、一人のドイツ人女性が横浜港に着き、築地精養軒にしばらく滞在したことは、現在ではよく知られている。この女性はエリーゼ・ヴィーゲルトという名で、手芸の上手な二十一歳くらいの小柄で美しい人で、エリスのモデルといわれている。鴎外を追いかけてきたかたちにみえるが、あらかじめ日時を打ち合わせて来たのだという説もある。真の事情はわからないが、彼女は鴎外の心を信じ、結婚の希望を持って来日したのであろう。従来この女性の正体については、よくわからなかったらしい。名前も年齢も不確かな上、十五歳の少女説から三十代の人妻説まで諸説あり、さまざまなことが推測でいわれてきたという。
ところが近年になって、六草いちか氏がベルリン在住の地の利を生かして、教会の記録、公文書などを綿密に調査した結果、この女性をエリーゼ・マリー・カロリーヌ・ヴィーゲルトとほぼ確定したとのことである。エリーゼの親族も生きており、日本に行ったことも子孫は知っていて、遺品も写真も保存されており、その写真はすでに中年に達した年齢のものであるので、舞姫エリスのイメージとは違っていて驚かされるが、子孫と遺品にたどり着くまでの経緯は「鴎外の恋」と「それからのエリス」(ともに六草いちか著 講談社)に詳しい。
鴎外の帰国直後に、鴎外からドイツ女性の来日を聞かされた家族は驚愕し、おそらく相談を受けた上司、友人および周囲の誰もが結婚に反対したのであろう。女性は鴎外の親族に受け入れられることはなかった。鴎外はどこにも味方を得られず方策尽きて孤立し、ついに諦めたらしい。この女性は精養軒から出ることもあまりなかったらしく、鴎外の弟、親戚、友人らの度重なる説得によって滞在を断念し、翌月の船で日本から去っていった。鴎外らが横浜港まで見送り乗船を見届けたという。それで家族はようやく一安心したらしい。鴎外の妹は、このときのことを後になってこう記している。
「誰も誰も大切に思って居るお兄い様にさしたる障りもなく済んだことは家内中の喜びでした」(「森鴎外の系族」小金井喜美子)
「独逸の婦人が兄の後を追って来て、築地の精養軒にいるといふ話を聞いた時は、どんなに驚いたでせうか。・・・・母は痩せるほどの苦労をなさいました」「十月十七日になってエリスは帰国することになりました。だんだん周囲の事情も分り、自分の思違へしていたことにも気がついてあきらめたのでせう。もともと好人物なのでしたから」「後、兄の部屋の棚の上には、緑の繻子で作った立派なハンケチ入れに、МとRのモノグラムを金糸で鮮やかに縫い取りしたのが置いてありました。それを見た時、噂にのみ聞いて一目も見なかった、人のよいエリスの面影が私の目に浮びました」(小金井喜美子「鴎外の思い出」)
鴎外の家族、とりわけ母の峰子にとっては、痩せ細るほどの心労で、女性の来日は一種の厄災にも等しい出来事だったようである。鴎外と女性との面会はさせず、周囲が女性を説得したともいわれているが、これは疑わしい。はるばるやって来たエリーゼは、他人の説得や渡される鴎外の手紙などで納得するはずがなく、本人に直接会って話をすることを切に求めたであろう。最終的には二人による話し合いがあったと思われる。
鴎外の遺品の中には、МとRの大小デザインを組み合わせた金属製のモノグラム型板があったという。今も記念館に保存されているそうである。モノグラム型板とは、当時女性が刺繍に用いたテンプレートで、男性が所持していても使い道のないものと思われるが、ドイツでは婚約に際し、女性が型板を贈る古い風習があったということらしい。ここからは私の勝手な空想になるが、手芸の好きなエリーゼは、長い航海中の手すさびに、恋人のためイニシャル刺繍を施した小物などを、心はずむ思いで作っていたのではないだろうか。日本で住みたいという望みは拒絶され、空しく帰国することになってしまったのだが、別離に際し、エリーゼはせめてもの思い出にと、手作りの品を使用した型板とともに、鴎外に贈ったのではないだろうかと思う。そしてそれらは長く鴎外の手元に残され、エリーゼの形見となった・・・・。
エリーゼの帰国後、母の峰子は息子を説いて、以前から話のあった赤松家との婚約、結婚を急いだらしい。そして問題の「舞姫」の発表は、それから一年数か月後のことであった。鴎外にはもうそのとき登志子という妻がおり、彼女は良家の教養ある令嬢であったが、鴎外は当初から結婚に気が進まず、不和であったという。
ドイツ女性来日の顛末は、いくら鴎外側が隠していても、尾ひれのついた噂となって職場でも広まっていったことであろうし、憶測や中傷もあったかもしれない。こうした艶聞は新妻にとってもひそかな懸念であったと想像できる。鴎外は自分の立場を明確にするためにも、きちんとドイツ女性と絶縁していることを、何らかのかたちで示す必要があったのではないだろうか。「舞姫」とは、そういう自分にまつわる負の部分を払拭するような目的と、鴎外自身も過去の未練がましい気持ちにこの際はっきり決別するという、ある意志をもって書かれたようにも思えてくる。「舞姫」はそう長い作品ではないが、非常に凝縮された文章と感じられ、短いが何かしら気迫の籠ったような表現、また行間に漂う浪漫性、失ってしまったものへの挽歌ででもあるような気もするのだが。
この作品は、原稿の段階で、鴎外の家族の前で読み上げられたという。おそらくはその中身を家族が気にしたので、要請に応じたものであろう。それでもってようやく家族も納得し、発表に至ったというのであろうか。
・・・・朝の珈琲果つれば、彼は温習に行き、さらぬ日には家に留まりて、余はキヨオニヒ街の間口狭く奥行きのみいと長き休息所に赴き、あらゆる新聞を読み、鉛筆取り出でてかれこれと材料を集む・・・・。
我学問は荒みぬ。屋根裏の一燈微に燃えて、エリスが劇場よりかへり、椅(いす)に寄りて縫ものなどする側の机にて、我は新聞の原稿を書けり・・・・。(「舞姫」より)
異国での若い女性との貧しいがみずみずしい生活の細部、情景が活写されており、鴎外の体験や、あるいは観察という下敷きがあったからこそ、伝えることのできる情緒でもあったのだろう。物語の後半は豊太郎の身勝手さが強調され、実に都合の良い展開となっており、彼はエリスに事情を告げる苦痛から、うまく免れるかたちになっている。結末の冷たさについても、今の女性からみれば、とても容認できるようなことではないであろう。ただ一方的に、女性側の悲哀が語られてゆくのである。
それにもかかわらず、本当はこういう結末を、鴎外は決して書きたくなかったのではないか、と思えて仕方がない。鴎外はこんな冷酷な人ではなかったように思われる。鴎外の子どもたちは、それぞれに父親の面影を伝える回想記、随筆を残していて、たとえば「父親としての鴎外」(森於菟著 ちくま文庫)を読んでみると、家族に寄せる気づかいや父親としての愛情の細やかさが切々と伝わってくる。
「舞姫」は現代の感覚でいうと、救いようのない結末を持つ物語である。けれどもこのような展開や流れを準備し、ひどい仕打ちで小説を決着させざるを得なかった、当時の鴎外が生きた明治の時代という重圧、時代の要請に従い個人の意思が押し潰され、それを感じつつも跳ね返すことのできなかった鴎外の悔しさや葛藤、怨念に近いもの、そして行き着いた諦めの境地をやはり思ってしまうのである。
鴎外の親友、賀古鶴所という人物が相沢のモデルとされており、実際に彼は、折々に鴎外に忠告や援助の手を差し伸べているそうである。そして賀古が政府随行員として欧州視察の長旅をした機会に、ベルリンを訪れて帰国後のエリーゼに会っていたのではないかとも推測されているそうである。もしそうだとしたら、エリーゼと賀古の間で、鴎外について何らかの会話が交わされたはずで、推測の域を出ないが、「舞姫」執筆の背景を考える上で興味深い。
「舞姫」は賀古鶴所の帰国後、まもなく執筆されたらしい。外国での恋、出世と恋人の間で揺れる主人公、暗転してゆく日々、恋人を捨てるという選択・・・・けれども暗い結末を書きながら、鴎外は実はそれとはまったく異なる世界を夢想していたのではなかったろうか。かつての自由で愛に満ちた青春の日は次第に鴎外の中から次第に遠のいて、もはや異世界の記憶となってしまい、現実の日常の枠の中での責務、家族への愛情は逃れられない枷となって鴎外を締めつけていたに違いない。鴎外は、本当は軍医として生きる道を望んでいなかったかもしれないし、もっと文学に力を注ぎたかったかもしれないし、できることなら心に思う女性と自由に生きる道を模索したかったかもしれないが、自分勝手な行動は許されない立場にあった。旧家の森家の長男としての重責は絶えずその肩にかかっており、敬愛する母や周囲の期待を裏切り、与えられた職務上の責任を簡単に放棄するわけにはゆかなかったのであろう。
当時としては思い切った行動だったと思われるが、来日したエリーゼ・ヴィーゲルトは、帰国後、帽子製作者として生き、(帰って帽子会社の意匠部に勤める約束をして、という小金井喜美子の文章と合致する)長く独身であったが、鴎外が四十歳で荒木志げと再婚したその三年後、三十八歳のときに、二歳上のポーランド系ユダヤ人マックス・ベルンハルトと結婚した。子はなかったという。夫は商人であったが、十数年後に亡くなった(一九一八年という)。彼女はその後ずっと独り身であったようだ。第二次大戦を生き延び、八十六歳まで生存し、老人ホームで亡くなったそうである。
「普請中」 あらすじ
官吏である主人公は、かつての恋人であるドイツ人女性と再会するため、築地の西洋料理店へと向かった。店内は普請中のためか調度品もちぐはぐで落ち着かない。そこへアンヌマリイ帽をかぶったブリュネットの女性がやって来た。歌手である彼女は、何となく疲れた雰囲気を漂わせており、大きな目のふちには紫がかった隈が見られた。ロシアから来て日本に滞在し、アメリカへと向かうのだという。ポーランド人の夫あるいは情人と思われるコジンスキーという男を伴っての旅の途上であるという。二人の会話ははずまず、かみ合わない。女性が手を差し出したので主人公はその手を握るが、その後のことは「ここは日本だ」と冷たく拒絶する。女性はかつて二人だけで過ごした懐かしい思い出をたどり、昔語りをしようとするようだが、男の方はあまり気が乗らない。遮るようにシャンパンのグラスを上げると、「コジンスキー ゾル レーベン」と言っておめでとうの乾杯をした。グラスを上げる女性の手は少し震えていた。その後女性は寂しく通りを馬車で去っていった。・・・・
「普請中」(明治四十三年)は鴎外四十八歳のときの作品である。「普請中」というタイトルについては、直接的には精養軒が修繕をしていることを指すが、通説では当時の日本が西欧化を進めている途上にあることを意味すると解釈されている。それらを否定するわけではないが、もっと心の中のことを比喩的にいっているようにも感じられる。
鴎外はエリーゼの帰国、手紙のやりとりを続けていたらしい。エリーゼに定期的に送金していたのではないか、という説もあるそうだ。互いの近況や身辺の変化についてもおそらく知らせ合っていたことであろう。鴎外が四十歳で二度目の妻を迎えたこと、誕生した長女の名が茉莉であること、(エリーゼのミドルネームもマリー)なども書き送ったであろうし、その三年後に、はエリーゼがポーランド系の男性と遅い結婚をしたという報告も、鴎外の元へもたらされたかと思われる。
「普請中」は鴎外が、かつての恋人エリーゼの結婚を知ったときに生じた心の波紋、そのときの複雑に屈折する心情を作品にしたものであろうかと推測される。もしかすればエリーゼから近影として写真も送られてきていたのかもしれない。それを眺めながら、しみじみと若い日を回想しつつ、別離の後、年を重ねてきているエリーゼの姿を作中に幻として東京に呼び寄せてみたのがこの「普請中」という作品ではないか、と思うのである。
作品を読んでいくと、こういう箇所がある。女が一人で旅をしているのではなく連れがいることを告げる場面である。ためらいつつ女は同伴者の男の名をコジンスキーと教える。すると主人公の官吏はこういうのである。
「あのポラックかい」妙に引っかかる尖った反応である。ポラックとはポーランド人のことをいい、差別用語とのことである。エリーゼが三十八歳でポーランド系の男性と結婚したことを踏まえてここを読むとき、このひと言に込められた悔しさともとれる主人公の屈折した感情表現が興味深い。作中では女の職業は歌手であり(踊り子ではない)伴奏者としてコジンスキーという男がいるのだと説明する。伴奏者とは人生の同伴者であることをも意味するであろう。主人公はかつて愛し合ったはずの女性との間に流れ去った時をしみじみと思うのである。
美しかったエリスの幻影を、年月を経てのち、思い出の精養軒に呼び戻して登場させるとき、踊り子という設定にするのももう年齢的に無理があるし、同じ趣向というのも工夫がないので、疲れた表情を浮かべる若くない職業歌手という風に変えてみたのであろうか。この作品中の女性は、踊り子エリスが変容した十数年後の姿にほかならない。
作中で女が「あなた少しも妬(ねた)んではくださらないのね」という。これは昔の男が今でもまだ自分に気があるかどうかを、軽く探ってみるときの女のせりふである。それに絡めて昔の日々を懐かしもうとする女に対し、男は「コジンスキーと末永く」というようなことを皮肉っぽく切り返して、シャンパンのグラスを上げるのである。すると女の方も応じて「凝り固まったような微笑を顔に見せて、黙って」グラスを上げる。苦い二人の乾杯。互いの複雑な心理が交錯する場面である。この作品の最後の部分をみてみよう。
・・・・まだ八時半ごろであった。燈火の海のような銀座通りを横切ってウェエルに深く面(おもて)を包んだ女をのせた、一輌の寂しい車が芝の方へ駆けて行った。(「普請中」より)
それまで主人公は、ずっと女に対し冷淡な態度をとり続けていたかのように見えていたが、ここにきて最後に本心を覗かせ、深い寂寥感でもって愛した女の去ってゆく後ろ姿を見送っている。このとき読者の心には、主人公の参事官と鴎外の姿が重なって感じられる。その昔エリーゼと別離について話し合いを行った同じ精養軒のこの空間・・・・。
次第に時をさかのぼり昔の波立つ感情も蘇ってくるかのようである。まだ八時半であった、という言い方に、もっと長く過ごしていたかったと惜しむ気持ちが切なく表れ、男は車が見えなくなるまで暗い戸外に視線を投げて、闇に消えてゆく女の行方をじっと見守るのである。
会って話している間は、主人公の官吏は冷淡さを装っていたかもしれないが、心は伝わったのであろうか。いくつかの精養軒での場面での冷たい言動が本当は偽りであったこと、男が本当は女を心でいとおしく思っていることが、短い表現の中に感覚的に凝縮されているようにも思われて、印象深いものがある。
「普請中」とは、その象徴するものは、焦って西洋化を推し進めようとしている日本のいびつな現状であったかもしれないが、それにさらに重ねるようにして、過去のことは遠い思い出とし、これからはそれぞれ新しく得た伴侶と新たな生活を築いてゆこうとしている二組の男女の心のありようを「普請中」という言葉で言い表しているのではないかと想像できる。鴎外とエリーゼが最後に会ったとき、どういう言葉を交わしたのかはわからないが、横浜港で別れた後、会うこともなく、もう二度とその人生が交差することはなかった。そのまま時が流れるにまかせ、互いに別の人を選びとったのだ。その選択は肯定したほうがいい。鴎外は志げと、エリーゼはマックスと、ともに新しい人との暮らしを新しい気持ちで構築していかねばならない。二人ともまさにその途上にあるのだと。「普請中」という題名にはそういう意味が込められていると、私には思えるのである。
「半日」 あらすじ
主人公高山は大学教授、孝明天皇祭で宮中に参内する朝のこと、同居の母親の声が台所から聞こえたことで妻の機嫌が悪くなり、かねてから対立している嫁姑の問題に巻き込まれて悩まされる。妻は高山の母とは同席しようとせず食事も別で、子どもも母に近づけないようにして、あれこれ言っては嫌い続けている。高山は苦労して育ててくれた母をそれなりに敬愛しているが、妻の嫉妬や独占欲のために否定される。夫婦の間に割り込んでくること、家計を母が握っていることへの不満をさかんにぶつけられ、挙句に子どもを連れてどこかへ出て行くと妻は言いつのり、高山はすでに式服に着替えて支度をしていたがそれを脱ぎ、参内を中止して、たかぶる妻の言い分を聞き説得することに努めるのである。やがて台所ではそろそろ昼食の準備が始められることになる。作品の最後はこう締めくくられる。「今に母君が寂しい部屋から茶の間へ嫌われに出て来られるであらう」・・・・
「半日」は鴎外の日常をそのまま描き出しているそうである。どうもこれが鴎外の再婚生活の実態であったらしい。鴎外の最初の妻は、離縁後に別の人に嫁いだが、病弱だったのか十年程して結核で亡くなったという。鴎外の方はその後ずっと独身を続けていたが、児玉せきという使用人の女性(仕立物をしていた)を鴎外の母が妾として勧め、近所に囲うかたちにしていたそうである。この女性とは後に手を切ったらしい。再婚した志げ夫人はたいそう美人で、これも鴎外の母親が探してきて息子に勧め、見合いをさせたということである。若く美貌の志げ夫人であったが、性格はわがままで姑だけでなく先妻の子、於菟のことも嫌っていたそうである。鴎外は妻と母の対立に悩み、双方に反省をうながすために「半日」を発表したともいわれている。読んでみれば、妻の勝手な言動に夫が振り回される出来事を通し、暗に妻の側に多く非があるような書きぶりにもなっている。
けれども鴎外は均衡をとるためか、志げ夫人にも文章を書くことを勧めたので、夫人は妻側からみた結婚生活を率直につづった「波瀾」などの作品を鴎外添削の上で発表した。夫人にとって執筆は憂さ晴らしになったのかもしれないが、家族間の人間関係の融和に真に効果があったのかどうかは・・・・疑問であろう。
鴎外は五十代に入ると次第に歴史小説に傾斜していった。資料を丹念に読み込んで作品化し、多くの短編を残している。女性の描き方にも特色がみられて興味深い。たとえば「山椒大夫」の安寿は、自分の命を犠牲にして弟の厨子王を励まし脱出させる。「安井夫人」の佐代は評判の美貌であったが、自らの意志で決断し醜男の夫を選んだ。「最後の一句」のいちは、自分と弟の命と引き換えに父の助命を願い出る。凛とした強さと優しさを持つ安寿、自分の意志で嫁いでいった佐代、聡明さと決断力で役人をたじろがせる少女いち。いずれも自分が信じたことを貫こうとし、自分の意志を曲げずに行動する女性たちである。こうした女性たちの姿勢に読み手は深く共感できる。鴎外はこうした女性たちの生き方にある理想を見出していたのであろうか。
「じいさんばあさん」 あらすじ
穏やかに老夫婦が暮らしている。夫の伊織は七十一歳、妻のるんは七十歳、ままごとのようなほほえましい日々で睦まじいが、どこかに遠慮があるようにもみえる、と近所の人たちが噂し、やがて二人の過去がわかってくる。夫の伊織は若い頃に、同僚と口論し、短気を起こして相手を斬ってしまい、越前丸岡に「永の御預け」という処分を受けた。妻のるんは年老いた伊織の祖母の最期をみとり、また嫡男を五歳で亡くした後は、一生武家奉公をしようと思い立ち、黒田家に入って代々の奥方の奥女中を務めて長い年月が流れていった。やがて年老いて奉公先を退き、郷里の安房に戻っていたるんに朗報が届いた。伊織の罪が許されて、配所から江戸に帰ることになったのである。越前丸岡で人に書道や剣術を教えて暮らしてきた伊織とるんは三十七年ぶりに江戸で再会し、ともに暮らすようになったのであった。・・・・
「じいさんばあさん」(大正四年)を読んでいると、鴎外はこのようなかたちの愛もあると静かに読者に語りかけているような気がしてくる。現実には鴎外はエリーゼとは結ばれず、赤松登志子とは籍も入れないまま愛情のない結婚をして一年半で別れ、その後は児玉せきと仮そめの関係があったが、それは母親が与えた相手であり、再婚した志げ夫人とはあれこれ揉め事はあったかと思われるが、四人の子をもうけ二十年の年月をともに過ごした。
鴎外はその生涯に複数の女性と係わりを持ったけれども、やはり心の中では実らなかった最初の恋の相手、エリーゼの面影をそっと温め続けていたのではないだろうか。
森於菟の回想記によると、鴎外の詩「釦紐」(ぼたん)に出てくる「こがね髪ゆらぎし少女(をとめ)」が、父鴎外が胸中忘れかねていた人であった、と推測している。また父がドイツ留学時代の外国の男女の友人たちの写真や手紙などを、たくさん持っているのを見たことがあり、きっとその中にエリーゼの写真も混ざっていたと思われるが、後になって見た父の遺品の中には、そういう写真は見つからなかったそうである。小掘杏奴の回想記によれば、晩年になって死期が近づいた鴎外が、エリーゼ関連の手紙や写真をすべて妻に焼却させたということであるが・・・・。
「じいさんばあさん」に戻ろう。伊織とるん(変わった名前である。もしかすればエリーゼの結婚後の姓、ベルンハルトからとったのかもしれない)が長い年月が流れたのにもかかわらず、その間一度も会う機会がなかったのに、互いを信じて相手を心で思いつつ、遠く離れた地で暮らし続ける。そしてもうほとんど諦めていた頃になって再会がかない、以前のように愛のある二人の暮らしがはじまる。それは鴎外が現実には得られなかった幻の世界であるが、男女の愛の理想の一つのかたちとして、淡々とかつ味わい深く描かれており、そしてこの物語の裏には、鴎外とエリーゼ、二人の面影がそっとひそませてあるのではないだろうかと、ふと思ってみるのである 。
ちくま日本文学「森鴎外」 筑摩書房
日本文学全集4「森鴎外集」集英社