斎 宮 の 森
斎 宮 の 森
近鉄線の「斎宮」駅に降り立った。松坂と伊勢の間にある小さな駅である。斎宮とは天皇に代わり伊勢神宮に仕える女性のことで、斎王ともいう。天皇即位の度に未婚の皇女や女王が伊勢に派遣され、斎宮としてこの地に住んでいたのである。
その歴史は古く、崇神天皇の時代に遡る。一覧表には古代から南北朝で廃絶するまで、七十六人の斎宮名が記されていた。日本武尊(やまとたけるのみこと)の叔母の倭姫など伝承上の斎王、また飛鳥時代、謀反の罪で刑死した大津皇子の姉の大伯皇女の名が見える。多くは数年で交代しているが、中には三十年以上という人もいる。
占いで斎宮になることが決まると、郊外の野宮で身を清めるための潔斎の日々を過ごさねばならなかった。嵯峨野の野々宮神社がその地としてよく知られているだろう。
黒木の鳥居を設け、垣を巡らせた宮に籠もるのである。期間は大体一年であったという。その後、皇女たちは伊勢へと旅立ったのである。
「斎宮」駅を出ると、周囲にはのどかな田園風景が広がっていた。古代の道路跡という畑の中の道を北へ進むと、黒い鳥居と森が見えてきた。
斎王宮跡である。由来を書いた案内板を読み、木陰にしばらく佇んだ。近年発掘が進み、宮殿の遺構も見つかっているというが、往時の建物は跡形もなく、ただ青空の下に漠とした空間が広がっているのみである。
明るいのに妙に寂しい。ここで過ごした斎宮たちの哀感が、今も消えずに漂っているように感じられる。賑やかだった都での日々、引き離されてしまった家族や愛する人への思い、深い寂寥感・・・・。
ここで与えられた生活は、おそらくは彼女たちの望郷の思いを和らげてくれなかっただろう。課せられた務めを果たしつつ、人に言えない屈折した思いを抱え、彼女たちは心の中でじっと年月の重みに耐えていたのではないだろうか。
草花が風に揺れる静かな野の道が続いている。斎宮の仕事や生活を展示しているという斎宮歴史博物館へと向かう道に、斎宮の歌が道しるべとなって順に紹介されていた。
密かに会いに来た弟の大津皇子を見送った折の、大伯皇女の歌が二首取り上げられていた。
わが背子を大和へ遣るとさ夜ふけて 暁露に我が立ち濡れし
二人ゆけど行き過ぎがたき秋山を いかにか君がひとり越ゆらむ
心のこもった哀切な調べであった。
(2005.3.30)