野溝七生子
「山梔」(講談社文芸文庫)
「眉輪」(展望社)
野溝七生子
「山梔」(講談社文芸文庫)
「眉輪」(展望社)
野溝七生子(のみぞなおこ)は明治三十年生まれ。父は豊後竹田の士族の出で、陸軍軍人として姫路、鳥取、金沢、丸亀などに赴任、七生子は六男三女のうちの七番目の子として姫路で生まれた。県立大分高等女学校を終えると、同志社大学英文科に進み、卒業後は上京して東洋大学で西洋哲学を学んだ。二十六歳のとき応募した「梔子」が福岡日日新聞の懸賞小説に入選、翌年同紙に連載された。二十八歳のとき、映画シナリオ懸賞応募の「眉輪」が菊池寛らによって最優秀作とされるが、古代の皇室を題材としていたため映像化は見送られ、作品も活字になることはなかった。なお「眉輪」は、平成十二年になってようやく出版された。私生活では、三十歳のとき、フランス語を習っていた仏人将校ピエールとの恋愛体験が手記「アルスのノート」として残され、また歌人、編集者の鎌田敬止と知り合い、この人には妻子があったが、長く事実婚の関係を続けることになった。
三十四歳のとき、「女獣心理」が都新聞の懸賞小説に入賞、同紙に連載された。長編だけでなく、文芸誌、雑誌に短編も多く発表している。四十五歳のとき結核にかかって三年間療養生活を送り、五十四歳で東洋大文学部講師、後に文学部教授になった。五十代後半から新橋第一ホテルで暮らすようになり、それは三十年近く続いた。次第に創作からは遠ざかったようだが、教壇に立つ傍ら森鴎外を研究し、鴎外とゲーテ、クライスト、フローベルなどの関連について考察した。七十歳で定年退職後は、何度かヨーロッパ各地を旅した。
八十三歳のとき、鎌田敬止が死去。また八十五歳のとき、瀬戸内晴美が「諧調は偽りなり」で野溝七生子と辻潤との関係を誤認したため抗議し、第一ホテルで面談した。和解となり、問題の箇所は訂正されたが、心身の衰えが進み、被害妄想などの症状が出てホテル側から滞在を断られ、姪らが老人専門病院に移した。昭和六十二年、九十歳で心不全により死去。
「山梔」(くちなし)
あらすじ
快活で腕白な主人公、阿字子(あじこ)は父母、兄、姉、妹と暮らしている。夕暮れのお寺の庭で、母にと梔子の花に手を伸ばす阿字子は、届かない枝を折ってくれた風変わりな調という女性に惹かれる。調は蔵の中の本を読むことを勧め、阿字子は隠れて読む本の楽しみに耽り、やがて読書が心にもたらす高揚を知り空想の世界に遊ぶ。調は阿字子の兄の心をつかむが、その求婚を断って傷つけた。調は「お気の毒だけど阿字ちゃんは私と同じようになりそう」と予言めいたことも告げる謎の女性だった。
元軍人の父は厳格で、些細なことで怒り出すと、家族に対し病的なまでに暴力を振るった。父は継母に虐待されて育った不幸な過去を引きずっており、その歪みからの言動であることを、阿字子は頭では理解するものの、現実には殴られるたび、父を恐れつつ激しく憎悪した。見かねた母は代わりに自分が折檻することを申し出て、子どもの憎しみをあえて自分の身に引き受けようとする。姉の緑は従順に振る舞い、自分を押し隠して言われるまま軍人に嫁ぐが、その結婚は幸せとはいえなかった。妹の空(くう)は純粋な心で生きて皆に愛されているが、父の意志で進学の望みは遠ざけられる。
阿字子は学校で疎外され、同じく孤立して、苛められている早苗と友人になる。二人はともに同じ魂であった。早苗は父が囚人という重い事実を抱えているが、それを独自に乗り越える力を持っていることに阿字子は気づく。
阿字子の兄輝衛は、親戚の京子を妻に迎えて別に家庭を持った。阿字子は、気が強く世間知に長けた京子と気持ちが行き違い、二人の間はこじれてゆく。阿字子はかつて自分に本を買い与えてくれるほど良き理解者であった兄が変容し、世間の常識を振りかざしまるで父の雛型のように威圧的に批判してくることに失望する。
女学校を卒業して家にいる阿字子に、結婚話が持ち上がった。阿字子を幼時から知る兄の友人柏木が、好意を寄せていたのだった。周囲の誰もが良縁と感じた柏木を、阿字子は自らはっきりと拒絶する。断ったことは最愛の母にも理解されなかった。ついに居場所がなくなったと感じた阿字子は、ひたすら家を出ることを思うのだった。・・・・
作者二十六歳のときの作。作家としての出発点となった自伝的な作品とされる。かなり重苦しい内容だが、束縛や強制を嫌い、世間の常識的な枠組みから逃れて自由を得ようともがき続ける阿字子の心を克明に描いている。
設定は元軍人家庭であり、恵まれた生活水準のようであるが、知的好奇心旺盛な阿字子は精神的なものを希求してやまず、型にはめようとする周囲との軋轢は絶えない。女の子が本を読むということが悪影響をもたらす、として禁じられるということに、その時代の持つ制約や窮屈さが感じられる。けれどもそんな中で偶然手にした本「ギリシャ神話」の神々の情熱は阿字子の心をとらえ、さまざまな浪漫的な物語は空想の世界へと彼女をいざなってゆくのである。
父親の暴力の実態もおぞましく、体を靴で踏みつけるとか、逆さにして水に漬けるとか、ひどい体罰が、躾の名のもとに家庭で普通に行われていたように記述される。家庭内の揉め事のあれこれは読んでいて息苦しくなるほどだが、この時代に若い女性が独身を続けたり、上級学校へ進んで学んだり、また確かな職業を持って自立することが、いかに困難を伴うものであったかが、この作品を読めばなるほどと納得できるのである。阿字子が感じる父権への反発は、家父長制にとどまらず、おそらくその延長線上にある男性優位の社会のあり方の批判にもつながってゆくかと思われる。その時代、娘たちは結婚というかたちでしか自然に家を出る方法がなく、多くの女性は、結婚に気が進まなくても、学問の意志があっても、ある時期になると諦めてしまい、姉の緑のように親の決めた相手に嫁ぐなり、また妹の空のように、親の意志に従って裁縫の学校へ通わざるを得なかったのであろう。その家族間の葛藤が描き出されるがこの作品である。
阿字子は、世間が押しつけてくるいわゆる常識に対抗しようとするが、最も身近な家族からも真に理解されることはなく、周囲には戸惑いが生じる。兄の友人柏木からの結婚の申し込みの諾否を巡って、阿字子と母は向かい合う。
「今約束だけでもしておいて上げる方が好いでしょう。あんなにまで云って下さる方は、滅多にありませんよ・・・・」
「阿字子は、初めから、只の一度も、結婚したいと思ったことはありませんのよ・・・・」
「・・・・父さんや母さんは、そんなにいつまでも阿字子と一緒に生きてはいないってことも考えて呉れるでしょう。・・・・あなたに上げる財産といっても別にないんだとすれば、あなたは勢い、誰かの厄介にならなければいけないのでしょう。・・・・あなたは、あなたでちゃんとした家庭の主婦(おくさん)になって、幸福になって行けば好いじゃありませんか。・・・・」
「・・・・何だってよその人にやりたいんです。阿字子は他人の父さんや母さんを、阿字子の父さんや母さんを呼ぶようには、呼びたくはないんですもの・・・・」
結局阿字子は直接柏木に会って話すという方法をとり「母さんの子に、あなたも何故生れなさらなかったのでしょうね」「あなたは私の兄さんだったらよかったのです」などと言って断り、彼は去ってしまう。かなり白けてしまうせりふであるが、阿字子は大まじめでこれを言ってのけ、二人の間は終わる。
幼い日、夕暮れの庭で調が阿字子に予言した通り、兄が調から受けた屈辱を、ほとんど無意識のうちになぞるかたちで、阿字子もまた柏木を傷つけたのであった。作品の冒頭に、託宣の巫女のように調を登場させ「私のようになりそう」と言わせた作者の意図はここにあるのかと思われる。また負の連鎖という視点でみれば、阿字子の父が、幼児期に継母から受けた暴力の記憶を心によみがえらせ、家族に対してどうしようもなくぶつけてしまう衝動とも、どこかでかすかにつながっている。
柏木の誠実で真剣な求愛の言葉に心は揺れるものの、阿字子はどうしても彼を受け入れることができないのであった。考えてみれば父も兄も軍人、姉の緑の夫も軍人なら、柏木もまた軍人で、周囲には軍靴やら軍服の臭いが満ちている。柏木がいくら良い人であったとしても、阿字子もまた軍人の妻に連なる以外に、選択の余地がないように周囲から説得されるのでは、内心うんざりするものがあっただろう。阿字子は恋愛に対する理想があり、思い描く恋愛へのひそかな憧れがあったので、その気持ちを満たし、強く自分を動かしてくれるような相手でないと、納得できなかったのだと思われる。柏木は誠実な人ではあったけれども、阿字子の憧れや情熱を掻き立ててくれる恋の対象ではなかったのだ。
結婚への懐疑は、すでに阿字子の心にしっかりと根を下ろしていたようである。
「阿字子は、かつて、結婚することなくして、結婚の悲惨と恐怖を知っていた。父と母との結婚が、どんなに小さい魂をおびやかしていたか。・・・・」
これと似たような記述は何度も出てくる。暴力を介した両親のやりきれない関係は、阿字子の結婚観を歪ませる。阿字子が自分の未来に求めるものは、自分でもまだはっきりと自覚できない未知の困難な世界へと至る道ではあったが、少なくとも周囲の勧める結婚に、自分の将来を託すことではないのだった。けれどもそのような思いは理解されず、阿字子は周囲からは、わがまま者とみなされる。京子から色々いきさつを聞いた兄は、阿字子の思い上がりをきつく咎めてくる。態度が生意気だと怒り出す兄に向かい、阿字子もまた京子の言葉を引き取って、言い返す。
「それが貴様の言葉か」
「親同胞(きょうだい)の厄介者の、恥さらしの気ちがいの、好い新聞種の、世間の物笑いのいう言葉です」・・・・。
阿字子は父に替わって出現した新たな敵として兄夫婦を疎ましく思い、この後も彼らとの対立が続くことが予想されるのである。
登場人物の風変わりな名前についてみておこう。阿字子という名は奇妙であるが、ほかの名もそれに劣らず変わっている。仏教用語の影響下にある命名であろうか。密教の瞑想法である「阿字観」に由来すると思われる主人公阿字子。冒頭に出てきて不吉な予言めいたことを告げる調は、法会や勤行で指導の僧が最初に声を発する「調声」からきているかと思われる。また姉の名、緑は仏教の五色、青、黄、赤、白、黒の中で「青」の代用とされる色であり、その意味するものは、如来の頭髪の色といい、心穏やかに力強く生き抜くことを表すそうである。また妹の名である空(くう)は、仏教の基本的な教理であり、実体がない、すべての物事は「空」であると観じる、ということからの命名であろうかと想像される。それぞれの名が宗教的な色合いを帯びており、象徴的な意味をもって考えられ、作中の役割に応じて与えられた名と推察できる。
たとえ名前は架空のものであるにしても、「梔子」は自伝的なものとして興味深く新聞連載で読まれたであろうから、発表時、家族はじめ身辺の人たちにとっては複雑な気持ちだったのではないだろうか。
予想してはいたが「梔子」は読後感が重い作品であった。阿字子の家族は知的水準の高い人たちのように描かれている。その会話の質も込み入った内容で、かなり翻訳調の文体で長々と展開されるのが初めは気にはなるが、慣れてくるとそれも作者独特の味かと思い、的確に往時の家庭の雰囲気が表現されていると感じられるようになった。
父親から理不尽に受けた長年の暴力の蓄積が影を落とし、阿字子の心を苦しめて、その性格形成や言動にも影響を与えてゆく過程は充分納得できるものの、少々自分を正当化しすぎているようにも思われた。もっと冷静な別の視点もあったほうが、良かったかもしれない。また父親が年老いて家長を退いたことくらいでは問題は解決せず、父に代わって兄が権力を持ち、第二の父として高圧的に振る舞うようになってゆく姿は、ここにも負の連鎖があることを読み手に再認識させて効果的であった。
けれども阿字子が考えているよりは、家族の人たち、特に母と姉ははるかに深い愛情を阿字子へ注ぎ、温かく見守っているのだった。それにもかかわらず阿字子は母、姉への信頼が揺らぎ、満足感が得られず、間歇的に死の想念に取りつかれては死を思う。誇り高く自意識過剰、何事にも貪欲で、絶えず愛に飢えて絶望し、事あるごとに家族に確認せずにはおれないのである。周囲に対して愛を求め続ける、知的で孤独で傷つきやすい少女の姿がそこにはあった。
「眉輪」
あらすじ
大和の穴穂王(安康天皇)は、弟の大長谷王子(後の雄略天皇)の正妃として、河内の日下を治める大日下王の妹、若草香王女を貰い受けようと考え、使者として根臣を派遣した。病身の大日下王は、訪れた根臣に快諾の旨を伝え、婚約の礼物として押木玉蘰(おしきのたまかずら)を託した。見事さに目が眩んだ根臣はそれを横領し、大日下王が無礼にも拒絶したと讒言する。怒った穴穂王は軍を差し向けて大日下王を滅ぼし、王妃と幼い眉輪王子、若草香王女を大和石上の宮へと移送した。穴穂王はかつて思い合っていた王妃を自分の妻とし、大長谷王子に若草香王女を与えた。眉輪王子は母から引き離され、葛城の円大臣の館に預けられて韓媛の世話を受ける。
母に見捨てられたと感じた眉輪王子は、ひそかに葛城を抜け出し、長谷朝倉の宮にいる叔母の若草香王女を訪ねるが、葛城に連れ戻される。召使の朽木媼の手引きで再び葛城を脱出した眉輪王子は、河内の日下へ戻り、廃墟の宮で里人に助けられて暮らし、媼から根臣の悪事を聞かされる。
眉輪王子は日下を出、石上の宮にいる母にこの事を告げようとするが、穴穂王と母の寝物語を聞いてしまい、穴穂王が父王を殺した事を知り、熟睡した穴穂王を刺殺、逃走した。
大長谷王子は弑逆を聞き、異変をただちに兄の黒彦王、白彦王に知らせるが、勘違いや鈍い反応に苛立ち、逆上して二人の兄を殺してしまう。
眉輪王子は葛城の円大臣の館に逃げて、匿われる。大長谷王子は軍を興して館を囲んだ。敗北を悟った円大臣は、娘の韓媛をかねてから妻どいしていた大長谷王子に託し、眉輪王子を守って戦い、力尽きてともに焼死した。
韓媛は石上の王妃を訪ねて、眉輪王子が伝えられなかった根臣の悪事を、居合わせた若草香王女にも伝えた。根臣は玉蘰を持ってすでに姿をくらましていた。
王妃と若草香王女は日下の廃墟に戻り、焼け残った宮で朽木媼に会い、里人によって囚人となっていた根臣を尋問する。玉蘰は王妃の手に戻り、根臣は王妃によって腕を切り落とされるが、媼の手当を受けて立ち去り、後に里人に囲まれて殺される。
傷心の王妃は石上で病床に伏し、大長谷王子への愛憎に揺れる若草香王女は、一人日下に戻ってしまい、韓媛は葛城の里で暮らした。
大長谷王子は、次の王位を巡って競争相手となる従兄の押羽王を、近江の狩りへと誘い出す。押羽王は謀殺される予感があったものの、誘いを断りきれずに狩場に向かい、大長谷王子の矢に射抜かれて落命した。押羽王の幼い王子たち二人は、日下の若草香王女に庇護されていたが、父の横死を知ると、危険を感じて身分を隠し、播磨へと逃れてゆく。
大長谷王子は近江からの帰途、大和へ戻る道をとらずに、河内の日下へと向かう峠を越えていった。若草香王女を正妃として妻どいするためであった。・・・・
「眉輪」は古代の皇室に材をとったため、大正十四年、雑誌の懸賞で第一席とされながら、長く日の目を見ることのない幻の作品であった。作者は愛着あるこの原稿を長年手元に置き、上梓の機会があることを願って推敲を重ねていたのであろう。八十四歳のとき、決定稿を残していたそうである。出版されたのは、筆を起こしてから七十五年経った平成十二年であった。箱入り、深緑色の布装、シンプルだが重厚なデザインである。
これは執念の書というべきであろうか。物語は「古事記」「日本書紀」を踏まえ、逸話を自在に組み合わせ、朽木媼という創作人物も加え、七歳の少年による義父王殺しという重い主題を、翻訳調の華麗な文体も混ぜつつ時系列に沿って展開する。人物名は実名であるため、当時これを映像化、あるいは活字にするのも問題があり、憚られたことであろう。
主に眉輪王の心理や行動に焦点を当て、逸話、内容は記紀に依っており、孤独な少年の母や叔母を慕う気持ちと、父王を殺しただけでなく母の愛情も奪った義父王への憎しみ、怒りが交錯して、破滅へと進んでいく過程が悲哀感をもって描かれる。作中では穴穂王と王妃とは幼い日に相愛の間柄であった、という設定にしてあるが、古事記によると、妃の名は長田大郎女といい、書紀の系譜を当たると、穴穂王とは同母姉弟のようにも読める。往時、異母であれば婚姻できたが、同母の場合は許されなかった。また大長谷王子と若草香王女の婚姻も、記紀の記述によると、甥と叔母の婚姻だったとみられ、推測だが女性の方が年上ではなかったろうか、という印象を受ける。
系譜では穴穂王、大長谷王は同母兄弟とされている。父は允恭天皇、母は忍坂大中津姫で五男四女をもうけている。記紀では九人は全員同母となっているが、実際にはどうであったろう。允恭天皇は皇后の嫉妬にもかかわらず、皇后の妹姫を寵愛していたとされるので、妹姫の産んだ子ども、別の女性の生んだ子どもなどが、九人の数のうちに入っている可能性もあるかと思われる。
往時は大王が亡くなり、皇太子が定まっていても、有力な王子たちがいた場合、王権の継承を巡って激しい対立がみられたようである。野心を持つ王子たちは、王位を巡って争った。大伴、葛城、和邇、物部、平群、など大王家に仕え、娘たちを妃として差し出している有力軍事氏族たちも、それぞれの命運を懸けて、血縁の王子を擁立、あるいは支持して戦ったのだと思われる。そこには利害、絆、血縁、しがらみ、忠誠心、さまざまな感情が働いたことだろう。対立する王子を討ち、勝った王子が大王位に就く、古代とはそういう時代だったのだと思われる。
穴穂王も、皇太子であった軽王子を、同母妹軽大郎女との近親相姦を理由に伊予に追放(殺害、自死とも。記紀で記述が異なる)して退け、武力によって大王位を得た。しかしながらその穴穂王も眉輪王に討たれてしまい、その死によって再び王位を巡る混乱が始まり、大長谷王子による武力攻撃も止まるところを知らず、多くの競争相手を次々に排除してゆくのである。敵対する王子を殺すことは、同時にその王子を支援している有力氏族の勢力を削ぐ、という意味も持っていた。
しかしながら、この小説はそういう政治の力関係を叙述する作品ではなく、愛に飢える少年の心情や行動、また愛と憎悪に揺れる若い女性の心理を描き出すことに重心を置き、一人の男の心にふと生じた宝物への物欲が、思いがけず多くの人の運命を翻弄していく様相を展開しようとする試みであろう。
若草香王女は気位の高い貴族の女性として描かれるが、精神も強靭でかなり屈折する性格に造形されている。若草香王女が王妃に対し、大長谷王子への自分の気持ちを説明する場面をみてみよう。
「私達は初めから憎み合っていることを隠しませんでしたわ。たいへん憎んで、憎んで、それだのにたいへん愛し合ってゐる者のようなことをしてしまつたのです。卑しめて頂戴、私は大きい恥辱を背負つてゐてそして生きているのです。私は自分がいやらしいぞつとする蛇かなんぞのやうに思はれることがありますわ。私は多分あの人を憎んでゐるんでせうね、でも、もつともつと自分を憎んでゐるのです」王妃は慄然とする。・・
王妃もまた大日下王、眉輪王、穴穂王、と手に入れたものがすべて喪われてゆく不幸な女性であるが、若草香王女ほどきつい性格には描かれておらず、この女性の内面の葛藤にもっと焦点を当ててもよかったのではないか、とも思われる。
作品の最大の山場である、眉輪王の手による弑逆の場面をみてみよう。
・・・・ああ、何をするんだつけ、さう、王はお父様は殺され、お母様は奪はれ、お母様はそれでいいのだ。お母様はお父様を忘れ、王を忘れ、おひめさまも媼も忘れ、日下の焼跡を捨てて顧みないそんなひどいお母様だから、王を放逐してしまつたのだから、お母様のことなぞ考えてやしない。可哀さうなお父様、お父様、王は殺してやるんだ、どうしてもお父様の仇をとつてやるんだ。白い王様をどうしても殺してしまうんだ。恐ろしくなんぞちつともない。そしてお母様を取り戻して・・・・
眉輪王子は七歳だったとされる。僅か七歳の子どもに大人が殺せたのかどうか、誰でも疑問を抱く。常識的には誰かが加担して弑逆を企み、幼い王子にその罪を着せた、と考えるであろう。でも創作として想像をたくましくするなら、亡き大日下王の怒りの霊が顕れてこのとき息子に憑依し、小さな手に自分の手を添えて励まして太刀を執らせ、愛する妻を奪って熟睡する穴穂王を刺した、という風に解釈するのはどうだろうか。このとき目に見えない異様な力が働き、起こるはずのない、ありえない事件が起きた、と当時の人たちも事件を聞いた瞬間、畏れに似たものを感じたのではないだろうか。
それは大日下王を殺してその嫡妻(もしかすれば穴穂王の同母姉、妹であった可能性もないではない。書紀では、嫡妻は履中天皇皇女と別の女性だったように記述されており、このように記紀の内容が食い違う場合、古事記のほうが古いかたちともいわれているが)を奪い取るという、あまりにもどうかと思われる穴穂王の行動が、神の目から見ても意に沿わず、つまり神意の体現として、浮かばれずにさまよう大日下王の霊が、高楼の神床の空間に呼び出され、子どもの手を通して仇を討つかたちで、穴穂王に死を賜った、というように人々が感じたのだと、創作上でそういう表現に持っていった方が、物語的には興味深かったのではないかと思われる。
野溝七生子は「ギリシャ神話」を好んだそうである。神話や伝説に強く惹かれる人であったというのなら、この場面にこと寄せ、神話的な畏れに満ちた空間を設定し、無垢な子どもによってなされた流血惨事の様相が、実は霊的なものを通して行われ、神意による聖性を帯びた空間へと変容した、という風に、華麗でかつ畏れを感じさせるような表現方法で、描くこともできたのではなかったかと思う・・・・あるいは差し障りのある固有名詞を全部消し、架空のカタカナ名を用いて、舞台地を古代の海外の王国という設定にでもしたほうが・・・・と勝手なことをあれこれ思うのであった。
一連のこれらの事件が、果たして史実であったのかどうかはわからない。けれども、このような重い内容、古代の皇室に絡む書きにくい逸話を作品化することは、作者にとって大変な作業であったろうことが想像できる。
大長谷王子は前半、激情にかられて行動しているように見受けられるが、次第に内省的になっていくように描かれており、こんな弱気で果たして大王が務まるのだろうか、と読み手も不安を覚えるほどになってくる。「倭の五王」の中の「倭王武」に該当する大王とされ、武勇に秀でた「ワカタケル大王」として君臨したはずの、あの強い雄略天皇の印象との落差が、この作品では妙に大きく感じられるのであった。
根臣の押木玉蘰横領の話をみておこう。作中では、根臣は日下の地で王妃や里人たちによって断罪されたように描かれている。それで書紀の記述のほうを当たってみると、根臣はひそかに玉蘰を所持して眺めているだけでは満足できず、二度に亘ってそれを身に着けて出て人前で披露し、横領がばれるのである。
・・・・舎人が復命して「根使主がつけられた玉の髪飾りが、際立って美しく、皆がいうのに『先に使いを迎えた時にもつけていた』ということです」といった。天皇は自分でも見ようと思われ、臣連に命じて、饗宴のときと同じ服装のまま引見された。皇后は天を仰いで嘆き、声を放って泣かれた。天皇は怪しまれ「何でそんなに泣くのか」といわれた。皇后は「この玉蘰はむかし、私の兄の大草香皇子が、安康天皇の勅を承って、私を陛下に進(たてまつ)ったときに、私のために献上した物です。それで根使主に疑いを抱き、おろかにも涙が出て泣いたのです」といわれた。天皇は聞かれて驚き大いに怒られた。根使主を責められると「その通りです」と答えた。・・今にも斬ろうとされたが、根使主は逃げ隠れて日根に行き、稲を積んで砦を造り戦った。しかし官軍のために殺された。(日本書紀 雄略紀)
玉は貴人が身につける高価な装飾品であるが、古代では、玉は単に身を飾るだけでなく、悪霊の侵入を防ぎ、着けた人の身を守るものでもあった。押木玉蘰は玉を散りばめた髪飾り、頭飾りだったらしい。特別な場面で王者がつけるような飾りであり、日常的に使用するような物ではなかったようである。玉蘰はそれを所持していた大日下王を長く守護していたが、その手を離れたとたん、大日下王に思いがけない災難が降りかかった。王はそれを自ら手放したため、玉の持つ守護を失ったのだ、とも読める。
玉は護符でもあるのだから、ずっと大切に手元に置いて、離さなければよかったのかもしれないが、大日下王は愛する妹のために、それを大和の王に献上したのであった。そしてそれは横領され、大日下王は無実の罪で殺されてしまう。けれども玉蘰はずっと後になってから、元の主のために報復を果たしたのであった。根使主はその美麗な玉蘰を隠し持つだけでは満足できず、どうしても見せたくなり、それを着けて人前に出、そのことによって過去の悪事が明るみに出て、命を落とすのである。玉蘰は、大日下王から離れたのでもう王を守護することができなかったが、年月が流れた後、元の主人の名誉を回復すべく、その冤罪をすすぎ無念を晴らすような働きをして、悪人に報いたのであった。玉の持つ神秘や不思議、あるいは玉の報復の物語として、この逸話はそのようにも読める。
「眉輪」は二〇〇一年になって刊行された。もう禁断の書ではなくなったということであろうか。当時新聞の書評欄でも取り上げられていた。読んでみると、暗い情熱が渦を巻き、美しくて、しかも恐ろしい、凄みのある内容に圧倒された記憶がある。今回再読してみると、やはりゆらゆらと古代のオーラが行間から立ち上ってくるのであった。
「眉輪」のあとがきに、野溝七生子の手書き原稿を、矢川澄子から託された久世光彦氏が次のように印象を記しているので、最後に少し紹介しておこう。
・・・・最初の頁に記された『序の詩』から「眉輪」には呪文の香気と響きがあった。・・・・二度とここへは戻ってこられない予感に、私はちっとも大袈裟でなく胸が震えた。この世に見てはならないものがある。・・・・野溝七生子は、もしや三島由紀夫の生母なのではなかろうか。・・・・いったいこの≪奇蹟の書≫が、世に出ていいものだろうか。伝説は暗い声で囁かれてこそ、幽美な光を放ち続けるのではあるまいか。・・・・(久世光彦 奇蹟の書「眉輪」より)