一弥山磐座への旅一
厳島神社(安芸一宮)
一弥山磐座への旅一
厳島神社(安芸一宮)
いつの頃からか、各地の一の宮や古社、磐座に惹かれるようになった。以前大和を舞台にした古代の小説を書き始めたときに、何らかの手がかりを得ようとしてその舞台地を訪ねたことがきっかけであった。三輪山、山之辺の道、大和三山、葛城古道、二上山、石上神宮など、日本書紀や古事記や万葉集に出てくるゆかりの地を歩き、山麓にある古墳や古社を順繰りに訪ねていった。古代遺跡を求めて各地を巡っているうちに、次第にそれらの土地が持つ遠い記憶に触れているように感じられ、古の名残を留めるたたずまいに魅せられるようになった。古墳を訪ね、周辺にある神社の由緒や祭神を調べ、神社建築を眺める、また神社の背後にある神体山に登って、未知の磐座に触れてみる、そういう日々を積み重ねることで古代の精神世界を手探りしたいと思うようになったのである。
こういう傾向が強まったのは、あるとき境内の一角や社殿の裏側にいわくありげな大岩があることに気がつき、関心を持つようになったからである。神岩、立岩、鏡岩など名がついて四方に木を立て囲んで場合も多いが、名前のない岩でも印象的な岩がある。また境内には杉や楠、欅などの神木が植えられていて、その多くは枝を広げ立派な大木となっているので、それらを見るのも興味深い。
古来大岩や高い木は聖なるものとみなされ、そこは神が降臨する依り代であったという。神霊をそこに招き寄せて、祀りを行ったのであろう。岩や木だけでなく、滝、泉、川、山、海、風、そういう自然万物にはそれぞれの神が宿っており、そういう大自然への畏敬の思いが、古の信仰の根源にあったことはいうまでもない。
深い森の中を歩くとすがすがしく感じられるし、滝に近寄ればそこだけひんやりと違う空気が流れているように思われる。大岩のそばにいくと、その存在感に圧倒されながらも何かしら気持ちが落ち着いてくる。神社を訪ねていると、山に分け入って自然の中を歩くことが多くなった。苔むした大岩が杜の中にひっそりと鎮まっているような情景が好もしく感じられる。
最近では参拝の後は必ずといっていいほど岩を探している自分に気づく。位置的には社の裏が多くて見つけやすいが、境内の外れに岩があって祀られていることもあり、見つからないときは物足りないとさえ思うようになった。
また神社の境内にはしばしば古墳がある。その上に社殿が建てられている場合もあって、古代の首長の墓所と思われる。神社が奥津城となっているのである。
社の背後に神体山と呼ばれる秀麗な円錐形の山があって、そこに磐座の露頭が見られることも多い。神社の境内に見当たらないときは、磐座を探して背後の山へと向かうようになった。
遠い時代には、人の手で造営された社殿はなく、岩や山そのものが神体とみなされて人々の崇敬の対象となっていたのであろう。古代祭祀とは具体的にどういうことを指すのかよくわからないのだが、本で読んだ知識でいろいろ空想しながら、古人の歩いた山道をたどって大岩を探しながら歩く。磐座の多くは草に埋もれていて、周囲はひっそりと静まっている。鳥のさえずりや風の音を聞きながら磐座の前に立ち、遠い時代のあれこれを想像していると、心ははるか古代に遊ぶのである。
今回は、安芸の宮島厳島神社を訪ね、その背後にある神体山、巨石群で知られる弥山(みせん)に上ってみた。
安芸一宮 厳島神社
安芸の宮島といえばまず一宮の厳島神社、その美しさについては多くの人が語っているので、いまさら書くのも気が引けるのだけれど、実際訪れてみるとやはり、そのたたずまいは予想を上回るものであった。
宮島内に宿を取ることができなかったので、宮島口、つまり海を隔てて宮島が望まれるフェリー乗り場の近くのビジネスホテルに入って、ひとまず荷物を置いた。宮島行きの船は頻繁に出ているので、さっそく島に渡ってみることにした。ほんの十分ほどの船旅である。
ツアーの団体が乗り合わせていたらしく、船の中は意外に外人客が多かった。甲板に出て海を眺めていると、ちょうど夕日が沈んでいくところで、行く手には宮島を象徴するかのような赤い鳥居が夕日に映え、まだ小さく海の中に立っている。その朱色の門に向かって船が寄っていくのである。鳥居の鮮明な朱が次第に大きく見えてきて、何かしら異界に近づいていくような気分になり、夕日に染まる海を放心して見ていた。この船は乗客へのサービスなのか、鳥居を見やすいようなコースをとってくれるので、カメラを手にした人たちが盛んにシャッターを切っている。
「トレビアン」「セボン」
そのような会話が横から聞こえてきて、団体客がフランス人であると知った。
上陸して参道を歩いていくと、鹿が寄ってきた。餌が欲しいのであろう。奈良公園と似たような雰囲気である。奈良ほど鹿の数は多くないものの、それでも地面の草という草は鹿がきれいに食べつくしたのか、道端に伸びている雑草は見当たらない。
やがて参道に沿って並んでいる灯篭に火がともり始めた。海から見ればそれは光の道となっているに違いない。煌々と光に照らし出された大鳥居をひたひたと波が洗っていく。潮の満ち干でこの光景は時間によって変化するのだと思うが、今は満ち潮なので社殿の下も海水に浸かって幽玄な眺めであった。
夕刻なので社殿の門はすでに閉じられていたが、たくさんの人が海辺に思い思いに座って鳥居や海に突き出た回廊をいつまでも眺めている。日がすっかり落ちて、潮の匂いのする夜風が通り抜けていく。闇の中に照明で照らし出された大鳥居と朱塗りの社が幻の宮殿のように浮かび上がり、揺らめく波にその姿を映している。忘れがたい光景であった。
その夜はフェリーで宮島口に戻り、広島名物の牡蠣鍋を食べて早めに就寝、翌朝、早朝の船で再び参拝のため宮島へと向かった。朝の海風はすがすがしく、土産物屋も店舗もまだ閉まっていて、昨日歩いた参道に人影は少ない。
社の門が開くのを待って、安芸一宮である厳島神社に入った。潮の関係で今朝は引き潮、昨夜はちょうど満ち潮であったので、社殿はまるで海に浮かんでいるかに見えて幻想的であったが、今は濡れた砂地の中に柱も剥き出しのまま立っている。覗き込むと貝や藻など海の生物が観察できるものの、昨日の夜の幻の竜宮城とも見えた光景が目に焼きついているので、つい比較してしまい、その落差を思うのであった。
神社入り口の黒板には、潮の満ち干情報が親切に書いてあって、次の満ち潮の時間がわかるようになっていた。満ち潮と引き潮では印象がまったく違う。昨夜満ち潮のときにここへやって来てあの夢のような情景に出会えたのは、偶然の幸運だったのだ。
朱塗りの長い回廊を歩いていく。底板に釘は使われていないそうで、優雅な釣り灯籠を見ながらしずしずと進んでいくと、気持ちまで優雅になってくる。回廊を曲がり大きな本殿前に出た。
祭神は天照大神が弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)との誓約(うけい)で生んだとされる市杵島(いちきしま)姫、田心(たごり)姫、湍津(たぎつ)姫の宗像三神、海や航海に関係の深い女神たちである。
ふと大阪の摂津一宮住吉大社を訪れたときの、三つ並んだ社殿のことを思い浮かべていた。住吉の神も海や航海と関連が深い神という。今住吉大社は海から数キロは入った街中にあるが、昔は住吉の社もこのように波が打ち寄せる海辺にあったのだろう。
住吉の祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が妻を訪ねて黄泉の国から戻り、海で穢れを清めたとき、禊から生まれた筒男(つつのお)三神、すなわち表筒男(うはつつのお)、中筒男(なかつつのお)、底筒男(そこつつのお)であるが、どなたかの説で(大和岩雄氏の説であったか)それらはオリオンの三ツ星を神格化したものであると読んだことがあった。ちなみに古来オリオンは柄鋤(からすき)の星と呼ばれてきたという。農具の鋤に似たその形からの連想であろう。
(住吉三神と同様に)厳島に祭られる宗像三女神も、オリオンの三つ星を表しているという説がある。住吉族も宗像族も海人族であり、航海の目印となる星座を神格化したのであろうか。
星座が船を導く航海の神、として崇められるのは、ごく自然なことと思われる。暗い海上にあって空を仰いだとき、三ツ星やその下にある小三ツ星が列になっているのは、船人の目には見つけやすい。古代の人の目に、星の輝きは方角を示してくれる聖なるものと映ったのであろう。
ここ厳島の社に来てみて、改めて住吉の社のたたずまいが思い出され、川村二郎氏の本の一節で読んだのであったか、厳島の神の後ろには住吉の神が隠れている、といった表現があったことがふとよみがえり、その言葉の真意はよくわからないし、また別の意味が込められているのかもしれないが、なんとなく厳島と住吉の結びつきを直感したものではないだろうか、とも思うのであった。
(下関の故長谷川修という作家に「住吉詣で」という作品があり、故川村二郎の「日本廻国記 一宮巡歴」にそのことについての言及がある)
ポスターや写真などであまりに有名な海中の大鳥居だが、やはり正面から望むと青空に映えていてその威容に見とれてしまう。回廊、高舞台、海に突き出た火焼前(ひたさき)、石灯籠、反り橋、能舞台、平安時代の寝殿造りを模したという清盛ゆかりの社殿は、左右に広がっていてどこから見ても美しく見飽きない。平家の権勢のうかがえる壮大な社殿である。島全体が聖地であったため、神に遠慮して陸地ではなく海上に社殿を張り出す造りにしたというが、このように優美な社殿を造営した技術、その着想には本当に驚いてしまう。
社は絶えず波に洗われているため、これまで幾度となく災害に遭い、その都度修復が行われてきたという。今から三年前であったか、台風襲来で社が大きく破損したという報道を見た記憶があるが、今見ると被害の痕跡は消され、社殿はきれいに整えられて復活、神の蘇りの力を感じさせる。
何度も社殿を巡ってあちこちを眺めて過ごした。ようやく長い回廊を渡って外へ出ると、新たな観光客が次々着いて周辺は賑わいをみせている。人の流れから離れ紅葉谷のロープウェイ乗り場を探して、社殿の背後の緑につつまれた坂道を上がっていった。磐座のあるという弥山に上るのである。
弥山(みせん)
頂上に巨大な岩石群があって、そこへ上るには登山ルートもいくつかあるが、途中まではロープウェイを使って上り、頂上まで歩いて付近を散策、帰路は徒歩で下山することにした。弥山は標高535メートル、空海ゆかりの古刹も山腹にあるということなので、立ち寄ってみることにする。
ロープウェイを一度乗り換えて獅子岩駅に着き、近くに展望台があったので上ってみると、ここも小さな頂という感じがする。海は少し霞んでいて風はゆるく流れ、対岸の景色はぼんやりとした中にある。磐座らしい大岩を巡って見るが、この展望台を作ったために、本来の自然な雰囲気が損なわれてしまっている。とても残念な思いがする。この場所にこんな形で人工物を設置する必要があったのかどうか、疑問に思った。
頂上を目指し山道を登っていく。弥山原生林の中を歩いていくと、ほどなく仏教寺院の屋根が見えてきた。千二百年間灯火が保存されているという空海ゆかりの霊火堂(消えずの火)、本堂、三鬼堂と順に巡っていく。この山を弥山と名づけたのは空海であるという。それまではどう呼ばれていたのだろうか。
三鬼堂(さんきどう)というのは、仏法の守護神である三鬼天狗(時眉鬼神、追帳鬼神、魔羅鬼神)を祀ったお堂である。お詣りの後、山道に続く石段を上っていった。
観音堂、文殊堂と小さなお堂を通り過ぎていく。山道に入るとそれまで濃厚だった仏教色が次第に消えていき、仏教以前の世界に入っていくのが感じられた。そう険しくはないが、岩の多い上り道になってきて、何かを待つような思いにとらわれる。
ふっと眼前に巨石が現れた。大きくえぐれたように窪んだ岩があったので、寄ってのぞいてみると、岩壁の奥に不動明王像が見え、それが最後の仏教の気配となった。続いてくぐり岩という机のような形の迫力のある大岩が現れ、その下をくぐり抜ける。一瞬結界を通ったような気持ちになり、門だったのかと思う。その後は次々に見上げるような重量感のある岩が道筋に出現してきて、岩また岩の太古の世界となった。大きさとその質感に圧倒される。大岩は無造作に道の左右に出てくるので、驚きの連続である。進んでいるうちに、いつのまにか山頂に着いていた。
見上げるような巨石群が視界に入り、そこは大岩が人を圧してくる無機質の世界が広がっていた。仏教や神道の世界をさかのぼり、太古の呪術的世界に来たようである。
一つ一つの岩はよく見ると滑らかで、その形は何かに似ているようでもあるが、物にはたとえにくい。少し斜めにめり込んだような柱岩があって、強いていえば岩の神殿が崩れた跡のようにもみえないことはないけれども・・・・。何はともあれ、それら巨岩の塊は無造作に投げ出された天然のオブジェとも映り、明るく冴え渡った青空を背景に、永遠の天の造形物として地表にその姿を顕示しているのだった。
山頂は少し平らになっていて、平たい環状列石のようになった石の連なりもあり、たくさんの人が奇岩を触ったり、その上に苦労して這い上がったり、お祈りか瞑想と思われることをしたり、眼下の景色を眺めたり、思い思いのやり方で楽しんでいた。登山の格好をしたグループも多く、これからまだどこかに回る予定があるのか、写真を撮り合うと慌しく出発していった。
何となく周囲に外国人が多いなという気がして見回すと、フランス語が飛び交っている。たぶん船の中で一緒だった人たちであろう。高齢の人も混じっているのに、大変なパワーである。団体で登ってきたものとみえ、ちょっとの間ここは外国かと思うほどの盛況であった。
横にいたおばさんにフランス語で話しかけられて、うろたえたが身振りで写真を写してあげようかという意味とわかり、一枚写してもらった。思うにおばさんは日本人と交流したかったのだが、頂上にはそのときほとんど日本人がいなかったため、私に話しかけたらしい。
鹿が寄ってきてさかんに食べ物をねだり始めた。大きい鹿と小さいのと二頭いて、小鹿があまり可愛いので、おにぎりせんべいの箱を出して一枚あげると喜んで食べた。大きい鹿が来て横取りしようとし、小鹿を頭で突いて追い払うので、喧嘩しないようにもう一枚ずつ、食べる様子を見るのが楽しいのでさらに一枚、そんなことをしているうちにせんべいの箱はからっぽになった。
実は今日、昼食は持っていなかったのである。島にはコンビニが見当たらなかったのでお弁当が買えず、ロープウェイ乗り場でおにぎりせんべいとオールレーズン一包みを買い、それが昼食代わりであった。鹿に見つかると困るので、オールレーズンのほうはベンチの隅でペットボトルのお茶でそっと食べた。
後で調べてわかったことだが、この弥山は近年外国人に人気のミステリースポットであるという。この山頂の巨石群がUFOの基地であるとか、古代の文字であるペトログラフが岩に刻まれているとか、古代に異星人が地球にやって来て各地に痕跡を残し・・・・というような宇宙人絡みの内容が本で紹介されているということで、好奇心にかられて登山する人が多いらしい。その翻訳本を読んでいないので何ともいえないが、それはともかく、宮島に来て厳島神社と宝物館だけで帰っていく観光客も多いのに、山登りに挑戦して謎の巨石群を自分の目で確認しようとする外人客のパワーはすごいなと思ったことであった。
奥宮
頂上から回り込んでいくと弥山七不思議の一つである「干満岩」に出た。ちなみにいうと、空海ゆかりの「消えずの火」「錫杖の梅」「曼荼羅岩」、山に響く不思議な「拍子木の音」、晴れでも滴が落ちる「時雨桜」、怪火が海上に見える「龍鐙の杉」なのだそうである。干満岩には小さな窪みがあり、潮の満ち干に応じて塩水が溜まっているという。指でなめて確かめたがよくわからなかった。
船の形をした船岩や疥癬岩(何という命名だろうか)をみて、大日堂を過ぎ、分岐から御山(みやま)神社へと向かうことにする。
小道を進んでいくと不意に眺望が開け、玉垣と鳥居が見えた。社殿は先の台風で破損したのを建て替えたものか、まだ新しい。正面に回って立ってみると、大きな磐座の上に三つの赤い社がきちんと三角形に並んでおり、背後は深い杜、下は覗くのも怖いような絶壁になっていて、行きかけて思わず足がすくんだ。
天空の社殿と手持ちのパンフレットにあったが、ここが厳島神社の奥宮である。宗像三女神が降臨されたと伝えられる聖地で、市杵島姫、田心姫、湍津姫の宗像三女神が祀られている。かつて清盛がここに宗像三女神を祀ったと伝えられていたが、その後どのような経緯があったのか、江戸時代には前述した三鬼神がここに祀られていたという。明治の頃に三鬼神は現在の弥山本堂近くの三鬼堂に遷され、再びここに元の三女神が祀られるようになったという。
空から強い風が吹き付けてくる。帽子を手で押さえる。一歩足を前に踏み出せば深い谷底、避けることもできず、遮るものもない、そこは大自然とじかに向き合うしかない絶対の空間であった。無機質の固い磐に囲まれた世界、無の空間なのである。磐座のぎりぎりの端に立ち、恐る恐る下を見ると、その高さに一瞬目がくらみ、あまりの厳しさに身が引き締まるような思いがした。こんな緊張感に包まれてお参りする社はあまり例がないであろう。天空から神が降り立つ場と伝承されているのは、こういう空間をいうのであろうかと納得できるものがあった。
神社を後にして鯨の形をした鯨岩を眺め、礎石が並ぶ仁王門跡と過ぎ、最後に駒ケ林へと上っていった。やがて行く手に大きな約八十メートルはあろうかと思われる平らな岩盤が広がっているのが見えた。細長くて平たい岩である。疲れてきていたので、そこでしばらく休みぼんやりと眼下の景色を眺めていた。この駒ケ林は弥山山頂からもよく見えていた。午後も遅い時間なので人影はなく、茫とした広がりの感じられる、何かしら寂寥感の漂う場所でもあった。
駒ケ林はかつての古戦場なのである。毛利元就が陶晴賢を奇襲で破ったという厳島合戦の場が、この辺りだと伝承されている。このような岩場の続く険しい地形で、足元を気にしながら両軍はどう戦ったのだろう。この大岩は兵の雄叫びや激しく切り結ばれた刃の音を今でもその内部に記憶しているのだろうか。さまざまな思いがよぎっていく。
休んでいると、何だかこのまま疲労で動けなくなりそうだった。考えてみれば今日はしっかりした食事もとらず(朝もホテルの簡単なサービス朝食、ロールパンとコーヒーのみ)、早朝から歩き回ったのでもう体力も限界という感じであった。
休憩後駒ケ林から降り始めると、下りは思ったよりも早くすぐに見覚えのある元来た道に出てほっとした。分岐から川沿いに大聖院コースでまっすぐ下山することにした。
三年前の台風で、この川筋は特に被害がひどかったらしく、ずっと通行止めになっていたそうである。ようやく改修工事が完了して、通れるようになったのはつい最近だということであった。比較的階段の多い道で、登りならさぞきつかったろうと思われる。川筋に出ると、ところどころに土石流の爪跡が残り、道は荒れていて、大きくえぐり取られた箇所や、流されてきた大岩が転がっているのが見えた。新たに堰堤も築かれており、ちぎれた山道に変わって付け替えた石段道や新しい手すりなど、工夫のあとを見ながら降りていった。
海が近くなって左手に大聖院の屋根が見えてきたが、もう見学の気力もなく、そのまま桟橋に向かって歩き続け、神社の裏手へ出て人で賑わう土産物屋で名物のもみじ饅頭を試食して(あんこ、チョコ味などいろいろある)買い求め、帰りの船に乗った。
来たときと同様、海風に吹かれながら、デッキに出てたたずんだ。次第に遠ざかっていく赤い大鳥居を感慨深く見つめる。夕日に染まる宮島の静かな海と背後にシルエットになってくっきりと浮かび上がる弥山の稜線、それらを記憶にとどめておこうといつまでも眺め続けていた。