中勘助
「銀の匙」(岩波文庫)
中勘助
「銀の匙」(岩波文庫)
中勘助は明治十八年東京生まれ、漱石の教え子であった。二十七歳のとき、幼少期の頃を回想した「銀の匙」が、漱石の推薦により東京朝日新聞に掲載され、世に知られることとなる。後編も同紙に掲載され、ほかに小説としては「犬」「提婆達多」などがある。「銀の匙」は清冽な文体で子どもの日の情景が描き出されて美しいが、作品が生み出された背景には、病で廃人となった兄との確執、軋轢があった。「銀の匙」は浄化された世界ともみえるが、富岡多恵子著「中勘助の恋」を読んで、その生涯をたどってみると、複雑な人間関係の葛藤が、作品や生き方に影を落としていたことがわかる。さらに発禁処分になった「犬」など異色の小説作品群へと進むと、読み手は「銀の匙」とのあまりの落差に驚き、とまどうことだろう。
「銀の匙」 あらすじ
私は虚弱で多感な子どもであった。あるとき引出しから銀の匙を見つけて心惹かれ母にねだると、お許しが出てその由来を語ってくれた。母の産後のひだちが悪く、同居の身寄りのない伯母が、私の世話をしてくれたのだった。匙は、吹き出ものに悩まされ病弱だった私に伯母が薬を含ませたもので、伯母は自分の子のように可愛がって育ててくれた。五歳くらいまでは、伯母に背負われるばかりで土の上へ降りたこともなく、たまに降ろされると地べたがぐらぐらするような気がし、人みしりして伯母の背中に顔を隠し泣き出すのであった。伯母は悲しい説話も声色で上手に語ってくれ、家の中での立廻りごっこでは進んで斬られ役を演じて遊んでくれるし、町へ負ぶって連れ出し、お稲荷さんへお参りすると、この子が丈夫になりますようにとお願いし、見世物小屋にかかる面白い出しものも見せてくれた。
また隣家の女の子「お国さん」に頼んでくれて、はじめて友だちと遊ぶ楽しさも知った。学校へ上ると、休みがちで勉強もできなかったが「病弱で脳のわるい子」と聞いていた先生はまったく叱らなかった。隣家が引っ越した後、入れ替わりに来たお恵ちゃんという可愛い子と仲良くなるが、「びりっこけなんぞと遊ばない」といわれ自分が劣っていることを知って驚く。私ははじめて本気で勉強をし、姉たちも協力してくれて成績は上ってゆく。お恵ちゃんの父親が亡くなり一家が去ってゆく日がきたが、最後のお別れは言えないままだった。(前編)
日清戦争がはじまり、世間は戦争一色の風潮になってゆく。私は学校での戦争談義に疑問を感じ、好戦的な先生や級友を内心で軽蔑し、ひとり反対意見を述べて孤立感を味わうのだった。兄は自分が熱中する釣りを弟に教えようと強制してくるが、私には苦痛でならず、無神経な兄に反感を覚えた。蚕を飼い大切に世話をしていたが、養いきれないことを理由に蚕は家人の手でこっそり畑へ捨てられ、私は懸命に桑を摘むが次々死んでゆく。雨が降り出した夕方、蚕に傘を差しかけていた私は、探しに来た伯母にすがって泣くのだった。この後はじめて男の友だち「お寺の貞ちゃん」ができて、二人で凧揚げや、蝉取り、栗の実落としをして自然の中で遊ぶ楽しさを知った。
十六歳のとき、旅行の帰りに故郷で暮らす懐かしい伯母を訪ねてゆく。老衰し目も不自由になっていたが、再会を喜ぶ伯母は鰈をたくさん買い、煮てもてなしてくれた。私は見納めになると予感して別れ、伯母はほどなくして亡くなった。十七歳のとき、友人の別荘で美しい姉様に出会う。心がときめくが、別れの言葉にも応えられずにいるのだった。(後編)
余談になるが、はじめて「銀の匙」に出会ったのは、小学校のときであった。子ども向きに日本文学の短編を集めたアンソロジーの中に入っていたのである。志賀直哉「小僧の神様」芥川龍之介「舞踏会」、中勘助、川端康成、国木田独歩などの中篇、長編の一部も載っており、中でも中勘助「銀の匙」が好きで何度も読み返した。「銀の匙」は一章から六章までが収録されていた。伯母と見世物小屋に入ったとき、駝鳥と人間の相撲の場面で、皆がどっと笑うのに伯母は「駝鳥がひもじがっとるにごぜんももらえんで気の毒な」といって涙をこぼした・・・・というところで終わっていて、どうなるのか続きが気になり、後に文庫本で読んだのを覚えている。
「銀の匙」はひらがなが多くてわかりやすい。当時小学生だった私の心にも、主人公が周囲に対して感じる不安や安堵、喜びの感情、その繊細な感覚はよく伝わり、とくに善良で涙もろく献身的な伯母の描写は深く訴えかけるものがあって、強い印象を残した。大人が子どもの世界を回想し、子どもの目線で描こうとする試みはよくあるだろうが、「銀の匙」は子どものまっすぐな感受性そのままに、難解な言葉も用いず、幼児期の記憶をたどって再現するかたちをとりつつ、実は彫刻のように慎重に言葉を吟味して彫りつけ、推敲され抜いた作品だったのではないかと今では思う。小説作品としてみても大きな出来事があるわけでもないし、筋もあまりないような感じだし・・・・でも筋を取り去ったとき、小説はかぎりなく詩に近づいていくものであろう。「銀の匙」は郷愁を誘う思い出随筆の装いをとってはいるが、実は散文で書かれた詩だったのだ。
今回あらためて読み返してみた。前編と後編をくらべると、作品の持つ雰囲気は異なり、前編のほうがより純化された世界と感じられる。全体に懐かしく好もしいという読後の印象は変わらないが、気になることもあったので記しておく。
その一つは、伯母との間でこんなに深い絆や信頼関係が築かれていたということは、主人公と母親との間にはそれがなかったのであろうか、という疑問である。冒頭に登場し、主人公から銀の匙を見せられた母親は「ちょいと思いがけない様子をしたが、『大事にとっておおきなさい』というお許しの言葉」を発したのみで、あとは作中に特別意味のあるせりふを持つこともなく埋没し、ただ家族の情景の一部のように扱われてその影響も薄い存在となっている。
すぐ下に妹が生まれたこともあったろうが、母親と主人公の間には強い絆があるようでもなく、もっぱら「伯母と私」の密接な結びつきにのみ焦点が合わされる。作中には朴訥な方言まじりの伯母の言葉が、生き生きした効果を生み、伯母の優しさ、慈悲深い行動のみが、事あるごとに強調されていくのである。それでは兄に関してはどうであろうか。はじめて小学校へ行こうとした日、いやがった主人公に対して兄はこのように振舞う。
・・・・その晩私は寝間のかくれ家から無理やりに茶の間の白洲へひきたてられて威しつすかしつなだめられたけれど心を決めてがんばってたら兄がいきなり衿くびをつかまえ妙なことをしてさんざ畳へたたきつけたあげく続けざまに頬っぺたを打った。伯母さんは「この弱い子をどうせるだ どうせるだ」といって「私がよういってきかせるで」とかばいながら寝間へつれて逃げた・・・・。
ふつうは親が出てきて説得し、登校させるものであろうが、この家では兄がいきなり弟に暴力を振るい、伯母がかばってその場から救い出し、あとでこっそり仏様のお供物を食べさせてくれるという展開になっている。兄は高等中学で柔術をやっていた、と説明されるので、かなり年が離れていたことがわかる。前編でたった一度だけこの場面に登場する兄は、乱暴者で無神経、思いやりのない性格として描かれている。まるで主人公の天敵であるかのように・・・・。
後編になると、兄への敵意はもっとむき出しになっていく。兄と釣りに関しての話はこのような調子である。
・・・・で、自分が気ちがいといわれるほど釣りがすきなもので、日に日に邪道に堕ちていくあわれな弟を救いあげるにはー自分のようにするにはーなんでも釣りをしこむにかぎると思いついたものか、学校の休みとさえいえばとかく尻込みみがちな私を無理やりひっぱりだしてただもうその機嫌を損じるのがつらさにまた・・・・しょうことなしについていく私に釣道具をかつがせ、・・・・私はみちみち帽子が曲がったの、首がこごんだの、売り出しの提灯にみとれたの、手のふりようが等分でないのと頭のてっぺんから足の先まで小言をくいながら・・・・じめついた堀の縁に坐らされ、ああまたここで一日かと思うと性も骨もぬけてうんざりしてしまう。・・・・
この後もずっと兄への恨みごとや嫌悪する場面が続き、似たような事柄が場を変えて細かく繰り返されていく。勘助の側からの一方的な糾弾であり、廃人となってしまった兄には反論のしようもなく、はたしてこの通りであったかどうかはわからないとも思うが・・・・。これが二つめの気になる点である。
性格の違う兄とはよほど相性も悪かったのであろう。前編の透明で清らかな子どもの作品世界は掻き消えてしまい、読むほうも兄への憎悪や悪口ばかりがうっとうしい調子で続いていくので読んでいると気が重くなる。
けれども兄の出番が終わると、再び作品は生気を取り戻していく。何とかして蚕を救おうと試みる子どもの純な心や、少年同士で凧揚げに熱中するひとときの描写は力があり、読んでいて引き込まれるものがあった。
伯母を訪ねていった話は、哀切で忘れがたい場面になっている。何の説明も要しないであろうが、時を経ても幼い日に慈しんでくれた伯母との心の交流がよみがえり、しみじみと温かく語られているのは好もしい。最後に、友人の別荘に滞在していたとき、美しい姉様とつかのま触れ合う逸話は、短いが官能的に語られて描写も繊細なので、ふっと小説的世界の一場面の試みを思わせ、そこだけ異質なほどの筆運びで高揚感を感じさせるのが興味深い。なお「銀の匙」の書かれた背景については「中勘助の恋」(富岡多恵子著)に詳しく述べられているので、そちらをみてみよう。
「中勘助の恋」 富岡多恵子 (創元社 新装版では平凡社)
中勘助の父は勘助が二十一歳のときに病死した。勘助は五男であるが、長男、三男、四男はいずれも夭折、男では次男と勘助が残ったという。「銀の匙」に出てくる兄はこの次男のことで、勘助とは十四歳離れていた。
兄は東大卒業後、新妻(子爵の娘)を勘助たちの住む東京の家に残し、単身ドイツに留学した。勘助はこのとき十七歳、兄嫁は十九歳、彼女は聡明で誰からも好かれる優しい気質、勘助とは年齢も近く、二人は一緒に庭に匂い菫を植えるなどして、よく気が合っていたようである。
兄は帰国後、九州の大学に妻を伴って赴任、医学部教授をつとめていたが、三十八歳のとき脳溢血で倒れ、言葉も不自由になり再起不能の身となった。自宅での長い療養生活に入り、それは兄嫁にとっても苦難の日々のはじまりであった。言語機能や知能はかなり低下したが、寝たきりになったわけではなく、厚紙の札に行き先や連絡先を書いてもらって外出し、好きな釣りにも出かけたそうである。勘助のほうもこのころ、腎臓病や脚気などをわずらいがちであまり健康ではなかったという。
兄は同居の勘助を激しく嫉妬、憎悪して二人の仲は紛糾したという。兄は勘助を家へ入れようとはせず、まわらぬ口で叫んで暴力的な振る舞いにもおよぶので、勘助は家を出て、入営も親戚宅からで、病気で除隊した後も家へは帰れず、姉の婚家先や、兄嫁の実家の別荘で療養し、あるときは友人宅に身を寄せ、野尻湖のお寺や島にも滞在、その後も東京や関西のお寺に寄寓するなど、いわば放浪に近いような不安定な生活を送り、それは十年にもおよんだそうである。
「銀の匙」はそのような状況下、野尻湖で書かれた。文筆で収入を得る、という条件で兄が、勘助を家に入れることを承諾したため、勘助は内心では詩作を目ざしていたが、この散文作品に精魂を傾けて書き進めたようである。師の夏目漱石に原稿を送って、発表の口添えを依頼し、幸運が重なったこともあって、無名の青年の異例の新聞掲載がかなった。けれども兄は約束を守らず怒り狂い、どうしても勘助の帰宅を許さなかったという。
「銀の匙」後編は比叡山の横川で書かれ、新聞掲載は三十歳のとき、やはり漱石の推挙によるものであった。小説作品としては古代インドを舞台にした「提婆達多」がこの放浪期間の終わりのほうで書かれていて「犬」の構想へと続いていく。新聞でデビューしたとはいっても、作家として世間に認められたわけではなく、まだ作品数も少なく、知名度は今ひとつというところであったらしい。
中家では当主が病に倒れ、一家に収入の道も途絶えたことから、相続や資産管理、家計の運営をめぐって紛糾し、親戚も加わって協議したが結論が出ず、長く揉め続けたようである。勘助三十五歳のとき、ようやくのことで和解に至り、生家の管理を引き受けた勘助は、借家を含む家屋を岩波に売却、新たに東京赤坂に家を買って家族をそこへ移し、自らは平塚に家を建て、家政婦とともに暮らして著述に専念した。家族が夏冬は平塚に来て暮らすのだが、その間は勘助が交代して東京の家に行って住んだという。兄との同居を避ける方策であった。
勘助が四十七歳のとき、平塚の家を売り、やっと東京の家に家族で同居できるようになった。やがて母親が逝き、勘助は兄嫁を助けて兄を介護する生活を続けるが、無理がたたったのか病気がちであった兄嫁はくも膜下出血に倒れ、闘病の後に亡くなった。
そのとき勘助は五十七歳であった。兄嫁を失った喪失感は大きかったようである。男手での兄の介護も手に余ったのであろう、その半年後に勘助は結婚を決意し、姪の紹介による女性との縁談を進めていった。ところが式当日の朝、兄は自殺した。勘助は動揺し迷ったが、兄の死を伏せたまま式は予定通り行われたという。妻になった人とは穏やかに暮らしたといい、晩年まで著述を続け、兄嫁の思い出を「蜜蜂」という日記体随筆に残している。八十歳で没した。
写真でみると勘助は長身で美丈夫、魅力的な人であったらしい。若い日に野上弥生子から求婚されているし、友人の妻で美女の評判の高かった万世(ませ)からも愛を告白され、友人の病死後にも再び万世から求婚された。そしてその娘の妙子からも心を寄せられ・・・・妙子は後になって母との結婚を勘助に勧めている。
勘助は女性たちからの申し込みをすべて断り、五十八歳まで独身であった。その背景には廃人の兄や、資産管理にからむ複雑な家庭内紛糾、という心のやすまらない事情を抱えていたことは、前述の通りである。中家には借家数軒を含む土地家屋など財産があったため、ただちに経済的に困ることはなかったようであるが、適齢期を過ぎても勘助が妻を迎えなかったのは、やはり兄嫁という存在が、勘助の心を大きく占めていたからであろうと思われる。常に身近にいて兄嫁を支え、事あるときには率先して助けたいという思いが強かったのであろう。
勘助は兄嫁を嫂、義姉ではなく終生「姉」と呼び、作中に登場させるときも姉で通している。たとえ血はつながらなくても、心で深くつながった人と感じられ、絶対の信頼と愛情を寄せていたようである。兄嫁は聡明で誰に対しても優しく、激化する家庭内での対立に心をいため、勘助と夫の両方を心から諫めたこともたびたびあったという。親戚から勘助との仲を誤解されたり、財産を勘助と勝手に使っていると非難されたり、いやなことも多かったようであるが。中傷めいた噂が耳に入るたび、兄嫁も勘助も悩まされ傷ついたらしい。けれどもそういう悪い噂を親戚に広めるのは、ほかでもない勘助の母親であったという。憶測や妄想も混じっていたのだろうが、老耄が進んで扱いにくくなった姑との関係に悩みながらも、兄嫁はいっさい愚痴もいわずに耐え、そして病身を押してわがままな夫の介護を献身的に続けて、この世を去っていった。まさに菩薩のような人だったらしい。
兄嫁への秘めた思いを、勘助は決して誰にも語ることはなかっただろうけれど、兄が暴力を振るったさいに折れた「金蒔絵のなかざし」(かんざし)に姉の深い哀しみを感じとり、若い日に二人で庭に匂い菫を植えたひとときを回想する場面を読めば、どんなに兄嫁を大切に思い続けていたか、その心が切ないように読み手に伝わるのである。
前述のように、勘助は若いときから女性に何度も求婚されるのに、それを辞退し続ける人でもあった。恋愛で自分のほうから積極的に女性に働きかけることはなかったようだが、仲の良い友人宅を頻繁に訪れては、その家の幼い女の子をまるで自分の子のように可愛がってやまなかったという。可愛がっただけでなく、相手の女の子からも慕われていたらしい。その様子はたとえばこんな風である。
・・・・今夜はどうしたのかいつまでも誰も出てこないので存分可愛がることができた。妙子さんもいつになく膝のうへにおちついてなにかと話す。私はただもう可愛くて可愛くて抱きよせては抱きよせては顔を見つめる。
「あなた私大好き?」
「大好き」・・・・(郊外 その二)
熱っぽい場面が続いていくので、読むほうも気恥ずかしくなり、勘助は実は少女愛玩趣味のあやしい人だったのかとまで思ってしまう。当時は、ロリコンという言葉もなかっただろうし、少女熱愛の文章も、大人が子どもを慈しむ場面の文芸的表現としてとらえられ、問題にもならなかったのだろうけれど。
読み手には「銀の匙」で、勘助が隣家の女の子とまりつきやお手玉を楽しむ場面が自然と想起され、重なってくる。三十を過ぎた大人になっても、勘助はそういう年齢の女の子に特別な思い入れがあったのだろう。可憐な少女との戯れや他愛ない遊びは「銀の匙」前編の世界そのものである。もっとも「銀の匙」じたい、男臭さや雄々しさとは無縁の、いわゆる男性的なものが忌避され排除された領域を、子どもの眼に託して美しく描いているのであるが・・・・。
「犬」「島守」
代表作(といえるのかどうかは、わからないが)「犬」をみてみよう。岩波文庫では「犬」は「島守」とともに収録されている。この二作を並べた編集者の意図は読んでみればすぐに理解できる。作風の対比であろう。対照的なのである。
「島守」は「銀の匙」のほとんど延長線上に位置するもので「銀の匙」同様の透明で美しい文体で、自然や土地の人たちとの触れ合いが、まるで風が流れるように詩的につづられてゆく。野尻湖の弁天島にしばらく住んでみた体験を、日記ふうに回想したものである。とくに筋らしいものもなくて詩情豊かな小品である。
ところが「犬」はインドを舞台にした作品で、登場人物は若い娘、彼女は侵攻して来た異教徒の隊長に犯されて妊娠したが、相手が忘れられず願掛けに通っている。娘をかいま見て恋心を抱いたバラモン僧が、まじないで娘を犬に変え、自分も犬に変身して強引に夫婦になる。つがいの犬として生きていくうち四匹の子が産まれるが、子犬はみな山犬に襲われ食われてしまった。やがて異教徒の隊長が町に戻ってきたことを知った僧は、嫉妬に狂い、屍を遣わして必殺の呪法で男を殺すが、それを知った娘に、今度は自分が食い殺されてしまう、という内容である。
かなり危ない展開である。伏せ字だらけで出版されたという当時の状況もわかるし、それでも発禁処分になったという事情も理解できる。文章も異様な迫力があるが、引用してここに載せる気にはならない。でもこの作品からインド的な装飾、設定をすべて取り去ったとき、そこに残るのは生々しく描きだされる人間の、男女の性の原初的な姿であり、人が根源的に持つ逃れようのない切ない欲望のかたちにほかならない・・・・。
中勘助のおもな作品世界を、ざっとではあるがみてきた。「銀の匙」を読んで、その浄化された世界がもたらす好印象やすがすがしい読後感を壊したくない人は、そこで思いとどまって「中勘助の恋」へは進まないほうがいいかもしれない。複雑な気持ちにおちいるからである。富岡多恵子さんの鋭い分析や多方面からの冷静な考察で、勘助のさまざまな負の側面が炙りだされてくるので、読み手はそういうことを知らなかった頃の世界へはもう戻れなくなってしまうのである。「銀の匙」の愛好者が「中勘助の恋」を読むと複雑な思いになる、というのはそういう意味である・・・・。
「中勘助の恋」を読み、富岡さんの文章の毒に当たってしまった私は、もう体中に毒がまわってしまってもよいかと考え「犬」を読んだのだが、あまりの凄まじい内容に仰天し、行間に漂う重苦しい迫力に圧倒されたのであった。