均茶庵の
世界
比較的新しいさすらいの物語です。
ご一緒したべんてんが、いつも旅の安全を守ってくれました。
均茶庵は、ものすごく写真不精だ。旅行に行くときには必ずカメラを持参するが、殆ど写真をとらない。だから、アルバムは真っ白だ。その代り、紀行文を書いた。A4に2~3枚だ。最近は面倒になって日記だけで終わらせてしまっているが、原稿の山は沢山ある。所が、もう内容を読めない。3.5㌅のフロッピーディスクに収まっているのは上出来だが、大部分はWinともMacともまるで互換性のない、ワープロで作っている。
どうした偶然か、ある日机を整理していたら、何と他のデータに混じって、CDに記録した文章が出て来た。2003年8月31日~9月7日に、グアテマラとホンジュラスを旅行した際の一篇のみだ。改めて読み直すと、なかなか上手くかけている。ちょっと古いが、今回の箸休めに流用する事にした。但し、長いので、本文ではなく、[添付]文書とした。ご興味ある方は、開いて頂きたい。
https://sites.google.com/site/umehakase/home?authuser=0をクリック。
北は米国のClovisからから南はチリのLaguna Verdeまで、新大陸の古代遺跡を片っ端から見て歩いた。その頃、マチュピチュやナスカの名前がやっと日本人に知られ始めた。均茶庵は機会あるごとに南米をさまよい歩いている。ちょっとした駆け出しの考古学者よりも、現場感覚はある。2018年2月まで、国立科学博物館で「古代アンデス展」を開催していたが、本物を全部見てしまっているし、展示物も限られているので、何とも物足りなさを感じた。
ほとんど交通の便がなく、トラックや三輪自動車をチャーターして山道を登る。やっと遺跡にたどり着くと、ただの崩れた石ころの山だったりした。目をつぶって、繁栄の原風景を一生懸命想像した。「ここが千年前の霞が関だ。(注: 霞が関が、遺跡として千年後に残っているかどうか、はなはだ疑問だが。)」発掘中の遺跡では、「文化財保護のため」些少のご寄付をして、掘り出したばかりで、紫外線による劣化を防ぐためにカーテンが掛けてある極彩色の壁画も見学させていただいた。その圧倒する迫力に、暫し口を開いたまま佇んだ。
Copanには、グアテマラ国境から一時間くらいボートに乗って、泥水の川を下った。Tikalは、観光地として良く開けていた。どちらも、世界遺産として多くの人が訪問するようになった。
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作成: 180803