均茶庵の世界
比較的新しいさすらいの物語です。
ご一緒したべんてんが、いつも旅の安全を守ってくれました。
里にいる時は均茶庵(きんちゃぁん)、そして海や山へ入ると小均坊(こきんぼぅ)と呼んでいる。しかし、海や山での名前を知っている人は、まずいない。何しろ、独りぼっちだ。
Coquimboは、人口21万のチリ中部の大きな港だ。チリの京都と言われるLa Serenaのすぐ南にある。外港だ。チリの首都SantiagoとValparaiso港の関係、ペルーの首都LimaとCallao港の関係、或いは、中国の首都北京と天津港の関係と似ている。巨大なCerro Tololo天文台が近くにあるから、あるいは名前を聞いた人がいるかもしれない。地元では、漁業基地として有名だ。港の出口に、何十年か前に難破した日本漁船の残骸も残っている。
もう20年になるだろうか。Coquimboの港から、カヤック旧Falhawk Voyagerに乗って、約40km南のGuanaqueroまで一人漕いだ。途中、Lobo marino(オタリアあるいはアザラシ)の群れる島を抜け、キャプテンクックが財宝を埋めたと言う伝説の伝わる半島を回った。
Guanaqueroに上陸した時には、均茶庵の見慣れない恰好に驚いたのだろうか、漁師に囲まれて、「どこから来たんだ。」と聞かれた。「日本。」と答える。突然ざわざわとした。「おー、さすがにjapones(日本人)だ~。」どうも、太平洋を漕ぎ渡って来たと、間違われたようだ。大昔の懐かしい話だ。このカヤックを、Anñanña 1号(あんにゃんにゃ)と言う。今は、2号に乗っている。
2014年11月、年老いてCoquimboに戻って来た。南半球は、春から初夏にあたる。そして、今度は遊覧船に揺られた。Lobo marino、Penguino(フンボルト・ペンギン)、Pelicano(ペリカン)・・・・昔の友達の姿に、変わりはなかった。
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作成: 180618