話が長くなってしまったが、やっと出発の準備が出来た。
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海への通路は、西岸にある。幅74m程の水路が、両側をコンクリートで固められている。逆に東岸は厚い砂に遮られて、そのまま海にでられない。つまり、両岸の堤防間は最大670mあるが、通路はほぼ1/9しかない。
川の流れは、四六時中変っている。大きな台風が来ると、この厚い砂の上を川の流れが通る。暫くの間は水路が不安定だが、1週間もすると、元の形に戻る。砂丘の上を大量の水が流れる光景は、「大河」に恥じない。但し、短い運命だ。後には、上流から流れてきた色々なゴミが山となって残る。お宝は、滅多にない。
この砂丘は、上流からの流量に応じて、毎年少しずつ姿を変えている。この数年は、どんどん拡張しているようだ。東岸の松尾川は、嘗ては狭い流れで海に繋がっていたが、今では南側が完全に閉じてしまい、北の小出川へ幅2m位の水路でやっと接続している。川の流れを見ていると、人間の栄枯盛衰よりも激しい無情を感じる。留まる時がない。
西岸の流れは、湘南大橋を越えて、平塚競輪場までコンクリートの壁で仕切られる。堤防がコンクリートで出来ているのは、諦めがつくが、水の流れる場所まで仕切られているのは、何ともわびしい。何千万年前に活躍していた海洋生物の成れの果ての姿が、Caと炭酸ガスの塊となり、ずっと曝されているわけだ。
この防波堤の上には、休日も平日も関わり無く、ぎっしりと釣り人が並んでいる。均茶庵は、正直言って魚釣りが余り好きでは無い。下手くそでまるで釣れないから、そう言うのではない。食べる為に釣るのは未だ良いとしても、遊びで生きとし生けるものを殺めることに、どうしても抵抗を覚える。だから、殆ど釣りをしたことがない。釣りが好きな人には、ごめんなさい。
やっぱり、下手くそだからかな~。
殆どの釣り人は、釣果を求めるよりも、やすらぎの時間を楽しんでいるような感じがする。ハゼやキスの季節には、沢山つり上げる人もいるが、一般的には、大した事がない。それでも、みんな満足している。時には、汽水魚や海の魚もかかるようだ。
ぼうず
かなり昔は、湘南大橋の下が鰻取りの名所で、鰻ウケが沢山仕掛けてあった。いまでも、夜電灯を照らして、シラスウナギを網ですくい上げる人がいるようだが、往事の盛況はもう語り草になっている。「ソウメンコすくい」と呼んでいた。あるいは、「櫂釣」という独特の漁法があったそうだ。太い棒の先に糸を通して、ミミズを餌に、8月~10月の下り鰻を釣った。この漁法は、殆ど滅びているようだ。
中国人が、西マリアナ海嶺近くでどっさりと稚魚を掬い上げてしまうから、日本までやって来ない。本当に、「ロシア人中国人がいなければこの世のどかに静かなるらむ」だ。
釣り具店の資料から、馬入川で釣れる魚を拾ってみた。勿論、場所によって魚種が替わる。釣り師が集まっている場所を2ヶ所選んだ。
先ずは、河口~旧須賀漁港付近
スズキ、イシモチ、キス、ヒラメ、クロダイ、キビレ(チヌ)、ハゼ、ウナギ、マゴチ、
神川橋下
コイ、バス、ナマズ、テナガエビ、フナ、スズキ、ライギョ
ボラは、馬入川の至る所ではねている。元気が良いのは、カヤックに飛び込む事もある。釣り具店の資料に言及されていないのは、多分、食べても美味しくないので、釣りの対象にならないのだろう。唐墨をとるには、ちょっと小さすぎる。鮎、ハヤも沢山いるが、何故か記載されていない。河口で釣りをしている人に聞いたら、今の季節はコノシロだという。出世魚で、小さいのはコハダと呼ぶ。この魚も入っていない。均茶庵は、この分野が良くわからないので、深入りしない。
須賀湊
湘南大橋を200mばかり遡った所に、須賀港(旧平塚漁港)がある、一般船舶やカヤックは立ち入り禁止だ。港の南側入り口に、港稲荷神社が坐している。その対岸の北側に、こちらは、鳥居は立派だが、もの凄く小さな社が祭られている。神社には、祭神について何も書いていない。
現在の港からはちょっと離れるが、JR東海道線のちょっと北に、蔵邸という名前の小さな公園がある。昔、この辺りに高瀬舟で運んだ貨物を貯蔵した蔵屋敷があったそうだ。蔵邸公園の東側にある真福寺には、「馬入川渡船馬入橋遭難諸霊供養碑」と書いた、1958年建立の無縁塚がある。又、須賀港の南には、千石河岸の名前がついている。いかにも豪壮な時代の名残だ。
江戸天保年間(1830~1843年)の記録では、平塚を有名にしている東海道平塚宿の家屋数が289軒及び新宿119軒だったのに対して、湊の須賀村には452軒あった。湊が、宿場よりも大きかった。それよりも古い1705年の記録では、2000人が廻船業で暮らしていたそうだ。その繁栄の凄さがわかる。
何しろ、縄文時代には、平塚市・茅ヶ崎市は殆ど水没していた。市域は、現在でも殆どがハザードマップ地帯になっている。今、貝塚が見つかる辺りが、BC6000年頃の縄文海進時代の海岸線だ。例えば、『新編相模国風土記稿』(1841年)という本には、高福寺という真言宗の寺が馬入川沿いにあったそうだが、現在では川の中に没している由だ。
元禄3年(1690年)の時点で、須賀湊は既に相模国七浦に名前を連ねていた。江戸期に須賀村が湊として発展する一方、東岸の柳島は何度も洪水に襲われ、川の中州のような状態になっていた。耕作にもむいていなかった。柳島村は、長らく須賀湊の廻船事業を指をくわえて眺めていたが、そろそろと抜け荷まがいの仕事を始めた。1691年に到り、須賀村と年貢米廻船の独占を巡る大争論をおこし、柳島村は、やっと正式に事業に参入できた。しかし、柳島湊は、明治に至っても須賀湊に大きく劣後していた。
須賀港をぐるりと取り巻いて、堰堤がある。津波を意識してか、結構な高さだ。ゲートが3つ程ついており、その上の通路だけが急な勾配になっている。均茶庵は、時折ここを通って厚木まで馬入川堤防をちゃりする。ジョギングやウオーキングも多い。
堰堤の裏側が、魚の加工工場となっている。いつの間にか、シラスがご当地の名物になってしまった。片口鰯の稚魚だ。こんな魚は、昔は捕らなかったと言ってみても仕方ない。鰹も鰤も何もかもいなくなってしまった。扇風機で風を送りながら、魚を丁寧に手でもみほぐして、乾燥させる。いまでは、結構なお値段がつく。筵の上に放り投げて、天日で乾燥なんて大昔の話だ。もう、荒っぽい事はできない。さて、この盛況はいつまで続く事か。いささか乱獲ではないかと、気になる。
朝霧河畔緑地と名前がついているが、漁港の東側の堰堤が、ちょっとした公園になっている。川に面して、「平塚八景 湘南潮来」の碑と「相州須賀湊の碑」とその脇に小さな「舟繋石」が立っている。県の相模川八景及び平塚市の平塚八景の案内が、一緒に並んでいる。八景が二つあるのは不思議だが、「平塚八景」は、平塚市50周年の1982年に名付けたそうで、「相模川八景」は、1987年の制定との事だ。「潮来」の名前は、如何なものかと思うが、当時は、「潮来」という名前に憧れがあったのだろうか。
ABEMA湘南バンク
西岸のJR東海道線南に、1950年開設の平塚競輪場(ABEMA湘南バンク)がある。地方競輪の経営が苦しいなか、結構賑わっている。月に2~3日バンクを開き、それ以外は場外馬券売り場になっている。休場日には、バンク内のベンチに、自由に入れる。入り口に、キャラクター「ウインディ」の看板が掛かっている。てっきりイルカかと思っていたが、シャチだそうだ。
均茶庵は、賭け事は好きではない。しかし、レースが無い時に、バンクで名物弦斎カレーパン(高久製パン)を食べながら日向ぼっこをするのが気持ち良い。明治36年(1903年)刊の雑誌「食道楽」のレシピが、パンの発祥となっている。生地の中に米が混ぜてあり、カレーライスの風味をだしているそうだ。尚、村井弦斎さんは、先に書いた馬入川の屋形船でも有名な方だ。
堤防の奥には、ユニディ湘南平塚店がある。日曜大工の材料購入に、均茶庵はファンだ。しかし、いつの間にか食品スーパーLOPIやニトリが同居しており、そちらの面積の方が大きくなってしまった。ユニディの、65歳以上1%現金割引カードもなくなってしまった。
湊の丁度対岸は、湘南シーサイドゴルフ練習場とカントリー倶楽部が占領している。松尾川の底には、練習場のフェンスを跳び越えてきたゴルフボールが、あちらにもこちらに沈んでいる。引き潮になると、時折練習場の人が拾いに来る。均茶庵も1~2個拾って、表面についた藻を拭ってみた。「湘南シーサイドゴルフ倶楽部」と、両方合併したような名前が印刷してあった。
ゴルフ場は、河川敷だと言うのに、プレー代は結構高いそうだ。日曜日は、36,730円で、平日は24,630円。残念ながら、均茶庵はゴルフをしないので、相場感覚がまるでない。
ふと考えると、フェンスを跳び越えて来たボールだから、ここでぼんやりしていると危ないに違いない。しかしまあ、あの高いフェンスを越すとは、凄いパワーの人がいるものだ。丁度、湘南大橋の北側に小出川を越すティーがある。間違って横に飛んで来ないかなと思いつつ、急いで離れる。
さて、ゴルフ場の北側にある湘南リバーサイドマリーナの小さな港を見ながら、JR東海道線をくぐる。ここには、主にモーターボートが係留してあるが、いつ見ても人影が少ない。但し、1988年開港で、割と歴史がある。
JR東海道線と馬入橋
橋脚の間がちょっと狭くなっているので、水流が早い。難所という訳ではないが、やや注意がいる。電車は、5分おきくらいに通るだろうか。橋の下から見ていると、頭上の迫力を楽しめる。この辺りから、馬入橋を越えたホテルサンライフガーデン脇の馬入排水樋管周辺は、釣り人が多い。樋管の上には、久領堤ライブカメラが設置されており、カヌーを下ろす前に川の様子を知ることが出来る。
馬入ふれあい公園
この付近には、水上バイクのマリーナが多い事から、夏に近くなると交通量が急に増える。バイクに乗る方も、運転には良く気をつけているようだ。ただ、時には下手な奴もいて異常接近するし、又、カヤックの脇を通る時に、スピードを落とさない輩もいる。多分ご本人は、ご存じないのだろうが、そこそこの波が立つ。沈をすることはまずないが、船体を波に直角にしないと、ちょっと不安感がある。ご参考までに、カヤックは船体が波に直角になると、安定する。逆に、波に平行になると、すぐにひっくり返る。
ここに、「馬入渡し跡」の碑が立っている。河原一面は、サッカーコートになっている。一番北側のちょっと広いコートが、湘南ベルマーレ・馬入サッカー場だ。ベルマーレって、こんなに沢山選手がいたのかなと思うほど、若者がいっぱい練習をしている。
コートの南側に、大きな桜の木が植えてある。丁度、花のシーズンだった。ちゃりで厚木まで行き、帰りに桜を見ながら、お昼を食べた。そのまま横になって眠ってしまった。はっと気がつくと、すぐ隣に軽トラックが止まっていた。ここは、立ち入り禁止エリアのようだ。選手も昼の間は休憩でいなかった。礼儀正しい若者達だ。早々に、堤の上のサイクリングロードに移動した。がんばれ、ベルマーレ。
この辺には、色んな設備がある。サッカーコートの北には、「イシックス馬入のお花畑」という、何故かお墓屋さんがスポンサーになっている花園がある。均茶庵は、野菜宅配の「オイシックス」と、長い間間違えていた。
1977年に堤防・公園を建設したが、その後2017年から冠を契約したそうだ。ポピー30万本、コスモス30万本が植えてあり、堤防の上から見ると、広々とした絶景だ。
実は、この堤防の上に、チャリダーと散歩者用のトイレがある。何と言うことのない設備だが、大いに助かっている。うっかり漁港のトイレをミスした時に、お世話になっている。茅ヶ崎からここまでくると、下の方もちょっと苦しくなる。
「馬入水辺の楽校」という、国交省が運営している公園もある。子供達の水遊び用の自然公園だ。全国には約200ヶ所あるそうだが、相模川ではここだけだ。夏が近づくと、色々なイベントが開かれる。台風時に冠水の心配はないのだろうか。何しろ、平塚市街は殆どがハザードマップの対象地域だ。
この叢の中に、野生の雉がいる。突然、大きな声で「け~ん、け~ん。」と鳴くから、飛び上がるほどビックリする。『雉も鳴かずば撃たれまい。』と言う、正にその声だ。ここの木の下は、絶好のお昼寝場所だ。
水鳥観望デッキ
楽校の水辺には、水鳥を見学するための、台が作られている。ここは、亀(カメラを持った爺婆)の名所になっている。大きな望遠レンズを構えて、中州を睨んでいる。うっかりカヤックでこの水路に入ってしまうと、水鳥が一斉に飛び立つ事になる。
漕ぐ方にとっては、もの凄く気持ち良い景色だが、亀にとってはとんでも無い事だ。しかし、Uターンするわけにも行かない。声を出してもどうせ聞こえないし、そっと『ごめんなさい。』を言って漕ぎぬける。普段は、亀さんに遠慮して、東側の本流を北上する。
楽校の堤防の西側に、田中貴金属工業の湘南工場がある。今、金はグラム当り9,000円近い。この工場にどっさりと金塊があるのかと勝手に想像していたが、残念ながら、まるで違った。
燃料電池や半導体用の触媒を開発しているそうだ。工場の建物の地味さと異なり、ハイテクだった。
やや残念な感もある。
平太夫新田
川の中央から西岸にかけて、大きな中州がある。茅ヶ崎市と平塚市の市境が、中州の真ん中を通っている。茅ヶ崎市で唯一「新田」の名前がついた村だった。江戸時代に、松下平太夫という人が開発した。但し、水田には向かず、畑作と川漁で暮らしていたそうだ。安政(1855年)には、村人がたった70人しか住んでいなかった。今でも草がボウボウに繁り、所々に鷺が立って魚を狙っている。
均茶庵は、平太夫新田の東側にある「萩園」という部落に、10年前にちょっとした都合で、数ヶ月住んだ事がある。この可愛い名前の部落は、雨が降ると、水がでた。土地が低い。1271年の文書には、この部落は、「萩曾禰」と書かれている。「茅ヶ崎の轍」第3回(2012年6月号)によると、元禄年間(1688~1704)頃に、「萩園」に変ったそうだ。何と曾禰の意味は、「石混じりの痩せた土地」との事だ。
河は、川の中に川がある。一見どこまでも静かな流れの様に見えて、水中では大きく蛇行している。だから、深い流れの所を漕いでいた積もりでも、突然船底が水底の砂に座礁する事もある。広い河の真ん中に鷺が立っている姿は、決して珍しく無い。但し、舟が通るには、大難所だ。この辺りの地名を、「長瀞(平塚市)」と言う。
環境事業センター
東岸に、茅ヶ崎市環境事業センターの大きな建物が見える。白い建物と煙突が目立つ。以前は、清掃事業所と呼んでいた。引っ越しなどの時の大量の家庭ゴミは、こちらに持ち込む。但し、有料だ。100kg以下は、1,400円/回する。死んだペットも持ち込める。しかし、これは飼い主の愛情次第だろう。均茶庵家には、お嫁に行った娘以外に、ペットはいない。孫は、男ばかりだ。
言い忘れたが、25m屋内温水プールもある。65歳以上は、310円。均茶庵の家からは、ちょっと遠い。平塚市のゴミ処理場がどうなっているかは、知らない。
茅ヶ崎市には、馬入橋近くに資源分別回収共同組合という施設があって、資源ゴミを持ち込める。こちらは、無料だ。尚、赤羽根には、都実業が経営する2,000kwの木質バイオマス発電所がある。こちらは、立木の持ち込みが無料だ。
細かく書いたが、西側の河川敷にはいろいろなグラウンドがあるものの、東側には2018年にオープンした茅ヶ崎市柳島スポーツ公園と寒川町の田端スポーツ公園しかないからだ。
ひらつかサン・ライフアリーナ