添付1.「あを」と「みとり」
クリックして本文へ戻る
初めに
これまでに、コケの色の表現として、万葉集の「あを(青)」から新古今集では「みとり(緑)」に変わった事を見てきた。どんな色の違いなのか、また、変わった理由が何なのか、コケを詠った歌の数が少なくて、それだけでは判断できない。従って、他の歌についても較べて見て、その変化・変遷を辿ってみたい。
均茶庵は、「あを」と「みとり」についての論文を探してみたが、残念ながら見当たらなかった。だから、「奈良時代~平安時代に詠われたコケ」で見た各歌集から、この二つの単語を拾い出す所から出発してみたい。但し、下記の条件を付ける。何しろ、均茶庵は古典に関してはまるで素人だから、理解違いや解釈不能が沢山ある。取り敢えずご容赦いただきたい。
① 歌のみを対象として、詞書きについては、取り敢えず触れない。
② 和漢朗詠集については、和歌のみを対象とする。
③ 「あをによし」や「みとり子」と言った、謂わば歌っている色と直接関係ない言葉は、対象外とする。
④ 各歌集ごとの使用詳細については、文末に添付した。
1. 万葉集 (成立:744~759年)
1.1 みとり:
殆ど使われていない。全2例ある。柳は、通常「あを」と表現されるが、1847では、「みとり」と詠われている。貴重な例外だ。
1.2 あを:
現在の青あるいは緑あるいは黄緑を示す色は、殆ど「あを」一語がつかわれている。
その内でも、「あをやき(青柳)」という言葉が、圧倒的に多い。「糸」「枝」という言葉に先行して、枕詞にかなり近い使い方をされている。しかし、この場合でも、柳の色が「あを」と表現されている事に注意したい。
これに次いで、「山」あるいは「垣山」を形容する場合が多い。山は、木や葉の緑を指す場合もあろうが、同時に薄青い姿も「あを」の中に含んでいると考えられる。
この他、自然物を示す「雲」「波」「淵」の形容に使われている。また、植物では、「葉」「玉藻」「草」を形容する言葉として使われている。
馬あるいは駒を「あを」と表現する例もある。古語辞典によれば、「あをうま」は、毛の色が黒く、青みを帯びた馬を指す場合と、白毛の馬をさす場合がある。後者の場合には、「水鳥の鴨の羽色のあおうま」などとも表現する。深入りを避けよう
1.3 まとめ:
青から緑あるいは黄緑色までを、全て「あを」で表現しており、「みとり」を使用するのは、例外的だ。
2.古今集 (成立: 905年)
2.1 みとり:
歌の数が非常に少なく、4首しかない。いずれも、松・野・草などを形容している。
2.2 あを:
こちらも、歌の数が少なく、3首しかない。「あをやき(青柳)」及び「あをつつら(青葛藤)」と使われており、緑色を指す。
2.3 まとめ:
実例が少なく、判断が難しいが、植物に対して「みとり」が使われ始めた点に注目したい。又、「あを」の用途が、一部固定化している。
3.伊勢物語 (成立:未詳。但し、古今集以降)
不思議な事に、「みとり」や「あを」を使った歌は、一首もない。
4. 後撰和歌集 (成立:955~957)
4.1 みとり
殆どが、松を形容する時に使われる。「ふかいみとり」と表現される事もある。又、葉を形容する歌も一首ある。
4.2 あを:
「あをやき」が糸に先行する歌に限られる。
4.3 まとめ:
松を中心とした植物は、「みとり」の表現が固定してきた感がある。逆に、「あを」が使われるのは、「あをやき」に固定されてきた。
5.古今和歌集六帖(成立:976~987)
5.1 みとり:
圧倒的に松を詠った歌が多い。その他は、草・木などの植物、野辺、水・川が多い。
5.2 あを:
こちらも、断然「あをやき」が多い。又、「あをつづら」を含む葉などの植物がある。
一方、山・淵・水などの歌も見られる。
5.3 まとめ:
「みとり」は、もはや完全に松を筆頭とする植物を表現する色として、定着した。又、植物の緑が飾る野辺や水関係も「みとり」の範囲内に入って来た。一方、「あを」は、一部例外を除いて、「あをやき」を表現する色となってしまった。
6.拾遺和歌集 (成立: 1005~1007)
6.1 みとり:
使用頻度としては、「あを」より多い。特に松の形容に使われ、「ふかい」という形容詞が着く場合もある。「あをやぎ」「河柳」と使われる場合には、「糸」を伴う場合が多い。この
他、植物では、野辺・茎葉・芹・竹と一般的に使われ、特に野辺では「あさみとり」とい
う形容詞が着く場合もある。
植物以外では、「泉」「淵」と水に関係した表現、及び、「衣・袖」を形容する場合がある。水を形容する表現は、万葉集から続いている。
6.2 あを:
殆ど、「あをやき(青柳)」及び「あをつつら(青葛藤)」に使用が限定される。
6.3 まとめ:
松及び植物・水関連については、「みとり」が使用され、「あを」は、「あをやき青柳」及び「あをつつら青葛藤」に限定して使われるようになった。
7.和漢朗詠集 (成立: 1004~1020)
7.1 みとり:
漢詩では1佳句しかなかったが、和歌では、松・空に使われている。但し、使用例は少ない。
7.2 あを:
「あをやき」のみに使用されている。
7.3 まとめ:
趨勢は、既に決定したようだ。「あを」は、極めて限定されたケースにのみ使われており、「みとり」が一般化した。漢詩では、コケを表現するのに、ほぼ「青苔」を使用しているが、当時の倭人感覚では、すでに表現として居心地が悪くなっていたのではなかろうか。あるいは、「青苔」は、外国語(唐)の言葉として、認識されていたのではなかろうか。
8.新古今和歌集 (成立:1205~1210)
8.1 みとり:
松を中心に、草・花・苔・葉の他、野辺・山と広く使われるようになった。ごく一般的な、緑の表現様式となった。但し、「あをやき」が、2件ほど残っている。
8.2 あを:
一方、「あを」の用法は、殆どが「あをやき」として使われ、例外的に、松・山・影で詠われている。
8.3 まとめ:
以上のとおり、「みとり」と「あを」の使用法は、ほぼはっきりと分れ、緑を指す言葉は、「みとり」に集約されてきた。
9. 百人一首:
「みとり」も「あを」も、詠われていない。
まとめのまとめ
「みとり」と「あを」の用例の変遷を見た。万葉時代には、「みとり」が殆ど使われていなかったにも拘わらず、次第に「あを」を圧倒していった。松の色の形容を中核に拡大した「みとり」の表現は、10世紀半ば~末頃までに、ほぼ完全に「あを」を代替し、「あを」は、糸・枝の殆ど枕詞化した「あをやき」を中心として使われるようになった。
但し、「みとり」と「あを」の意味する色に変りはなく、いずれも、青~黄緑~緑を指した。「あを」がBlue~Cyanのみを意味するようになるのは、更に時代が下ってからと思われる。均茶庵は、調査を未だ行っていない。
221023 均茶庵
追記) 221024 均茶庵
下記の論文で、「あお」と「みどり」について触れている部分を見つけた。
平安以前は、「あお」と「みどり」が混用されており、はっきりした定義が成立したのは、たかだか明治以降の事だった。現在でも、日本語では、歴史的な要因から、信号機・若葉・野菜などを指して「青」と呼ぶ事があるが、それ以外では、現在では明らかに区別して使われている。「あお」と「みどり」が分離する過程は、世界中の言語が発達途上で必ず経過する。
Ichiro Kuriki, et.al. The modern Japanese color lexicon. Journal of Vision. (March 2017) Vol.17, No.3