竹原書院図書館で忠海高校科学研究部(西原実香・藤谷育美・桐山敦子・森尾由貴・久保舞華)が発行した『「味潟の海」とは、どの海域なのか?』という小冊子を見つけた。
読んでみると忠海高校の校歌に出て来る「味潟海」についての疑問から出発してさまざまな角度から調査研究した報告で興味深く拝読したので抜粋して紹介しよう。
〈浮鯛現象〉とは、鯛が酔った状態で水面に浮き上がってくる現象である。この原因は、複雑な海底と流れの速い潮流などの影響で、深い場所にいた鯛が、急激に水面に押し上げられ、急激な水圧の減少により、浮き袋の調節がうまくできず起こる現象である。酔っていたと言われるが実際は、浮き袋の変化に耐えきれずに気絶し浮いたと考えられる。(中略)また、浮鯛現象が起こる条件が科学的に研究されており、次の3つの条件が必要であるとされる。
①浮き上がった鯛の体を麻痺させるほどの寒気。
②鯛の生息地に浅い瀬があり、そこに強力な潮流が吹き上がることが必要。
③大潮の満潮時。(P13)
『豊田郡誌』によると「味潟の海」と「浮鯛抄伝説」に関係があることがわかった。
「浮鯛抄伝説」とは幸崎町能地の辺りで伝えられている伝説である。「浮鯛抄」は浮鯛系図とも呼ばれ、日本書紀を根拠とした巻物で、漂海をした能地の人たちが通行証明書のように使用していた。成立の詳細は不明であり、原本も発見されていない。現存しているものはすべて写本で、年代のわかっているものでは天明四年(1784)のものが一番古く、年代不祥のものでは三原市立図書館に預けられていたものが最古のものだとされている。見つかっている写本は作成の年代により内容、形式、紙の大きさなどの違いがある。
幸崎支所本には次の内容の記載がある。
①神功皇后に結びつけた浮鯛の起源
②浮幣社(うっぺいしゃ)の由緒
③漁家の女が市に魚を運ぶのに頭にのせる「飯ぼう」の由来
④能地の海人に対する「この浦の海人に永く日本の漁場を許す」との皇后の許可
⑤地名の由来
⑥中臣連の伝承
⑦菅原道真へ浮鯛を献じた伝承
⑧平清盛が浮鯛をすくわせた伝承
⑨源義経へ赤女(鯛)を献じた伝承
⑩この浦の魚を売る女が敬語を使わない由来
⑪足利尊氏へ浮鯛を献じた伝承(P12)
〈まとめ〉 私たちは、三原市幸崎町の前の海域を「味潟の海」と考える。そこには、神功皇后に由来する地名や神社、祭などがあるため、味潟の海は神功皇后と深い関わりがある。文献で「味潟」という言葉を探しているとき、神功皇后がやってきて味潟の浦で浮鯛現象が起こったという記述があった。そこから神功皇后についても調べてみた。神功皇后は戦いに行く途中に能地に寄った。その時に鯛が浮き、これが浮鯛抄伝説の起源となった。神功皇后には存在の架空説もあるが、神社などで祀られており、実在説も多い。
これは神功皇后が安全を祈願して流した幣が流れ着いた場所に建てられたという浮幣社や神功皇后と浮鯛に関するだんじりや浮鯛祭りなどが幸崎にあることからも言える。ほかにも、漁業では神功皇后から口頭で漁の許可をもらった。そのことを元にして浮鯛抄という巻物がつくられ、その巻物を見せると幸崎漁民はどこでも漁をすることができるようになった。文献の中に、味潟で浮鯛現象が見られるという記述があり、「能地の浮鯛」という言葉が登場することから、能地という地名がある幸崎町が味潟の海の場所であると考えた。(P7)