前号では、第30回大会での広島県大会優勝について書いたが、この一文をみても当時の忠海高校が優勝戦進出の常連校であったことがわかる。なお、この大会 の決勝戦の相手校は尾道東高校であった(前号で記述洩れ)。 今回は、西中国大会決勝で山本一義(現在広島カープコーチ)のいた広島商業に敗れ甲子園出場 を逃した第38回大会(昭和31年)について報告しよう。
当時は、夏の甲子園に出場するためには、広島県大会のベスト4に入り、山口県4校と広島県4校のトーナメントで争われる西中国大会で優勝しなければならなかった。忠海高校はベスト4進出を決める試合で呉阿賀高校と対戦し、これを3対1で敗り、西中国大会進出を決めた。
この年、西中国大会に代表として出場したのは、広島商業、盈進高校、忠海高校、尾道商業の4校だった。山口県の代表は岩国商業、柳井高校、光高校、柳井商 工だったが、1回戦で広島県勢は山口県勢をことごとく打ち破り、2回戦に進出した。なかでも忠海高校の竹本投手は、岩国商業を相手に、ノーヒットノーラン の快挙を成し遂げている。
つづく2回戦(準決勝)は尾道商業と対戦したが、その試合の模様を、当時の読売新聞から再現してみよう。
「1、2回盗塁6を数える足でかせいだ尾道商の先制攻撃と6回忠海のねばりの反撃で高校生らしい力と熱のはいった好試合を展開したが、忠海は8回日下の左 前安打に岡村の投前バントを二塁低投した瀬戸(相手救援投手)の失策で無死一二塁の好機を迎え、バント失敗の1死後、大岡が四球で満塁、橋本の一打は浅い 守備の遊撃を越えた決勝打となった。(この試合、尾道商は1、2回で4点を入れ一方的な試合になるかと思われたが)忠海は浜田(相手先発投手)に食い下が り、1、2回のよい当りは野手の正面をついたが、3回無死大岡の二塁打を足場に1点をかえし、6回には浜田の乱れから秋光、亀井の四球、逸球で二、三塁と 進めたあと村上の右前適時打で2点をかえし、さらに竹本のスクイズで同点にこぎつけた。」(『読売新聞』昭和31年8月2日)結局この試合忠海高校は5対 4で尾道商に逆転勝ちし、決勝に駒を進めた。
続く決勝戦は広島商業との対戦となったが、この試合については、『忠海高等学校の100年』に宮重範爾氏が「球児の祭典」と題する一文を寄せているので紹介してみよう。
「この一戦に勝てば、西中国代表として、あこがれの甲子園出場である。わくわくした。炎天下での午後1時半からの試合開始となった。連日の連投で疲れの 残っていた竹本君が立ち上がり1回裏に広商打線につかまり、山本一義(現広島カープコーチ)に打たれ、この回2本の二塁打で2点の先行を許した。忠高は3 回にスクイズや相手投手の悪送球も重なり、一挙に同点とし、優勝の行方は全く予断を許さぬ状況になり、応援にも一段と熱がこもり、全員肩を組んでの必死の 声援。しかし4回二者に粘られ、四球を選ばれ、二死二、三塁のあと投手頭上をバウンドで越える内野安打で二者の生還を許した。また6回に1点を追加され、 5対2で力尽き無念の涙をのんだ。」
ちなみに、この年の忠海高校のラインナップは、1番(右)橋本、2番(二)槙井、3番(遊)秋光、4番(中)亀井、5番(一)村上、6番(三)日下、7番(捕)岡村、8番(投)竹本、9番(左)大岡であった。