すでに『忠海再発見』155「イラン毒ガス被害者支援と行武正刀」で紹介したように忠海病院の行武正刀先生はイランの毒ガス被害者支援の活動の前線で活動してこられた。そのことを著述した広島のNPO理事長の津谷静子さんの著書がイランで出版されたことが『中国新聞』で報じられたので転載しよう。
「1980年代のイラン・イラク戦争中、化学兵器の被害を受けた人々に寄り添いたい-。被害者支援活動を続けてきたNPO法人「モースト」(広島市)の津谷静子理事長(61)の著書『イラン毒ガス被害者とともに』がイランで出版されることになり、13日に首都テヘランで記念式典が開かれた。
モーストは2004年から、イランの被害者に医療支援を続けるほか、広島の被爆者らとの交流イベントも実施。ペルシャ語への翻訳は父親が被害者で日本語が堪能なイラン人ヤセルさん(32)が手掛けた。
式典にはイランのアラグチ外務次官のほか、被害者ら約150人が出席。肺に後遺症を負ったモハンマドさん(52)は『私たちは平和を望んでいる」と訴え、多くのイラン人に読まれてほしいと語った。
広島から駆けつけた津谷さんは「呼吸さえも苦しい状態が続く被害者の方々だが、幸せを心から願っているとあいさつした。
イランはイラン・イラク戦争でイラクのフセイン政権から化学兵器攻撃を受けた。」(『中国新聞』2017年2月の記事から)
あわせて、2016年8月6日の『中国新聞』に「毒ガスの苦しみ共有」という見出しでイランの毒ガス被害者が大久野島を訪問したことを報じる記事があったので紹介しよう。 「イラン・イラク戦争で毒ガス攻撃を受けたイランの被害者4人が、竹原市忠海町の大久野島を訪れた。毒ガス資料館で島内にあった旧日本陸軍の毒ガス工場の実態を学び、製造に従事して後遺症に苦しめられた人々の慰霊碑も訪ねた。
呉共済忠海分院で毒ガス工場の被害者を治療し、イランの被害者の支援にも努めた故行武正刀医師の長女則子さん(49)=三原市=たちが、資料館を案内した。イランの被害者は、毒ガス製造に使われた道具などを熱心に見学。生涯にわたり後遺症が続く毒ガスの悲惨さをあらためて確認していた。
マスタードガスで全身の皮膚に傷を負った公務員ハッサン・フルザンさん(48)は「毒ガス製造に子どもも従事させられていたと知り、悲しい気持ちになった」と話していた。
イランの被害者は、支援を続ける広島市東区のNPO法人「モーストの会」の招きで、2004年から年1回程度のペースで広島県を訪れている。ことしの一行は3日に広島入り。6日は広島市中区の平和祈念公園である平和祈念式典に参加し、同区の映画館で同日に始まる「広島イラン愛と平和の映画祭」の開会式にも参加する。
7日は同市南区で被爆者の体験を聞き、広島女学院大学の学生たちと意見を交換、9日に帰国の途に就く。」