小沢康甫著『みる きく たべる 祭ーリズム 中四国を歩く』(南々社)という本を書店でみつけた。その「はじめに」で「祭ーリズム」という造語についての解説があるので紹介しよう。
「祭ーリズムは造語です。ツーリズム(旅行)にエコやグリーン、スロー、サイクルなどを冠した言い回しが、行政やメディアでしきりに使われます。ならば、祭りをメーンディッシュ味わい尽くす-そんな旅のスタイルがあってもいいはず。そこで『祭り』と『ツーリズム』をあわせて名づけました。『リズム』には囃しの音、祭りが暮らしに刻む心地よさも込めています。
せっかく祭りを見るのなら、表層だけでなく神髄に触れてみたい、祭りに関わる人たちの肉声を聴いてみたい。この思いが取材へと駆り立てました。と言っても、堅苦しい学術書ではありません。祭り見学のちょっとしたお供になればと、1月から12月まで『暦仕立て』にして書き綴りました。」(前掲書P2)
この本に「二窓の神明さん」が紹介されているので、その全文を転載しよう。
「JR呉線忠海駅から歩いて15分、会場の忠海東小学校は二窓漁港のすぐ傍だ。2008年の当日午後2時、校庭にはすでに天を突くような『神明さん』が立っていた。高さ23m、重さ3.5トン。住民約60人が1月下旬から製作に取り掛かった。午前中、神饌を供え神職が祝詞をあげたという。
神明さんは竹原の風物詩でこの時期、各所で見られる。400年余りの歴史があり、その数約90基。中でも二窓は最大規模を誇る。火祭りで元は旧暦1月15日に干潮の浜で燃やした。
神明といえば伊勢神宮を指す。伊勢信仰が火祭りと一体になったようだ。竹原のほか、広島県の三原市や山口県柳井市阿月や上関町などでも『神明さん』『神明祭』などと呼ぶ。これらの地域は小早川家やその一族・浦家の領地だった。祭りには旧領主が関わっている。 伝承では小早川隆景が豊臣秀吉の命で朝鮮に出兵した際、戦勝祈願のため櫓をつくって神明を祀り、櫓の棚の上から敵情を把握し指揮を執ったという。その後、櫓の形の神明が領地にもつくられることになった、と伝わる。竹原郷土文化研究会事務局長・坂上紀之さんは言う。『浦氏は忠海を去って上関に移り、さらに阿月でも領主を務めます。移動に伴い、神明祭が持ち込まれたようです。』
神明の中心、神木は松丸太。それを四方から松で支える。この袴状の部分を『あし』と呼ぶ。『松だけでも横木を含め大小40本必要ですが、沿岸部は松枯れで良材がありません。最近は東広島市にまで探し求めています。』と世話役約40年の角本優さん(12年取材)。神明の前後には松の『かき棒』が付く。
あしに巻く素材が興味深い。松、モロモキ(ウラジロ)、シバ(カシ)、藁を四面に使い分ける。松もカシも常緑で祭りにふさわしい。ウラジロは長寿。藁は注連縄状に編む。神木に巻かれた藁には橙や干し柿、梅の枝を挿しこむ。最上部には笹竹を立てる。
お年寄りが話す。『神明さんには釘などの金物を一切使っていません』。海の龍神さんに金物は禁物。漁業の安全を願って、そうするのだという。
ひときわ目を引くのは3つの円盤。モチと呼び、下から大モチ、中モチ、小モチと言う。竹を輪にして、それぞれカシ、藁、モロモキで覆う。『お正月』『希望の朝』『100点取る』……。大モチには子どもたちの書き初めが下がる。無数の色紙は舞妓の花かんざしの艶やかさ。折り鶴や扇も見える。
小モチで交差する竹は『セーゴシ』と呼ぶ。その形はまるで神と交信するアンテナのようだ。祭りの世話役・新本直登さんが推測する。『神事の幣串の意味でしょうか。
この大神明とは別に小学校と保育所がそれぞれ小神明をつくる。もっと小さい神明も3基。孫の誕生を祝って祖父がこしらえた孫神明だ。いずれも大神明と違わぬ素材を使う。男児誕生の場合は船を、女児には羽子板をつくって名前を入れ、大神明に付ける人もいる。 午後2時半、児童たちの太鼓演奏に続いて、小神明の練り歩き。子どもたちが校庭の中央に引き出した。
3時半、神明をはやす(燃やす)。声で囃しながら燃やす意と思われるが、おそらくは消滅の『燃やす』を避けた、増殖の『生やす』。豊穣・豊漁を願う言い回しだろう。梨を『有りの実』と言い換えたりする忌み言葉。『はやす』の語には、神明さんの霊力を揺り動かし、おかげをたくさんいただきたいと願う心根がのぞく。
4時20分。大神明の『練り歩き』が始まる。かき棒を大人約50人が抱えた。太鼓の音とワッショイの掛け声もろとも引きずるようにして押し出す。顔面が紅潮。神明が上下に大きく揺れる。
見物していると、横から『まあ、どうぞ』。世話人が青竹の猪口を勧め、冷酒を注いでくれた。アテは手の窪に受けた大根なます。祭りに酒-こりゃ、たまらない。
午後6時前、クライマックスを迎える。約千人が見守るなか、神明を約40人が円陣で取り囲む。点火!の号令で一斉に神明に向かって走り寄り、手にしたトーチを投げ込む。神明は見る見る燃え上がった。赤い炎の中、3つの『モチ』が黒々と浮かぶ。ポーン、ポーン、ドンと激しく爆ぜる。全身が炙られるような熱気。思わず後ずさりした。
顔を赤々と照らされた人たちは一様に手を合わせている。『この1年、いいことがありますように……』。つぶやくような祈りの声が聞こえた。無病息災、火難よけ、家内安全……。さまざまな願いを一身に受け、神明さんはドーンという地響きと共に南の方角に倒れた。点火からわずか4分であった。
二窓地区約700戸、1700人の総力を挙げた祭りは幕を閉じた。中には、神明さんのために帰郷した若者もいる。祭りが世代を超えて心をつなぐ。」(前掲書P36~39) この本には柳井市阿月神明祭、竹原市高崎の神明祭も紹介されている。