『文芸春秋SPESIAL』に桐島洋子が「聡明な大人は料理がうまい」という連載を行っている。その2011年季刊冬号に忠海少林窟の湯豆腐を紹介しているので、ここに転載する。
「広島県竹原市の海を望む山腹に、私のパワースポットの一つである気持ちのいい禅寺がある。その少林窟道場の井上希道老師は、独 特で強力な座禅の指導法で知られているが、しかし、取り澄ました高僧など想像したら大間違いで、かなり型破りの痛快な熱血和尚だから、私のような不良熟女 でも差別なく懐に入れて下さるのである。
私はしばしば道場へお邪魔しながら、『座禅はご勘弁』で、にぎやかな酒盛りの方だけ仲間入りさせて頂く。
瀬戸内の海の幸が勢揃いの刺身の大皿と並んで、いつも宴の主役を張っているのが、老師同様型破りの湯豆腐である。出し昆布も入れずただ水を張った鍋に、皮 を剥き1センチほどの輪切りにしたジャガイモ(安芸津じゃがいもが一押し)をドサドサ入れ、その上を覆うように厚さ2センチほどの豆腐もドサドサ入れて煮 る。それだけだ。
薬味は天日でカリカリに干して細かく砕いたイリコを中心に、煎り白胡麻の半擦りと刻み長葱を加え、おろし生姜と一味唐辛子も添え、醤油、願わくば地元の忠 海醤油薄口をかけて混ぜる。あとは鍋の煮えるのを待てばよい。随分荒っぽい湯豆腐だと思ったものだが、食べてびっくりの深い滋味である。ジャガイモと豆腐 の間にいったい何が起ったのだろう。それにイリコというのがタダモノではない。思わず『どんな魔法をお使いになったのですか』と禅寺には似合わない質問を してしまったが、老師は破顔一笑、『いやいや、難儀な時代に金を使わず何を食わせれば子供が頑丈に育つか、家内と頭を絞っただけですよ』とおっしゃる。貧 乏寺の栄養学に乾杯だ。」(『文芸春秋SPESIAL季刊冬号』桐島洋子「聡明な大人は料理がうまい」P157~159)
この記事には次のようなレシピも掲載されている。
「◎材料(4人分)絹ごし豆腐2丁/ジャガイモ3個/水適量/イリコ3分の1カップ/煎り白胡麻3分の1カップ/長葱2分の1本/一味唐辛子・醤油・おろし生姜各適宜
◎作り方①豆腐は2㎝強の厚さ、ジャガイモは1㎝ほどの厚さの輪切りにする。②長葱は細かく刻み、煎り白胡麻は軽く擦っておく。イリコは天日で数時間干す か、電子レンジで1分30秒ほど加熱してパリッとさせ、フードプロセッサーで粉末状になるまで砕く。③水を張った鍋にジャガイモを並べ、その上に豆腐を重 ねて、中火にかける。④器に②の長葱や煎り白胡麻、イリコ、一味唐辛子、おろし生姜、醤油を入れ、薬味の準備をしておく。」(前掲書P159)
ある酒席でこの記事を紹介すると、「ジャガイモと豆腐の相性について、ジャガイモのデンプン質が豆腐にすがはいるのを防ぐので、この方法は理にかなってい る」「私は薬味に梅干しの実を加える」など意見百出であった。いずれにしてもここに紹介されている大皿の刺身にしても湯豆腐の材料や薬味にしても忠海の商 店街で直ちに取り揃えることができるわがふるさとの産品なのだ。