『読売新聞』の2016年11月5日号に『石風呂66年の店じまい-あす竹原「岩乃屋」-「75歳まで」2代目決心』という見出しの記事が掲載された。10月29日に忠海高校で開かれた『最後の石風呂を囲む会』の報告も含めてまとめられている文章なのでここに転載する。
岩を熱して蒸し風呂にする「石風呂」を66年続けた竹原市忠海床浦の旅館「岩乃屋」が、6日で営業を終える。瀬戸内海や島々を望む岩場の洞穴で、海草のアマモを蒸らす昔ながらの手法を守ってきた。かつて各地にあった石風呂もほとんど姿を消し、常連客らが別れを惜しんでいる。
石風呂は1950年、旧陸軍が船を隠すために掘ったという幅10メートル、高さ3メートルほどの洞穴を活用し、主人の稲村喬司さん(75)の父・芳太郎さん(79年に死去)が開設した。
稲村さんは毎朝、穴の中で木の枝を燃やして岩を熱し、柄が長さ5メートルもあるスコップで燃え殻をかき出し、ムシロやアマモを敷く。作業は午前7時半から正午頃までかかり、息は切れ、全身から汗が噴き出る。
客は水着や短パンなどで入り、4年前から通う三原市高坂町の農業坂本耕太郎さん(35)は、「周りの海や山も含め、全部が最高、古き良き瀬戸内の暮らしが一つなくなり、残念でもったいない」と惜しむ。
10月29日には忠海高校で、常連客らが「最後の石風呂を囲む会」を開き、集まった約130人が、稲村さんの話やスライドなどで往時を懐かしんだ。
各地の石風呂は高度成長期以降に相次いで姿を消し、山口県周防大島町で住民らの保存会がイベントなどで再現しているが、常時営業しているのは珍しいという。
稲村さんは10年前から、75歳で石風呂をやめると決めていた。「お客さんに喜んでもらいたいと、一日一日を一生懸命、元気の続く限りやってきた。今はやり遂げることに必死で、終了後のことは何も考えていない」と笑った。
『中国新聞』は「竹原の石風呂に寄り添って-自然と共存育んだ英知-効率重視の現代に警鐘」と題する岡田和樹さんの寄稿文を掲載しているので併せて紹介しよう。
通念営業の石風呂として全国的にもまれな存在だった竹原市の「石風呂温泉岩乃屋」が11月6日、閉業した。海草のアマモや雑木林の枝木を用いる石風呂の文化は、身近な海や里山の環境とも密接に関わっている。竹原などで干潟の保全運動に取り組み、農業をしながら「岩乃屋」をサポートしてきた三原市の岡田和樹さん(30)に、石風呂文化について寄稿してもらった。
竹原市忠海床浦、海に面した花崗岩の岸壁を利用して営業を続けてきた岩乃屋さんの石風呂が、66年の歴史に幕を閉じた。
瀬戸内海沿岸の石風呂は弘法大師が伝えたともいわれ、その技術は途切れることなく継承され、最盛期には500カ所を超えたという。石風呂は、岩屋の中で枝木を燃やした後、アマモを敷き詰め、ほどよい熱と蒸気で体を温め、人々を癒してきた。石風呂にはゆったりした時間が流れ、自分と向き合うことのできる場として、また人々の交流の場としても大きな意味があった。
しかし、高度経済成長以降の急激な自然破壊と暮らしの様変わりから、一つ一つ瀬戸内から姿を消してきた。大きな要因に、石風呂を支える材料が入手できなくなったことが挙げられる。
枝木を縛る農家さんが少なくなり、調達が難しくなったのだ。枝木を縛るのはとても根気の要る農家の冬仕事である。「山がきれいになる」とその作業を担ってきたのは、岩乃屋さんの石風呂では現在80代後半の世代。こつこつと1日に10束ほどずつ、こさえていく。
山に人の手が入ることで、豊かな里山は維持されてきた。枝木は石風呂で熱源として利用され、その灰は捨てられることなく、再び農家が引き取って畑の肥料に利用する。とても理にかなった文化である。
しかし、年間4500束の枝木を燃やす石風呂を、今の世代が維持し続けるのは難しい。さらにアマモはというと、埋め立てや海砂採取などで激減し、国の調査によると、瀬戸内海では1960年以降の30年間だけで7割ものアマモ場が破壊された。
昔はどこの浜辺にもアマモが繁茂し、「海のゆりかご」といわれるゆえんである。人々も大切に利用してきた。夏になると農家がアマモを採り、肥料にしていたのだ。2本の竹ざおをアマモ場に差し込み、巻き付けて葉を引きちぎる。この方法は地下茎を傷めず、取り尽くすことがなく、次の年にはまた生えそろう。
アマモ採りは瀬戸内の各地で行われ、夏の風物詩でもあった。岩乃屋さんのアマモ採りは、今夏が最後であった。
今から100年前の日本に思いをはせると、現代社会とは全く別の世界である。スピードと便利さが重視された結果、豊かな自然や、子々孫々と繰り返すことのできる文化が失われていってしまっている。
石風呂と言う存在は、豊かな里山や海の自然が残っている証しであったし、人が自然と折り合いをつけながら育んだ英知を、今に受け渡してくれていたのではないだろうか。
現代社会の抱える問題は、次世代につけを残すばかりで終わるような文化にどっぷりとつかって後戻りできなくなってしまっていることだろう。私たちがそれに気づくこと、何世代にもわたって続いてきた文化を受け継ぐことこそに実は未来があり、石風呂もよみがえらせることができるのかもしれない。