三呉線は、昭和5年3月19日に三原-須波間が最初に開通。翌6年4月28日に須波-安芸幸崎間、同7年7月10日には安芸幸崎-竹原間、同10年2月17日には竹原-三津内海(安浦)間が相次いで開業。そして昭和10年3月24日、「国防と産業大博覧会」開催を前に呉-広間が開通した。
昭和10年11月24日、三呉線の最終工区となった広-三津内海間の工事も完了し、三呉線この日から「呉線」として全線開業することになった。(『図説東広島・竹原・呉の歴史』P213)
したがって2015年の今年が呉線開通八十周年にあたるということで、11月24日に呉線開通80周年記念のイベントが行われた。
この三呉線の全線開通を記念し、「大正の広重」と呼ばれた鳥瞰図絵師の吉田初三郎によって『三呉線図絵』が刊行された。この図絵の中に忠海が紹介されている。
「呉から三原へ、待望の三呉線はいよいよ全通した。沿線1市19ケ町村、呉三原間67キロである。昭和10年11月24日、栄光の一番列車は、沿線の歓呼に迎えられて朗らかに走りはじめた、風光と物産の宝庫瀬戸内海の沿岸線を縫うて、展望いよいよひらけ、沿線いたるころ名物、名産に恵まれ、歴史と観光の地、快くわれらを送り迎える。山陽本線を走る急行列車全通と共に特にこの線へ乗り入れられた。三原の城下、学郷竹原、軍港呉を過ぎ水都広島へ。海の幸、山の幸、われらの旅愁を慰め、味覚をそそるもの、まことに多い。海を渡れば道後あり、聖地宮島に近く、また泉都別府は、呉吉浦港より捷径の観光行路あり、拓け行く三呉線はまことに観光路線でもある。沿線ところどころをひろってみよう。
名所旧跡
すなめり鯨(豊田郡大乗村近海) 大乗駅より南へ、海上約3キロ。すなめり鯨回遊海面は阿波島の白鼻岩を中心とし、半径1.5キロ圏内である。このすなめりは、極く小さい鯨の一種で、アフリカ喜望峰岬よりインド洋、フィリピン沿岸に産し、春季温暖の候、此の近海に現れ、毎年春の彼岸前後、50数頭群遊して奇観を呈し、此の期に繁殖を行い、秋期この近海を去る、珍奇な鯨群の生棲状態を観察するには、他に類例のない海面である。扁舟を浮かべて、みるによく、昭和5年以後、天然記念物として指定保護されている。
忠海海岸(豊田郡忠海町) 忠海駅の北に聳える黒滝山は、登り9丁、仏通寺地蔵院の奥の院として、山上より俯瞰した海岸美は日本百景の一つとして聞こえ清砂銀鱗躍るぼら網の景、さては一座千舟を望む釣遊の快、殊に夏季は海水浴に賑わい古え平忠盛、保元元年山陽南海の賊を平定の砌、此の浦浜に軍船を碇いだという古事もある。久津峠の桜、冠崎公園の秋の月、大正公園の夕涼みと共に宮床の浦の寒月は、忠海四季の花である。
モッコク樹叢(豊田郡忠海町) 忠海駅に近く、忠海八幡宮境内にあり、モッコクは本邦暖地固有の常緑闊葉樹なるも、忠海八幡宮境内のものは、約60本の群叢を形成、目通り周囲1.2メートル高さ20メートルを越えるもの10本に及び群落生態学上の奇観を呈している。
ウバメガシ樹叢(豊田郡忠海町) 忠海海浜の宮床神社境内にあり、生長頗る佳良なる常緑闊葉樹にして大木の数、10本余りに及んでいる。材質最も堅硬にして工芸用に賞用され、各地とも殆ど濫伐され、ために近く天然記念物として、保存され、瀬戸内海沿岸地帯の樹叢時代を物語る歴史的古木として珍重鑑賞されている。また忠海町には、この他、ルリハコベ(桜草科)ゲンカイツツジ(石楠科)等の珍草奇樹を自生し、植物学界の貴重な秘庫とされている。
名物名産
忠海町は、ここも鯔網が賑わう。酒、菓子、醤油、うどんといったものが主産物である。又後方地域からは牛、米、甘藷、靴と言ったもの、海からは豊富な魚類、柿、柑橘の味もとてもよい。