竹原貿易港20周年記念行事実行委員会が刊行した『竹原市港湾・産業発達史年表』という冊子がある。その中に、忠海の港湾・海運・産業・文化・公共事業に ついての記述が多く紹介されている。忠海郷土史研究会発行の『忠海歴史年表』『忠海案内』と併せて、ここに抜粋して掲載してみよう。
1873(明治6)年
忠海八和田詳平宅に修成館という小学校の前身が開校
1874(明治7)年
忠海郵便局開設
1877(明治10)年
二窓新埠頭築造
西条警察署忠海分署設置
1878(明治11)年
忠海に郡役所設置
大崎東野から忠海への渡船就航
1880(明治13)年
忠海町の船数は百石以上2隻、百石以下326隻と記録
1881(明治14)年
尾道水上警察署忠海分署設置
1882(明治15)年
尼崎汽船部の中国航路汽船が忠海に寄港開始
1883(明治16)年
忠海村会規則制定
1884(明治17)年
瀬戸内海に大津波おこり二窓僧都新開浸水深さ一尺、忠海徳浜堤防三カ所決壊水深三尺
1885(明治18)年
黒住教会所松原町に設置
1886(明治19)年
新田堤防築調
1887(明治20)年
この頃の沿岸部一帯の漁業は、従来の小網と称する藻引網漁法から打瀬網漁法へと発展
忠海尋常小学校設立
豊田郡組合立豊田高等小学校設立
1889(明治22)年
竹原区裁判所忠海出張所設置
忠海町に町制施行
忠海警察署県費新築
1890(明治23)年
呉憲兵分隊忠海分遣事務開始
1894(明治27)年
忠海竹原間里道開通により大川横断隧道開通
芸予砲台大隊設立のため僧都新開は練兵場、柿ノ木・冠崎は砲台、遊ケ原・桜町は司令部・兵舎に大久野島灯台設置 (次号につづく)