TSSの番組『満点ママ』でコメンテーターを努めている平木久恵さんは2013年夏に創刊された季刊雑誌『Grandeひろしま』の編集長でもある。私も早速定期購読を申し込んだが、そのお礼の文書には毎号「広島のいいもの、いいところを発信したいという思いで、編集をしています」と書かれている。この『Grandeひろしま』の巻頭を飾るのが、アーサー・ビナードの「ひろしまエッセイ」である。
アーサー・ビナードは、「1967年、米国ミシガン州生まれ。ニューヨークのコルゲート大学で英米文学を学び、卒業と同時に来日、日本語での詩作を始める。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞。『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞、『ここが家だ-ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞、詩集『左右の安全』で山本健吉文学賞を受賞。翻訳詩集、翻訳絵本なども手がける。平成24年広島文化賞受賞」と紹介されている。
この『GrandeひろしまVol3冬号』にアーサー・ビナードが「平和な瀬戸体内海」という忠海の石風呂体験を書いているので紹介しよう。
ぼくは「燻される」感じなのかなと、なんとなく想像した。瀬戸内海の「石風呂」のウワサを最初に聞いたときは。
でもサウナの一種というか、蒸し風呂の部類に入るので、きっと「蒸される」感覚もあるだろうと思ったりした。しかも海草たっぷりだというので、もしかして「昆布だし」のような空気がかもしだされるのか……興味が沸々とわいてきて、ある晴れの日、竹原市へ出かけた。
まず賀茂川が瀬戸内海に流れ込む「ハチの干潟」で、オサガニやコメツキガニとたわむれて、引き潮の間は裸足の散策を楽しんだ。やがて干潟の砂と穏やかな波が、夕焼けの色にほのかに染まり、いよいよ石風呂へ向かった。
ハチの干潟より少し東、竹原の「忠海」という地域に、海へ突き出た険しい崖があり、その横っ腹に掘られた洞窟がウワサの「岩乃屋」だ。港から崖を伝って歩く通路は、満潮のときに海面がすれすれまで上がってくる。波の向こうには大久野島が浮かび、夜でもその輪郭がはっきり見えていた。
これまでの人生でぼくはいくつもの国のさまざまな風呂に出会い、入浴体験がけっこう豊富だと自負していた。が、竹原の石風呂に入ってみたら、自分の「風呂」の概念がたちまち溶けて幅が広がり、未知の時空に浸りながら「蒸される」よりも「燻される」よりも「孕まれる」感覚を知ったのだ。でもその熱のもとが仕込まれるのは午前中。いったいどうやって焚くのか「岩乃屋」のご主人、稲村喬司さんに教えてもらった。 燃料は竹原あたりの山で、間伐や枝打ちなどの枝木。稲村さんはそれをゆずり受けて、石風呂の洞窟のいちばん奥で毎朝、枝木の束をいくつも並べて火をつけて豪快に焚く。四方八方に広がる熱が岩に深く浸透して、炎がおさまってくると灰を外にかき出し、おき火を湯沸かしの熱源に使い、客が自由に料理できる囲炉裏にも移す。そして灼熱の石風呂内にはアマモをふかぶかと敷きつめて、扉をすっぽり嵌めておく。あとは蒸されるがままに。肝心なアマモはどこで手に入るかというと、干潟の周りの海が与えてくれる恵みだ。夏の間に何日もかけて手作業で採りつづけて、丁寧に日に干し、一年分を蓄える。
石風呂の中の温度は、入るとき、立つか座るか寝転がるかによってかなり違う。上の方の空気はたじろぐほど熱い。枝木を燃やした燻製の匂いも漂っているが、それ以上にアマモのしっとりとした香りがすみずみにまで染みこみ、やさしい熱さだ。汗はじわっと出るけれど、アマモのオーラと同質のものなので、最初はそんなに汗にも気づかない。いつの間にか体の細胞がみんな力強く抱擁されて熱と一体化する。自分が呼吸できていることが不思議に思えるくらい、海そのものに孕まれている感覚……。
石風呂から出てしばし夜風に当たり、お茶をすすってぼくはふと思った。「これこそ本物の平和利用ではないか」
ふだん「平和利用」というと、真っ先に「原子力」が思い浮かぶ。広島の「ピカ」と同じ核分裂を鋼鉄の器の中で引き起こし、湯を沸かしてタービンを回して発電する。「平和」と呼んでも実際は原爆の「死の灰」を原発も大量に生み出し、そしてメルトダウンをきたして被曝が平和をつぶす。
ところがそんな原子力と違い、石風呂の火力の「平和利用」は前向きで、実に健全だ。「岩乃屋」のそもそもの始まりをたずねれば、なんと軍事利用のために掘られた洞窟だったという。
目の前の大久野島は日露戦争のころ、まず日本軍の砲台などが作られ、それから第一次世界大戦時には、化学兵器開発と生産の拠点にされた。すべて秘密につつまれ、当時の地図から大久野島は消されていた。別名「毒ガス島」のその警備のために、日本軍は竹原の海岸の崖に洞窟を掘り、中に船を隠していたそうだ。戦後間もなく、稲村さんの父親は地元住民の協力を得て、その洞窟を作り変え、瀬戸内海に大昔からあった石風呂の文化を復活させて「岩乃屋」営業開始にこぎつけた。海の恵みのアマモと山の恵みの枝木が融合して、人の健康を末長く増進する生きたエネルギー。
国際原子力機関も原子力規制委員会も電気事業連合会も、いまだに認めないだろうが、「平和」というものは自然界の循環と噛み合っていなければマヤカシだ。これからは足しげく、ぼくの「石風呂平和利用」はつづく。
さすが詩人の文章で、「石風呂の魅力と歴史的文化的意義を余す事なく伝えた」文章なので全文を紹介した。