《ナマコと若者のかけくらべ》
むかし、日本一のなまけ者といわれたひとりの若者がいました。若者は、毎日毎日、なにひとつ仕事らしいこともせず、二窓の海べにやってきて、砂はまにねころがったり、小石を海に投げ入れたり、小さなカニとたわむれたりしながら、遊び暮らしていました。
ある春の昼下がりのことです。若者はいつものように海べにやってきて、ぶらぶらと、波うちぎわを歩いておりました。暖かい春の日ざしが、波にはえて、キラ キラかがやき、波がしらをわたってふく風は、ときおり若者のほおをなでていきます。足もとには、たくさんのシオマネキが、小さなからだにも似合わない大き な一方のはさみを、精いっぱい動かしながら、まるで、若者を招くように先へ先へと進んでいきます。
思いがけなく、遠くまで歩いてきてしまった若者は、大きな岩にこしをおろして、ひと休みしようとして、ふと、岩かげに目を落とすと、一ぴきのナマコが、波 の間に間にゆらゆらゆれながら、とても気持ちよさそうに、昼ねをしているのに出会いました。 若者は、しばらくの間、じっと見つめておりましたが、「おま えさんはいいなあ。そんなに昼ねをしたり、遊んでいても、だれにもしかられず、一生暮らしていけるのだから。」とつぶやきました。
するとナマコは、「やい、若者、ぶらぶらしているのはおまえのほうだ。おれは昼ねなんぞしていたのではない。これでも、せっせと、食べものをあさっていた んだ。そういうことをいうのだったら、ひとつおまえと、わたしと、走りっこをしようではないか。もしも、おまえが負けたらどうするつもりだ。」といいまし た。若者は、「なに、おまえのような者と、このわしが走りっこをする。おまえが負けるにきまってらあ。」と笑いました。「じゃあ、あさってお月さまがのぼ るとき、この岩のところから、川尻のえび岬まで、競争しようではないか。」「よし、よし。」と約そくして別れました。
その日、岩のところへ来てみますと、ナマコは、もう、赤いはちまきをしめて、若者の来るのを待っていました。「ヨーイ どん。」の合図でで、若者は海岸を、ナマコはザンブと海中をもぐっていきました。「たかがナマコのことだ、走らなくてもぼつぼつ行ってもじゅうぶん勝つこ とができる。」そう思って、若者は、あっちこっちをながめながら歩いていきました。やっと福田の浜までやってきて、「ナマコ、ヤーイ。」と、呼んでみまし た。するとどうでしょう。はるか竹原の方向から、「オーイ、若者ヨーイ、おそいぞー。」と声がするではありませんか。
おどろいた若者は、これはたいへんだ、あんなやつに負けてたまるか、人間様のはじだ、とばかり、こんどは、まじめに走りだしました。
吉名の里までやってきて、こんどこそ自分のほうが先だろうと思い、「オーイ、ナマコヤーイ。」と、呼んでみました。すると、また、三津の浜のほうから、 「若者ヤーイ、まだ、そこかよう。」とナマコの声がしました。若者は、もう、いちもくさんに走り続けましたが、しかし、どこまで行ってもナマコのほうが先 に行っています。終着の川尻に着いたときには、若者はくたくたにつかれはててしまいました。
ところが、ナマコは元気な声で、「おまえさんは、このようなナマコに負けてどうするのだ。ナマコだって、やろうと思えばなんでもできるのだ。まして、人間ではないか。おまえさんも人間らしく、なんでもいいからいっしょうけんめい働くのだ。」とさとしました。
それからというものは、若者は心を入れかえて、まじめに働き、やがておよめさんをもらい、三人の子どもの父親となった、ということです。
ナマコは前もって海岸のナマコたちとうちあわせておいて、若者よりひと足先に行き着いたように見せかけ、ひとりの人間をたちなおらせたというお話でした。
この2冊の本に収録されている忠海の伝説・むかし話は、かつて忠海東小学校に在職されていた望月彪先生が執筆されたものです。なお、《清水の耳なし地蔵》は、紙面の都合で前半を省略しました。