大谷大学文学部史学科の同級生藤間洋子さんから、先日亡くなられた弟の山本兼一の著書を数冊いただいた。山本兼一は1956(昭和31)年生まれで、1999年に発表した『弾正の鷹』で作家生活をスタートし、『火天の城』で松本清張賞、『利休にたずねよ』で直木賞を受賞するなど多くの歴史小説を書き、これからのさらなる活躍が期待される作家だったが残念ながら急逝した。そのいただいた本の中に、山岡鉄舟の生涯を描いた『命もいらず名もいらず』という著書があり、早速読んでみるとその中に池田徳太郎が登場するので紹介しよう。
「鉄太郎と酒にまつわる話は、たくさんある。いずれも鉄太郎のすさまじい酒豪ぶりを語ったものだが、ひとつだけ、鉄太郎が負けて兜を脱いだ話が残っている。
相手は、池田徳太郎だ。安芸の医者のせがれで、江戸に遊学して、自分でも塾を開いていたが、清河八郎のところに出入りするようになり、清河が幕吏の手先を斬った一件のとき、捕縛されて小伝馬町の牢に入れられた。牢名主らの古参連中から折檻を受けそうになったとき、一人で何人も投げ飛ばしたので、牢内の隅の隠居という役を与えられたという強者である。
四カ月ばかり牢に入っていた池田が放免され、しばらくしたころの話である。池田が山岡家をたずねてきた。出迎えてみると、大きな一斗樽を担いでいる。『今日はすこし金がある。ゆっくり呑もう』ありがたい話で、鉄太郎とて付き合うにやぶさかではない。『しかし、なんにも肴がないぞ』鉄太郎の家の台所には、大根の葉があるばかりで、ほかに惣菜などなにもない。『そうだろうと思って、来がけにそばを注文してきた』まもなく、盛り蕎麦が五十枚届いた。妻の英子や義兄、弟立ち、下男の三郎兵衛にも食べさせてやり、そばを肴に酒を呑みはじめた。一斗の酒は、すぐになくなった。池田が金を出して、三郎兵衛に五升買い足しに行かせた。その酒は一升残った。二人で七升ずつ呑んだ勘定である。池田が帰ったあと、鉄太郎は、さすがに頭が痛くなった。めずらしく吐き気もする。けっきょく朝まで苦しんだ。-池田も苦しんでいるはずだ。
鉄太郎は、夜が明けると、池田の家に行った。むこうが鉄太郎を見舞いに来ると悔しい、先を越したのである。家のなかで、声がしている。-ほらみたことか。呑み過ぎて苦しんでいるにちがいない。こういうときこそ、悠然とふるまって豪傑ぶりを見せつけてやりたい。案内を請うて家に入ると、池田が布団に腹ばいになり、細君に背中をなでさせている。『どうした。苦しいのか』『むむ、少し苦しい』『意気地がねぇ、しっかりしろ』『貴公はどうだ?』池田はつらそうな顔を鉄太郎に向けた。顔に脂汗がにじんでいる。『おれなんざ、まったく平気だ』鉄太郎は余裕のあるところを見せた。ほんとうは、まだ頭がガンガン痛いし、気持ちだって悪い―。しかし、そんなそぶりは、微塵も見せなかった。(中略)池田は、鉄太郎の顔を見上げて、なんどもうなずいた。『平気なのか。そりゃ偉い』褒められて、鉄太郎は気分がいい。そのために、辛いのに無理してわざわざ出向いてきたのである。『おれは、昨夜すこし呑み過ぎたので、気持ちが悪い。さっき、五升買いにやらせて、迎え酒をやったところだ。まだいくらか残っているから一杯呑め』池田が、枕元にあった茶碗をつかんでさしだした。受け取ってみれば、なかは酒である。麹の匂いが鼻について、とてものこと呑めない。吐き気がしてきた。―負けた。口にこそ出さなかったが、鉄太郎は、こころのなかではっきりと負けを認めた。(山本兼一『命もいらず名もいらず・上・幕末篇』P360~364)