忠海でも祇園祭には胡瓜断ちをする風習があるが、これは京都から伝わったものであるらしい。最近ベストセラーとなった『少年H』の作者である妹尾河童の『河童のスケッチブック』という本を読んでいるとそこに次の一文を発見した。
「『祇園祭が終わるまで、氏子はキュウリを食べないというのは本当なの?』
と京都の友人に聞くと、彼は笑いながら、
『ほんとです。祇園の祇園の八坂神社の神紋がキュウリの輪切りやから』 といった。正式には“木瓜紋(もっこうもん)”とよばれる紋だが、たしかにキュウリの断面に似ている。キュウリといえば厄を封じこめる力があると信じられ ているからかもしれない。この神社にはもう一つの紋章があるが、それはお馴染みの“三つ巴”だ。“三つ巴”は渦巻く水をデザイン化したものだから、水とか かわりがある神社であることがわかる。全国各地にある祇園神社は、この“木瓜紋”と“三つ巴”の二つを共に掲げている。ということは、どこでも同じことを 祈願する祭りだったのだ。その願いとは、洪水や火災、疫病の流行を避けたいということへの祈りであった。
洪水の恐ろしさはわかっていても、人々は水の恵みなしでは暮らせない。だから水源の近くや川筋に集落や町を作った。しかし、梅雨どきの増水はすべてのものを流してしまう危険があった。さらに洪水のあとは、決まって疫病が蔓延していた。
“祇園祭”は、これらの厄除けの祭りである。そもそもは京都が発信地で、全国に広がっていった。(中略) 人々は、ひたすら洪水や 疫病の蔓延から免れることを祈っていたからだ。その願いが祇園の八坂神社の祭神に反映しているのが窺える。祭られているのは、インドの祇園精舎の守護神の 牛頭天王である。牛頭天王は、厄を祓い災難を除く神といわれている。ところが八坂神社にはもう一人の神が祭られている。あの暴れん坊の素戔鳴尊である。し かも素戔鳴尊と牛頭天王は同一人物だというのだから、なんだかよくわからない。ようするに、オロチ退治をした怪力の持ち主の素戔鳴尊と牛頭天王を合体させ ることで、スーパーパワーでの守護を期待したのだろう。“祇園祭=鉾の巡行”と思っている人が多いようだが、そうではない。鉾が町を巡るのは、厄を除き町 を清めるお祓いをしているのだ。それは八坂神社からのご神体を奉じた神輿を、町へ迎え入れるための儀式なのである。“祇園祭”は神輿を迎えることで、町方 衆の祈りが初めて神にとどくわけだ。」(妹尾河童『河童のスケッチブック』P132~133)
忠海の祇園祭のルーツを考えるうえで、参考になる一文なので、ここに転載した。
先日京都を訪れた際、忠海の祇園祭の猿の話をすると、京都の方から、「猿は八坂神社に祭られている神の使いとされている」という話を伺った。