先日、広島にある明輝堂という古本屋に立ち寄ったとき、何げなく手に取った本をパラパラとめくっていた時に『日本の幽霊』の劇評が目にとまった。『日本の 幽霊』はこの忠海再発見でも紹介したように福山市出身の小山祐士が書いた大久野島をテーマにした戯曲である。さらに、この本のページをめくると同じく大久 野島をテーマにした穂高稔の『ラザロの島』の劇評も載っている。この本とは、晶文社が1974年に発行した『劇場へ 森秀男劇評集1965-73』であ る。森秀男は、日本読書新聞、東京新聞、中日新聞に勤めた演劇記者で、この本は東京新聞に掲載した1965年から1973年までの劇評が収められている。
早速、この本に掲載された森秀男の劇評を紹介し、大久野島を題材とした2つの戯曲が上演当時どのような評価を得たのかを辿ってみよう。
俳優座-『日本の幽霊』 1965年11月22日
「瀬戸内海の小さな島が昭和のはじめに地図から消されたのは、ここに毒ガス工場が造られたからである。小山祐士の『日本の幽霊』は、その花之島を眼の前に ながめる町の旧家須波家を舞台にして、太平洋戦争のさなかから20年の歳月をたどり、毒ガス製造のもたらしたさまざまな傷痕と、それに立ち向かう人々の姿 をえがきだす。
工場の危険な作業が多くの人命を奪っただけではない。須波家でも、女主人のあやめ(村瀬幸子)は中学生の孫を爆発事故で失ったのがもとで倒れ、次女の秋子(楠田薫)は広島で原爆にあって死ぬ。長女春子(三戸部スエ)は敗戦のショックで神経症になった。
戦争が終っても、毒ガス障害者の苦しみは消えなかった。徴用工だった軍造(東野英治郎)は、戦争責任を果たすつもりで、島に残された毒ガス処理のために働 いたあと、春子の夫東一(松本克平)、あやめの妹菊子(大塚道子)、秋子の夫節夫(中谷一郎)たちと障害者の救済運動につくしたが、やがて軍造自身の倒れ る日がくる。
前半は、不幸な事件を盛りこみすぎたきらいはあっても、登場人物の生活を通して、重くのしかかる戦争の悲劇を感じさせる。しかし後半に破綻があった。調べ 抜いた素材を消化しきれずに、救済運動の説明に傾きすぎた舞台は、観客を引きこむ力に欠けている。そのために作者の激しい訴えが、劇のなかで昇華されたも のになっていないのは惜しい。
呉の基地で進駐軍相手に働くこずえ(市原悦子)が、登場するたびに笑わせたあとで、混血児を生んだ愚かな女のあわれさをみせるが、少し目立ちすぎた。阿部 広次の演出はもっと人物の動きを整理した方がいい。須波家の人々が軍造の告別式にでかける幕切れは、とくにそう思わせた。11月8日-25日 俳優座劇 場。」(森秀男『劇場へ 森秀男劇評集』P43~44)