忠海高校出身の小説家がいる。生口十朗というペンネームで原爆をテーマにした『緋の喪章』『蝉時雨』『白い夏』という3冊の小説集が発刊されている。この 人の本名は川本信幹といい、現在日本体育大学で教鞭をとっている。『タウントーク』に「ふるさと随想」を連載しているその人である。ここ数年忠海公民館で 『源氏物語』の講座を開いてもらっている。
また生涯学習講座で忠海の思い出を語ってもらった。そのときの話で強く印象に残っているのが、あの原爆の日の忠海駅の風景である。
生口十朗の小説集『緋の喪章』のなかに、その風景が見事に描かれているのでここに転載しよう。
「呉線忠海駅。強い西日の照りつける暮れ方の駅前広場には、次第にたかまる苛立ちがあった。〈約二十分遅れの見込み〉と改札口に掲示された、十七時三十四 分の下り広島行列車は、十八時になっても十八時三十分になっても一向に到着する気配はなかった。列車の遅れに慣れた乗客たちは、時折遅延標示板の数字の書 き換えに来る駅員にそのわけを尋ねるでもなく、苛立ちを面に浮かべながらも、ほとんど諦めの体で立ち話を続けていた。
狭い駅舎の中は、ほとんど大人の工員たちに占められ、ゆるやかな勾配をもった外の広場には、下校する忠海中学、忠海高女の一年生、大久野島に動員中の両校 の二、三年生たちが集団を作って思い思いの場所を占めていた。彼らの若さは、列車の遅れを大人流の諦めにかわすこともできず、退屈の余り、子供じみた他愛 もない遊びを始める者さえ現れた。
(中略)
これも定時に遅れた上り糸崎行列車が、駅舎の内外にあった人数の幾割かを乗せて去ったあと、すぐ続いてホームに入って来た上りの臨時列車が停止した時、駅 舎の中に低いざわめきが起こった。待ち合わせの工員たちは、ガラス戸を外した駅舎の窓から、重なり合ってホームに身を乗り出し、その列車の中を覗き込んで いた。
駅舎のすぐ脇にたむろしていた浩たちの集団は、そのざわめきに気付くと、構内と広場を隔てている二メートルばかりの板塀に、少年の身軽さをもって我先にと 跳びついた。板塀は、要塞地帯となっている忠海付近の景色を、列車の乗客の目から隠すためのもので、少年たちの軽率な行為がこの町に常駐する憲兵の目に止 まらなかったのは、全くの幸運と言わねばならなかった。
浩は、そこでまたしても奇怪な光景を見た。それは、僅か十二歳の少年の理解を超えるものであり、彼の語彙のすべてをもってしても、なんとも名状しがたいも のであった。すべての窓を開け放った、煤けた車輛の中に満載されていたのは、確かに人間ではあった。確かに人間ではあったが、それらは、浩の記憶の中にあ る、いかなる人間の形状にも当てはまることのない無惨な姿態を示していた。ほとんど原型をとどめぬ着衣、赤黒くただれた皮膚、恐らくは毛髪が焼け落ちたと 思われる婦人の頭部、表情という言葉が意味をなさぬほどの顔面‥‥‥。
友の肩に支えられて覗いた僅かな時間に浩が認識し得た人間襤褸は、地面に降りて発すべき言葉を完全に失わせるほどの、ほとんど恐怖に近い印象を彼の脳裏に叩きつけたのである。」
これは作者生口十朗(川本信幹)氏自身の八月六日の体験をもとに書かれたものであることを生涯学習講座の忠海の思い出で知った。生口十朗は原爆の悲劇を先述した三冊の小説集に描き、二度とこのような過ちを繰り返してはならないと訴えている。
被爆体験の風化が叫ばれ、いつか来た道をまた突き進むのではないかと思われる時世のなかで、ぜひとも読んでいただきたい本である。『緋の喪章』『蝉時雨』は竹原書院図書館にあるし、『白い夏』は草間書店で販売している。