三次市の奥田玄宋小由女美術館で「平田玉蘊美の交遊」と題する美術展が開催され、そこに忠海の床浦を描いた「床浦周遊図」が展示されるという記事が『中国新聞』に掲載されました。記事を書かれたのは奥田玄宋小由女美術館永井明生学芸主幹です。
江戸時代後期の広島、尾道で活躍した女性画家平田玉蘊を紹介する「平田玉蘊美の交遊展」は玉蘊の回顧展としては初となる作品も多数公開し、約80点の作品で玉蘊芸術の全貌に迫ります。
木綿問屋を営む福岡屋の次女として生まれた玉蘊は、京都では八田古秀に絵画を学び、伊藤若冲南頻派などの作風にも親しみながら、花鳥画、人物画、山水画と幅広く優れた作品を生み出しました。また、頼山陽や菅茶山といった文人とも親しく交遊し、確かな足跡を残しています。
本展覧会では、全体を六つの章に分け、その魅力を多角的に紹介しています。第一章「画業のはじまり」では、まだ玉蘊と名乗る前の二十歳前後の作例を公開。第二章「頼山陽との出会い」では、山陽と玉蘊が初めて会った時に描かれた「床浦周遊図」を約半世紀ぶりに公開するなど重要な作品が並びます。第三章「人物と山水」と第四章「花鳥を描く」では、玉蘊の作風に焦点をあてています。第五章「先人に学ぶ」は、円山応挙や若冲、長澤蘆雪といった絵師の作品を展示。厳島神社からも貴重な三点を借りて展示します。最後の第六章「美の交遊」は、尾道の玉蘊邸も訪れたという田能村竹田の諸作にはじまり、地元尾道の浄土寺、慈観寺から拝借した大作も会場に彩りを添えています。心ゆくまでお楽しみください。
展覧会がはじまってからも「画風広げた多彩な交遊」と題する上杉智己氏の署名記事が『中国新聞』に掲載されました。
江戸時代後期に活躍した尾道市出身の女性画家、平田玉蘊の画業をたどる「平田玉蘊 美の交遊」展が開かれている。頼山陽ら文人たちと交流を重ねながら、多彩な画風を展開した歩みに触れられる。
木綿を卸す商家に生まれた玉蘊は、京都の八田古秀に絵を学び、花鳥画、人物画、山水画と幅広く描き分けた。縁あって出会った山陽との結婚話が期せずして破談になり、父の五峯が早くに亡くなったため、筆一本で身を立てた。妹の玉葆の子を引き取って独身で育てたことと併せ、先駆的で自立した女性だった。
「床浦周遊図」は、山陽と初めて詩会に興じた竹原市の浜辺を題材とする。最近、所在が明らかになった貴重な一品。この日の出来事をつづった山陽の詩文「竹原周遊記」とともに展示し、間柄をしのばせる。
花鳥画「朝顔に鶏図」に見られるように、展示作品の計四つに山陽の賛がある。永井明生学芸員は「恋愛関係とは別に、創作者同士の深い結び付きががあったのでは」と二人の関係性を推し量る。玉蘊は必ずしも、破談の失意のうちに後半生を過ごした分けではないとみる。
細密で色鮮やかなこの秀作は、名手伊藤若冲の作風をほうふつとさせる。玉蘊は若冲ら同時代の画家の作品から多くを吸収し、画作に生かした。関連作品として若冲「鯉図」、円山応挙「虎図」、長澤蘆雪「関羽図」などが並ぶ。
玉蘊の交友関係は広かった。紅白の牡丹を画題とした「国色天香図」など四作品に、福山の詩人菅茶山の賛が見られる。可憐な「椿図」には大分の文人画家田能村竹田の書簡が添えてある。他に山陽の父の春水、山陽の叔父の杏坪らの賛もある。頼家や教養人との交流を画家人生の糧とした足跡がうかがえる。
大型の襖絵「桐鳳凰図」は悠然と舞う純白の鳳凰を描き、ひときわ見応えがある。一方で「夾竹桃」「葡萄図」のように濃淡とリズムを生かしたシンプルな作画も目を引く。大胆にも繊細にも変化する絵筆は味わい深い。
この二つの記事を読んで早速黒滝山を愛する会会長夫妻とともに三次に出掛けて何よりも忠海の床浦と黒滝山を描いた「床浦周遊図」を堪能した。