朝日新聞出版が発行している『週刊朝日百科』の「週刊JR全駅・全駅車両基地」に呉線、福塩線、宇部線、小野田線が特集され、その「厳選!ユニーク駅」という記事にJR忠海駅が紹介されているので抜粋して転載してみよう。この文を書いたのは写真家の牧野和人氏という人である。
芸予諸島が浮かぶ瀬戸内海に面した呉線のローカル駅、忠海。近くの港から、観光地の大久野島や大三島へフェリーが通う。NPO法人が運営する地域の交流施設と一体となった小駅舎は、市民や乗降客の憩いの場として親しまれている。
「安芸の小京都」竹原の中心街から東に約5キロ。忠海は、江戸時代に瀬戸内海の海運と製塩で栄えた小さな港町だ。駅の開業は1932(昭和7)年。塩田を埋め立てて駅舎が建設された。
駅と海との間には、ジャムで有名なアヲハタの本社や日本肥糧広島支店の工場が立ち並んでいる。かつては日本肥糧工場へ引込線が延び、製品や原料を運ぶ貨物列車の往来が盛んだった。1982(昭和57)年に貨物の営業は終了し、草むした専用線の跡地が、今もホームの南側に広がる。
駅舎は2004(平成16)年、NPO法人「福祉ステーションただのうみ」が運営する福祉施設「ふれあいステーションただのうみ」と共用の建物に改築。施設は地元の憩いの場になっている。改札口に隣接した多目的室は、日中は待合室として開放されている。
「私が子どもだった昭和40年代には、駅に売店がありました。「満ち潮煎餅」や「ちちぼ焼き」という小さな丸い煎餅を買いに行ったものでしたが……」と懐かしむのは、NPO法人の職員・北方雅之さん。「当時の駅舎はもっと広くて、お祭りで神輿が入ってきたものです。」と話す。
夕方になると、多目的室の一角を衝立で仕切った「自習室」が出現する。列車の待ち時間を利用し、地元高校生が勉強に励む。火・水・木の週3日は、広島大学の学生ボランティアが指導に訪れる。「将来は教員を目指しているので、生徒との触れ合いには、やり甲斐があります」と、ボランティアの一人、桧垣大河さんは声を弾ませる。
瀬戸内海に浮かぶ大久野島や大三島へのフェリー桟橋へは、駅から徒歩約5分。大久野島は、旧日本陸軍の毒ガス製造工場が置かれたことで有名。現在は観光開発され、約300羽のウサギが棲む島として人気だ。 また、この記事には1932-2013忠海駅クリニクルと題して忠海駅の歴史が記述してあるので紹介しよう。
1932(昭和7)年7月10日 三呉線の安芸幸崎~竹原間開通で駅が開業
1935(昭和10)年11月24日 三原~海田市間が全通し呉線に改称
1943(昭和18)年9月 駅舎を改築
1970(昭和45)年9月15日 呉線全線が電化
1975(昭和50)年3月10日 急行「安芸」「音戸」が廃止され、当駅停車の優等列車が消滅
1982(昭和57)年10月1日 貨物の取り扱いを廃止
1990(平成2)年4月 みどりの窓口を設置(2003年に営業終了)
2003(平成15)年5月1日 竹原市に駅務を委託(簡易委託駅化)
2004(平成16)年3月29日 福祉施設と一体化した現駅舎が完成
2005(平成17)年10月1日 快速「瀬戸内マリンビュー」新設、その停車駅に
2010(平成22)年7月14日 集中豪雨で土砂崩れが発生。三原~呉間の不通に伴い休止(7月20日再開)