『竹原市史』第3巻 史料篇(一)に「文政2年国郡志御編集下しらへ書出帳」が掲載されている。これは江戸時代の忠海の状況を知るうえで貴重な史料である。その中に風俗之事として当時の年中行事が記載されているので紹介してみよう。
正 月
元旦の朝より3ケ日の間年徳神を祭り年始の儀式を勤める、先ず神前に御酒・御膳を供え雑煮を祝い、寺社に参拝し、年始参りを勤める。
2日朝には未明より初売り、初買いあるいはそれぞれの職初め、船乗り初めをする。ヤアラ目出たひなあの舟歌思い思いに歌い、遊女芸子は弦初め、謡い初めで 夜まで賑わう。節分の式は大豆を煎り神前に供え、門戸へ打ち付けて鬼は外福は内と唱える。また門戸の上に柊に鰯の頭を添えこれをさす。鰯膾等にて祝う。
4日は寺院が町内へ年礼、5日は社人の年礼、7日は若菜を悦び七草を取り合わせ神前に供える。
11日は店開き、13日に神明を巻く。町内地方組共1組に大神明1本、都合18本建て、小神明は数極まりなし。
14日は神明参りで町内はもとより近隣からも参詣にくる。15日左義長賑々しくチヤウサという声にて神明を磯辺へ持ち出し、トントヤヲヤシヤとはやしたて、清火をもって焼き祓う。町中の人が浜辺へ出て見物する。
16日誓念寺にて百万遍祈祷(大数珠を参詣の老若御堂に円居して念仏を唱えながら繰り廻す)を執行。
20日麦飯正月と言い、麦飯を炊き神前に供える。
28日荒神祭り社人を集め舞を奉納する。
2 月
1日を送り正月と言って社参し、礼を致し合う。
初午の日、稲荷祭りで夕方宇津の稲荷へ参詣する。
15日涅槃会、寺方に涅槃絵を飾り、参詣する。
3 月
3日桃の節句、菱の餅、御酒を神前に供え、内祝いし、町内礼を致し合う。雛祭り女子ある家は2月末より雛を飾り、この日には桃の枝に柳を添えて軒にさす。
15日産神床浦大明神祭日、神事湯立舞あり。
4 月
8日仏誕生日、寺に参り、甘茶をいただき、墨にすり茶白と書いて柱に張り、虫を制すと言う。(次号につづく)