井上恭介・NHK「里海」取材班による『里海資本論』という本が角川書店から出版された。この本の中に忠海の石風呂と稲村喬司さんが登場するので紹介しよう。
「冬から春、そして夏へ。アマモは背丈をのばし、種をつけ、夏の終わりには多くが水の中で枯れていく。アマモの森は黄色くなっていく。その頃を見計らって、竹竿のようなものを船に積み、藻場で作業を始める人がいる。広島・三原に広がる大きな干潟の先、忠海の稲村喬司さんだ。船を操り、藻場に到着すると、二本の竹竿を取り出し、アマモの中へ。器用に回転させ、竿にアマモをからませる。スパゲッティーをフォークに巻き付ける要領だ。からめとったアマモは船の上へ。汗だくになりながら続けられる『アマモの刈り取り』。船の上に、みるみるアマモの山ができる。この日、稲村さんは300キロ刈り取った。ひと夏で、その量は1.5トンほどになる。せっかくアマモを増やそうと漁師が種をまいているというのに……。実は『間引き』をした方がアマモの森は元気になるのだ。アマモは、まいた種が芽を出しても、根が海底に定着するまでは1シーズンで枯れてしまう『一年草』だが、しっかり根をはり、定着すると『多年草』になる。葉っぱは枯れても、海底に残った根から、また次の年芽を出し、葉っぱをのばして森になる。こうなると今度は、過密になるのを防いだ方が海の環境がよくなる。人間の出番だ。適度に間引いてやる。そうすることで、過密な森のあちこちに空間ができる。太陽の光が、森にふんだんに降り注ぐようになり、水も停滞しにくくなる。作業を続けながら、稲村さんは言う。『来年になったら、元通り。また同じように、きれいにいっぱい生えてくる。再生されるっていうかな。そういうサイクルじゃったんじゃ』里山のクヌギ林と同じことだ。クヌギがしいたけの『ほだ木』として使われるのと同じように、刈り取ったアマモも何かに使われるのだろう。稲村さんについて行ってみる。
そこは海辺の洞窟だった。自然の岩が海にせりだし、うまい具合にへこんでいる。ふたをするように木で囲い、入り口が作られている。稲村さんはその洞窟に、近くの山を手入れした時に出た雑木の枝木を並べ、火を焚き始めた。洞窟に熱気がたちこめる。中が十分熱くなると、アマモの出番だ。洞窟の床に、手際よくアマモを敷く。すると、アマモからなんともいえない香りとともに蒸気が立ちのぼる。これが、瀬戸内に昔から伝わる『石風呂』だ。昔はあちこちにあったそうだが、今では瀬戸内全体で、ほぼここだけ。瀬戸内全体でアマモが壊滅的に減ったのだから無理もない。通ってくるファンは今、意外なほど多い。毎月のように通うという夫婦に出会った。どんなアロマセラピーより、こっちの方が格段にいいと語った。アマモの蒸気の独特の磯の香りは、心を落ち着かせる。そして敷いたアマモからしみだす成分は、肌をつやつやにするそうだ。」(『里海資本論』P76~79)
そして、この文章は、忠海高校で「スナメリ探検隊」の中心メンバーとして活躍し、現在は「ハチの干潟調査隊」の隊長として活動している岡田和樹さんを紹介している。
「石風呂で使い終わったアマモはどうするか。まだ捨てない。ある日、石風呂を訪ねてみると、引き取りにきた人がいた。近くで耕作放棄地を借り、野菜などを作り始めたという岡田和樹さんという青年だ。アマモを肥料として畑にすきこむのだという。もともとアマモのそのような使い方を知っていたわけではない。石風呂の客に交じって汗を流しながら話していたら、昔はアマモを肥料にしていたのだと聞かされ、大いに興味を持ったのだ。岡田さんはもともと、石風呂にほど近い手つかずの干潟、「ハチの干潟」をこよなく愛する少年だった。毎日毎日干潟に通い、干潟特有の生き物などの観察をしてきた。高校を出たころ、干潟に開発計画が持ち上がっているのを知り、反対する運動に参加した。その後、山口県の瀬戸内海沿岸で持ち上がった原子力発電所の建設計画の反対運動にも加わった。なぜ多くの人は、せっかく守られてきた瀬戸内海の自然に興味を持たないのだろう。なぜほんの少しの人しか、瀬戸内海の自然がそこに暮らす人にとってかけがえのないものだということに思い至らないのだろう。思い悩んでいた時に、『アマモが実は優秀な肥料だ』という情報に行き当たった。大切な一歩が踏み出せそうな気がした。昔の人は本当にアマモをひりょうとして使っていたのか。図書館に通い、文献を読みあさった。わかってきたのは、戦前にはアマモ利用が、想像をはるかに超える規模だったということだ。資料が次々と出てきた。藻場を管理し、誰がいつ刈り取って使うか、それを取り決める海の地図まで作られていた。(中略)岡田さんは、借りた耕作放棄地で、アマモを肥料に使った野菜作りを始めた。米ぬかや鶏ふんなどとまぜた有機肥料を作り、畑にまく。単に野菜が育つだけでない。土の匂いが変わった。ニンジンを抜くと、思わず鼻を近づけたくなる。土が生きている。岡田さんは、有機農業に取り組む仲間に、アマモのことを広めようといている。」(『里海資本論』P80~82)